サン・ジュストの生家(窓)撮影・著者
           
少年サン・ジュスト⑤
        
          
「今帰った。」
 珍しくルイの方からジュレ家に来て、声をかけた。
 ルイを嫌うジェレ氏が不在だったのは幸いだった。
「たった半年なのに、背が伸びたね。」 
 ルイーズは目を細めた。
「顔の感じも変わったし・・・何だか大人っぽくなったみたい」
「君もな。女らしくなった」
「しばらく会わなかったから、顔を忘れていたのよ」
「俺は忘れていないよ」
 入り口まで見送って背を向けた時、ルイが思いがけない言葉を口にした。
「明日も来ていいか?」
 今までルイが、来るか否かを確かめたことはない。なぜならルイーズの方がつきまとっていたから。
 なぜ、今さら確かめたのだろう。
 ルイーズは微かに動揺した。

「言うことまで変わったわね」
と、ルイの頬に触れたとたん、何か異質な感覚が流れ込んだ。
「いつもなら、帰ってすぐに来てくれたから。顔を見ないと、どうも家に戻った気がしなくて」
「もう夕方よ。いつもはもっと早い時間じゃない?」
「教師と話していたら遅くなってしまった」
 遅いといっても、まだ日は傾きかけたばかりだった。夕日に染まる前の、かすかに色あせた青空。
 風に乗って、帰路を急ぐ馬の嘶きが聞こえてくる。
「また、明日ね」
 頬にキスをして、家路を急いだ。
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 麦のような穂をつけた草が、いっせいに東へとなびいた。
 毛足の長いジュータンのように滑らかに見える草原と向き合うように、ちぎれた雲の断片が走る。
 やや霞んで見える行く手の木立にも、遠ざかる背後の道にも人影はない。
 ルイーズはふりかえり、帽子の縁を押さえた。そうしないと吹き飛ばされる恐れがあった。
 水の流れのように鮮烈な初秋の風に、晒され過ぎて顔が干上がってしまいそうだ。

 ルイはどこまで行くのだろう。
「風に溶けて消えてしまいそう!」
 ルイーズが背中に向かって叫んだ。

 ルイーズは背後から距離を保ちながら歩いた。
 見渡す限り、2人だけの空間。それ以上近づいてはいけない気がした。
 お互いが別々の思いにふけりながら、微かな緊張感を投げかけあっていた。

「どこまで行くの?」
「言葉が見つかるまで」

 突然ルイの姿が消えた・・かに見えた。草の中に隠れていた石に蹴つまずいてハデな音を立てて転んだ。
 急に緊張が消えて、ルイーズはヒステリックなほど笑いたくなった。しばらく笑った後、寝転がったままでいるルイの顔を上から覗き込んだ。

「もう立ちなさいよ」
「こうしていると気持ちがいい」
「起こしてあげようか?」
 そういって手首をつかんだとたん、逆に反対の手で腕をつかまれた。
 引きずり込まれるように、抱きしめられた。 
 2人して、半ば草に埋もれて横たわっていた。
 彼の肌の匂いと草の香りが入り混じり、薄荷(ハッカ/ミント)に似た芳香がする。
 ルイは囁くように、ルイーズの額に唇を寄せたまま、動きを止めた。
 抱き寄せる、腕の力は変わらなかった。微動だにしないで時間が流れる。
 何がきっかけかはわからない。全てが目に見えない、ルイの中だけで起きた変化だった。

 激しい感情の奔流。
 制御するのを諦めた・・そんな感じだった。 
 ルイーズは初めて「生のまま」のルイを見た気がした。受け止めるには全身の力が必要だった。 
 異質な痛み。息苦しさに、思わず声を上げた。見開いた青い瞳が当惑で凍り付く。

「痛いのか?」
 ルイが、できるだけの労りを込めて囁いた。
「気にしなくていいから・・気にしないで」
 その顔に再び陶酔にも似た穏やかな表情が広がった。作り物ではない、本当の微笑。 
 ルイーズは片手でルイの頬を包んだ。彼はまた完全に自分を制御していた。
 激しく本音をさらけ出した反動のように取り澄ました冷ややかさが淋しかった。
 ルイーズは内心苦笑した。受け入れてもらおうなどと、期待してはいけない。
 理解してあげねばならないのは私の方だから。
 あなたがそう望みながら決して口にしないなら、私が代わりに言ってあげよう。

「明日、行ってもいい?」
「明日のいつ?」
「寝静まってから。窓に明かりを置いてね」
 ややあって、ルイが答えた。
 「わかった。約束する」
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 明かりを窓にかざした。ガラスの中に炎が揺れ、外の闇を遠ざけた。
(見にくいかな)

 ルイは音がしないように窓を全開し、窓枠に明かりを置いた。
 本当に来るのかどうか、疑ったとたん胸が重くなった。ジュリエットにでもなった気分だ。
 残念ながら月夜ではなかった。
 庭の菩提樹あたりで何か物音した。期待と照れ臭さが入り交じる中、首を突きだして目を凝らした。
 何も起こらない。かすかに失望した瞬間、灯火の投げかける半円形の光の中に、手が浮き上がった。
 ルイはあわてて右手をさしのべた。
 掴んだ・・・・この重み。しっかりした感触。充実感。
 指先から広がる恍惚。

「待ってくれ」
 ルイは一回手を離し、燭台を机の上に移動させた。
 それから窓枠に身を乗り出したルイーズの体を思い切り引っ張り上げた。

「よく抜け出せた。」
「ここまでの道なら暗闇の中でも地図が書けるわ」
「何だか気違いじみているな」

 声にならない笑い。バランスを崩してもたれかかったルイーズを受け止めながら、新しい悪戯を思いついたような笑いの発作がこみ上げた。世界が微笑みかけていた。
 一瞬の時間も惜しいかのように抱きしめた。物音も気にならなかった。
 どうせ母も妹も熟睡している。仮に気づかれたとして、だから何だ。 
 部屋の隅に沈殿した闇の中で、感触とは不思議なものだと思う。目がふさがれたかわりに、肌や匂いや味が、目で見る以上に鮮やかに対象を浮き上がらせた。 
 胸から腰へと続く滑らかな隆起、髪の柔らかさ、押し包まれ飲み込まれる瞬間の落ちていく感じ。
 微かな動きさえ、波紋となって全身へ広がっていく。

(俺達は、喩えるなら、月の光のように光と影がほのかに混じり合い、決して分かたれることのない薄闇。あまりにも似すぎていたので、どちらかが相手を飲み込んでしまいかねない危うさを秘めた分身同士)

「ルイ・・起きて。重い」
「ん?」
 ルイは寝返りを打ってルイーズの上からずり落ちると、そのまま再び眠りに落ちた。
 曙光の中で、その顔は空白だった。
 あの絶え間ない抑制、自分との葛藤の消えた、子供のような寝顔。
「風邪、ひくよ」
 無邪気に晒している裸体に毛布をかけてやりながら、ルイーズの中に喜びとは違う感情が広がり始めた。
 少しずつ闇が薄らいでいくようにゆっくり。悲哀?。何が悲しいのか自分でもわからない。
 あの瞬間、確かにお互いの垣根は消えて混じり合った。
 その先に見えた物は、ルイと化した自分だった。
 なぜかその逆はありえない気がした。幸福?それとも悲哀? 
 お互いの間の境界線が失せ、限りなく同質になることが。
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 高台にあるクーシー城は、平野を渡る風の通り道に位置している。
 手近な雑草を一本折って、頭の上で振ってみた。向かい風の日だった。
 ルイーズは一段と高い礎石の上を歩きながら、何かを思いついて立ち止まった。

「ねえ?今何考えているか当ててみようか?。・・新しい詩のアイデア」
「よくわかったね」
 ルイは身軽に礎石の上に飛び乗った。
「人目を引くような刺激的な内容。狂気と混沌の渦巻く世界だ。できたら、最初に君に見せるよ。」

(おもしろそうじゃない?。書いてごらんなさい)
 ルイーズの目がそう語りかける。いつどこにいても、見守る視線を感じた。
 もう一度子供になった気がした。「見知らぬ」両親の元に引き取られた子供ではなく、生まれた時からそばにいる母親の腕の中で育つように。温かい視線に包まれて、何の恐れもなく純粋に自分だけを見つめる時間が訪れる。
 手を握った。船が碇を降ろすように。帰る場所があると初めて感じた。
 待っている相手がいると。

(君も幸せだよね?)
 あまりに当たり前すぎて確かめる気にもならない。
(幸せなはずだ、俺がこれだけ幸せなんだから)