パリ・ノートルダム大聖堂/撮影・著者

 

少年サン・ジュスト⑧

 見慣れた街路樹も道も家並みも、いつもより白々しく見えた。
 自分の物であって自分の物でない、突き放したような感覚。
(ここにいても仕方ない)
 と、ルイは考えた。パリに行ったから、何が変わるわけでもなかったが、ここに留まるよりましだった。
 怒り、恨み、嫉妬、憎悪・・・・・・・・まだ遠雷のように予兆を秘めているに過ぎない感情。
 実感として沸いてくるのはまだ時間がかかるだろう。
 今は目の前にある虚無感を他人事のように眺めているだけだった。
 やがてパリに着く頃には、混沌は追いついてくる。理性では抑えきれない奔流が。

(後悔する。いや、後悔させてやる)
 ルイは午後の明るい空を見上げながら、目を細めた。
(世界は簡単に崩壊するものなんだな)
 それは彼が予想していたものよりも遙かに大きな奔流だった。
 内側からも外側からも焼き尽くされる気がした。
 ルイは薄暗い部屋の中を歩き回り、時折立ったまま原稿にペンを走らせては止め、髪を掻きむしり震え、そしていきなり笑い出した。 
 声が外に漏れるのもかまわなかった。どうせパリ中が狂っているのだ。
 長い間堆積していた鬱憤が、すさまじい力となって時代を押し流す。
 いたるところで暴動が起き、支配者を罵り、扉を叩き割っていた。
 
 笑って笑って笑い疲れると、頭の中に忘れかけていた昔の光景が流れた。 
 両手で顔を包んだ。爪が額に食い込んだ。指の間から嗚咽が漏れる。自分が崩壊していく音。
 蝋燭の炎が、ルイの動きに合わせてか細く揺れた。
 彼は紙に「革命」と書き殴り、机に置いたまま接吻した。
(さあ、俺を満たすもの、俺を陶酔させるものを与えてくれ。記憶の痛みを忘れさせ、この身を滅ぼすほどの恍惚を。早く!早く!早く!早く!)

 ルイの意識と呼応するように、暴徒が武器庫を襲った。
 王室の管理するバスチーユ牢獄さえ標的になった。武器を求めた群衆が牢獄を踏みにじり、中にいた兵士や司令官を引きずり出して虐殺した。
 降伏しようが哀願しようが、お構いなしの死と破壊。
 それをもって人々は「革命」と呼んだ。 
 傍観者に過ぎないルイは、浮かび上がる愉悦を隠しきれない。

{もっと破壊すればいい。もっともっと)
 誰が死んでもおかしくない。自分が巻き込まれても不思議ではない。
 この狂乱の中で群衆に踏み殺されるのも悪くない、と思った。
 何かの祭りのような興奮に身も心も預けて消えていく。
 省みる理性を粉砕し、記憶の全てを路上にぶちまける。
 犬さえ喰わない陳腐なエピソードの散らばる人生のどこに惜しむ価値がある?
 ルイは何かを呼ぶように声を上げながら机を叩いた。 
 一瞬だけ窓の外を槍の先に突き刺さった生首が通過する幻想を見た。

 パリ市長フレッセルも射殺されて首を切り落とされた。 
 もっと単純に機械的に殺す方法が必要だった。
 死なねばならない人間の数が多すぎる。
(まだ足りない。まだ俺は満たされていない)
 一年前ランスの大学を出て、平凡な職についた。
 そんなもので誤魔化されはしない。失った物の代償になるべき人生を手に入れるまで、諦めてたまるものか。
 パリで発生した流血の波紋がグラン・プール(大恐怖)としてフランス全土に広がった時、ルイは決意した。

(故郷へ帰ろう。今なら何かができる)