少年サン・ジュスト②
老人(ルイーズにはそう見えた)は、だいぶ以前から病んでいる様子だった。
部外者であるルイーズの目にさえ、ルイ・ジャンの死が遠くないことが予知できた。
口調はしっかりしていたが、その一言一言に深い響きを感じるのは、死を予感した者だけが持つ諦念だったのだろうか。
子供達を眺める瞳に強い光が宿るのもまた、その姿を瞳の底に留めるためか。
妻のマリアンヌは確か20歳ほど年下のはずなのに、似たもの夫婦という言葉がピッタリの、あまり若さを感じさせない物静かな女性だった。
もうずいぶん前から夫の先が短いことを悟っていたのだろう。
口数の少ない人々だったが、家の中にはかれらの思念が飛び交っている気がした。
ルイ・ジャンと長男のルイの間にも会話らしい会話はほとんど無かった。
それでも時折傍らに立つ息子の手や頭に祝福するように手をのせている姿を見ると、2人の間だけに行き交う会話が存在しているのだ、と思った。
老人はルイーズに向かって満足そうな笑みを浮かべて、声をかけた。
「可愛いお嬢さんだね。そうか・・ルイより年上なのか。どうりで落ち着いていると思った。」
ルイ・ジャンは言った。ルイーズはその言葉の後に続く感謝の念を感じ取った。
「可愛い」と言われたことへの単純な喜びもあって、すっかりこの老人が好きになってしまった。
夏が過ぎ、水の冷たさが増していった10月。
ルイ・ジャンは枯れていく木の葉と歩調を合わせるように、意識を失った。
やがて枕元に付き添っていた医師の代わりに、神父が呼ばれる。
助手が最期の秘蹟を授けるための道具を携えて後に続く。
避けては通れない人生の『場面』、他の者にとってはよくある一コマに過ぎない。
ルイーズにとっても何度目かに遭遇した『死』だった。
サン・ジュスト家の人々も、覚悟は決めていても、いざ家族の死と向き合えば、平静でいられるはずもない。
つめかけた隣人たちは慰めの言葉もなかった。
皆が泣いていた。ルイーズもつられて涙ぐんだが、泣くと頬が赤くなり、そばかすが浮き上がって見えるので逃げたくなった。
裏口の戸を開けると、屋内に溜まっていた熱気が逃げ、かわりに雨交じりの冷気が吹き抜けた。
たちまち床に滴が溜まる。雨だ・・・・ルイーズはぼんやり見つめていた。
その時、庭先に誰か立っているのに気がついた。ルイだった。
一歩外に踏み出したとたん、ある考えがルイーズの脳裏を貫いた。
この子は、父親が亡くなったと実感できなかったんだ。その辛さや喪失感を想像する暇がなかったから。ルイにとって、父親はいつまでも側にいるはずの人だった。父親から離れていた時間も、その心にのしかかっているはずだった。ルイは孤独だった。
泣いているのかと思ったが、そうではなかった。
目を見開いて、ジッと地面を凝視している。まるで地面に視線を打ち付けたように。
くせっ気の強い前髪から水滴が垂れていた。
ルイーズは横に並んで、声をあげて泣き出した。本当に悲しかったせいもあるけれど、ルイが泣けないのなら代わりに泣いてやろうと思った。
(本当は泣きたいんだよね?)
そう考えると、涙が止まらなかった。頬だけでなく鼻の頭まで赤くなった。
涙と雨と鼻水が混じり合って、顔中が洪水だった。
ルイが一瞬だけ不思議そうに目をあげたが、すぐにまた顔を逸らした。
雨が本降りになってきた。暗雲の影に、まだ聞こえてこない雷鳴の兆しが見えた。
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15歳になり、それぞれが身の丈にあった学校に通い始めるようになると、少年達は以前のように顔を合わせる機会が減った。
フランソワは収税吏の父の後を継ぐために。
13歳のルイは、友人ピエールのいるにサン・ニコラ・オラトリオ修道会の寄宿舎学校に。
ルイーズもまた以前のように遊び回ることもなくなったが、本質的に自分が変わったようには思えなかった。
少年たちとも顔を合わせる度にゲームや会話に興じている。周囲にいる少女達の、女らしい仕草にも違和感を覚えていたので少年達の中にいた方が引け目を感じないで済んだ。
両者の間には目に見えない線引きがなされていた。
女友達がメンタルな側面で異質に感じるなら、少年は伸びやかな腕の筋肉や低くなった声で、自分とは異なる存在だと教えていた。
顔立ちからは少年ぽい感じが消え、胸も膨らんできた。
ルイーズは宙ぶらりんだった。女だと自覚するには胸の膨らみも足りないし、足首の太さはふくらはぎと大差がなかった。しなやかに歩いてみせるより、坂道を駆け上がる方が似合う足。
自分は生まれ間違った少年のような気がしてならなかった。
そんな中ルイだけが、向き合っていても、「のけ者」にされた感じがしなかった。
ルイの容姿は中性的だった。
彼の華奢な手が好きだった。紙の上に、その白い指先にふさわしい筆跡が踊るのを見るのも好きだった。
あんな指があったら、自分ももう少し女らしくなれるのに。
逆に考えれば、ルイは男らしさくない事に引け目を感じたりしないんだろうか。
見たところ、自分の外見にも外界にも興味がなさそうだ。無理矢理外と合わせようとしなければ、劣等感など生じるはずがない。自分にしか興味がないという事は、ある意味楽な生き方だった。