パリの町並み/撮影・著者

           

少年サン・ジュスト⑩

                  

 1792年、ルイはようやくパリの国民公会議員として選出された。
 だが、最年少ということもあってか、無名の新人に過ぎなかった。 
 名を売らねばならない。意外にもその機会は速やかに巡ってきた。
 パリの国民公会は、ある重大な男を裁いていた。
 ルイは妄想の中で、被告席に背を丸めて座っている1人の男を思い浮かべていた。
 それはこれから革命の生贄となる、前フランス王ルイ16世だった。
 ずんぐりした体、締まりのない顔。これがブルボン王朝の、成れの果ての姿であった。

 妄想のルイは、妄想のルイ16世の胸ぐらを掴んだ。
(おまえのような奴が世間に放り出されたら、せいぜい人の尻に付いて歩くのが精一杯だ。殺すにも値しない。地べたに這いつくばっいるのが似合いだろう。そんな男がフランスに君臨していられたのも、おまえが王国の『象徴』だったからだ。本人の資質も能力も関わりない。『象徴』だからこそ可能だった愚行なんだよ。わかるか?この太ることしか能のない豚野郎!)

 ルイは男を放りだし、その頭を踏みつけた。
(その『象徴』が今死のうとしている。おまえも運命を共にするがいい。『象徴』に生かしてもらったなら、『象徴』と共に死ね。)

 妄想のルイは、足の下ですすり泣く男を嘲笑した。
(俺はおまえがうらやましいよ。こんなカスでも、主役として哀れな犠牲者を演じることができるんだからな。嫉妬すら感じる。俺がおまえの立場にいたら、もっと美しく誇り高く犠牲者を演じて見せるのに)

 議長がルイの名を呼んだ。発言の番が回ってきた。彼は妄想から離れ、席を立った。

「ルイ・カペー、もとい前国王ルイ16世は、支配者として生きるか、その地位から墜ちて死ぬか、どちらかの選択肢しかありえない。王は罪なくして存在しない。」
 凶暴な拍手が沸き起こる。
(国王を殺せ。その首級を世界に掲げよ)
 彼は初めて「主役」の座を掴んだ。

(おまえ達は何もわかっていない。知ったかぶりで語りながら、何1つ話していないのと同じだ。このバカども。破壊と混乱の向こうに何が見える?見ているようで何も見えてやしない。俺の人生がなぜ今まで予想できなかったのか、今なら理解できる。その全体を見るにはあまりにも大きすぎるからだ。白紙となったこの世界に俺が新しいプロットを組み立ててやる。ペンも紙もいらない。この世界そのものが俺の作品だ。)

 地平線の彼方に白亜の都市が見える。
 同じように笑い、同じように豊かに暮らす人々。意志も個性もなく、均一化された平等社会。
 外に世界はなく、その内側だけで許された「幸福」。
 狭いけれど、限りない一体感。個性という枠をはずし、混じり合う魂・・・・
 誰が誰なのか区別の付かない、至福に満ちた混沌。
 決して腐ることのありえないモラルと美徳の世界。

 ルイはゆっくりと瞼を開けた。
(あの世界へ)
 闇の中に光明を見た思いがする。

 ブレランクールを離れて8年。飛ぶような年月だった。
 いつしかルイの属するモンターニュ派の革命政府に、ブレランクールのみならずフランス全土が屈していた。

 対立していたジロンド派をほぼ全員殺し、落ち延びた残党も反乱軍を殲滅するついでに粛清した。叛旗を翻したヴァンデ地方は見渡す限り人家がないといわれるほどに殺戮/破壊した。
 革命政府は捕虜を必要としない。投降した敵もそれに関与した者も等しく死なねばならない。
 あまりにも多くの捕虜がいたためにギロチンでは足りず、一度に100人近い人間を船に乗せ、河で沈没させて溺死刑に処したこともあった。

 破壊しなければ新しい家は建たない。邪魔な倒木は片づけて道を空けねば先に進めないのだ。
 だが、どこへ?・・・・・あの白亜の都市まで。
 とうの昔に滅びてしまったあの幻の場所へ、灰色の大地を渡っていく。
 足をすくうぬかるみに膝まで浸かりながら。
________________________________

 天地がひっくり返ってもおかしくないのに、ルイーズの周りに、ほとんど変化はなかった。
 ルイの家の庭先には人影がなく、窓辺には、伸びた枝が緑の影を落としていた。
 樹木も、一回り大きくなっていた。
 長女マリーも次女アンヌも嫁いでしまって、今は未亡人のマリアンヌ1人がたまに帰ってくる娘を楽しみにしていた。いい人達だったのに、フランソワと一緒になってからは、何となく縁遠くなってしまった。

 戦乱も平和もかかわりなく、子供達は成長し、風に乗って歓声が聞こえてくる。
 木を揺さぶり、川面に石を投げ、いずれ失われる時間が永遠であるかのように戯れていた。

(私は幸せなのだろうか)
とルイーズは自問自答する。少なくとも憎しみはなかった。
 ルイはどこかで、誰かを憎んでいるだろうか?
 自分に科せられた重荷に喘いでいないだろうか。走っていって、確かめたい気がした。

  そんな時、ルイーズの手元に送り主不明の封書が一通届けられた。中には5センチほどの紙束が入っているのが外からもわかる。原稿だろうか。
 ルイーズはペーパーナイフを掴み、もどかしく封を開いた。
 やはり原稿だった。見慣れた懐かしい文字が白紙の上で踊り、ルイーズは原稿の向こうから草の匂いのする風を感じた。