少年サン・ジュスト⑨
(第2部)
サン・ジュストが演説したというブレランクール市庁舎前/撮影・著者
その年襲った冷夏のために、麦は実を付けぬまま枯れ、じわじわと飢えが広がり始めた。
無力な者は村を捨て物乞いに歩き、余力のある者は群をなして人を襲った。
よそ者に対する敵意から、流れ者の暴徒は地主である貴族が雇ったという悪質な噂が流れ、今度
は地元の村人が暴徒となって地主を襲った。
ブレランクールもまた例外ではなかった。毎朝の日課として馬を走らせていたルイーズは、焼き討ちにあった中央市場の残骸を目にした。
フランソワが家にいる時間も減った。彼はパリで生まれた革命政府(国民会議)の影響で、新しくできたエーヌ県議会の議員となり、活動し始めた。ルイーズ と顔を合わせる度に、あまり遠くまで出歩くな、と念を押す。もちろんただの「注意」に過ぎない。その程度でルイーズの行動を止められるはずもなかった。
馬上で風を切りながら、さっき聞いたばかりの話が何度も耳に木霊する。
並木道を一気に駆け抜けた。
(ルイが帰ってく。)
彼がブレランクールとパリを往復していたのは知っていた。
そうではなく、本格的に議会にデビューすべく政治活動を始めたのだという。
ただ、話はそう簡単にはいかなかった。パリで過激な思想を身につけたルイを地方議会は警戒していた。ルイーズは時空を越えて彼の意識を感じる。苛立ちと侮蔑。
ここでの活動はさらなる飛躍のためのステップに過ぎない。遠くにフランソワとルイーズの姿を見据えながら、黙々と活動する姿が見えるようだ。
嘲笑を浮かべて。
ブレランクール会議場前の広場で、巨大な篝火が焚かれた。
黒煙はたちまち闇に飲み込まれた。不吉なまでに明るい炎が殺到する人々の顔を照らした。
陽炎のように揺れる視界の向こうに、ルイが書類を手に、壇上に立っていた。
「これが何なのかわかるだろうか?。国民議会の決定に対する反論のチラシだ。国民議会の意志は、すなわち我々の意志であり、我々が痛切に望んでいた自由を約束するはずのものだ。それに対して反論とは、我々を否定するに他ならない。誕生したばかりの自由に対する重大な裏切り行為である」
裏切り・・裏切り・・その単語が目配せとともに群衆の間に行き渡った。
「裏切り者は火に焼かれるがいい!」
ルイは冷ややかな顔とは対照的な激しい動きで書類を炎の中に叩き込んだ。
「もし私が裏切り者に堕する事があれば、同じように火に焼かれる覚悟がある!」
彼はそう叫ぶと、燃えさかる炎に向かってゆっくりと手を突きだした。
4年ぶりだった。強烈な炎の照り返しを受ける、あの顔。
不意に激しい感情がこみ上げた。反発と憧憬・・この相反する思い。
背を向けて立ち去るか、愚劣な信者のように傍らでうっとりと見上げているか、どちらかの選択を迫る高慢さ。
隣り合う双子の惑星のように、牽制し合いながら惹かれ合う魂。
それでいて誰よりも馴染み、親しみを感じる、あの肌の感触。
4年前の出来事を忘れ、近寄っていって触れたい。
「お帰りなさい、変わったね」と。
そしてその後は?その後はどうする?
・・・いっそ未来など無ければいいのに。
炎の一件で、ルイは一種のカリスマとなった。
パリで行われる革命記念祭にブレランクール代表として参加する事が決定した。
「先頭を行くあいつは、高慢なほど誇らしそうだったよ」
フランソワが言った。彼は地元に残り、送り出す側であった。
「何だか・・・思い詰めている感じだった。見ていると、息苦しくなる・・いや、俺自身の罪の意識がそう思わせているだけかもしれない。俺はあいつに借りがあるような気がしてならないんだ。」
「借りって・・・」
ルイーズは途中で言葉を飲んだ。
裏切り・・裏切り・・・その言葉が胸に響く。
私は裏切ったのだろうか。
側にいて憎しみ合うより、離れていた方が幸せな場合があると、説明してもわかってもらえるはずもない。
そう考えること自体、すでに裏切りなのだから。
1ヶ月後、パリではバスチーユ陥落の記念祭が開かれた。練兵場シャン・ド・マルスを全国の地方議会から集まった代表・1万5千の国民衛兵を含めた10万の群衆が埋め尽くした。
ルイはブレランクール代表のトップとして、参加した。
各県を示す60本の旗が翻る。
見渡す限りの人の頭の群・・・・ふと故郷の草原を思い出した。
東から西へと吹き抜ける風に押し倒された草。同じように1つの熱狂で同じ方向へと靡く頭。
いがみ合う全ての階級が同じ幻想を分かち合う。平等と自由と博愛。
王権を否定したその場に、国王もまた現れた。自分の敗北も気づいていない鈍重な顔を晒す。
怒濤の歓声。もはや人の声ではない。音というエネルギーの塊だ。
(前夜祭が楽しいのは、それが一夜だけの出来事だから。長く続くわけがない。この先がおもしろくなりそうだ)
ルイは醒めた目で遠い壇上に目をこらした。
案の定、直後から殺し合いが始まった。始まりは軍隊内の対立。
貧しい兵士と大貴族を筆頭とする士官とがいがみ合い、血を流した。
そして一年後には、さらに大規模な衝突が同じこの場所で起きる。
そして国王も貴族も平民も、共存など夢だったと気づくのだった。
国王ルイ16世は新勢力と妥協して歩みを合わせることもできなければ、果敢に戦うこともできなかった。王国は決断力のあるリーダーを欠いたままズルズルと崩壊していった。