NONSUCH PALACE
ノンサッチ宮殿


※16世紀後半のノンサッチ宮殿のデッサン画像※

 リッチモンド宮殿からそれほど離れていない、サリー州北部カディントン。
 ノンサッチ宮殿が建てられたカディントンの村と、村の聖メリー教会は、7世紀からあると言い伝えられてきた。少なくとも11世紀には地図には明記されていた場所である。

 宮殿の建設が始まった1538年は、ちょうど英国とローマ法王との断絶期にあたる。
 修道院解散も始まりかけた時期だった。
 ヘンリー8世は2000エイカーもの土地を占拠し、そこにあった村を撤去し、由緒ある聖メアリー教会をも破壊して新宮殿建設に着手した。

 建物じたいは1541年に完成したが、飾り付けは、さらに5年の歳月を要したという。
 フランス王フランソワ1世のシャンポール城に対抗するために建てられた宮殿で、総費用
は有名なハンプトン・コートより2万4536ポンド余計にかかった。
 平民なら年収が50ポンドあれば、「裕福」と言われた時代である。
 南側はルネサンス風装飾で、8つの飾り小塔が立ち並び、北側は中世風だった。
 そのシンボルである80フィート(1フィート=305ミリ)の塔は、化粧漆喰とスレートに覆われ、紋章付きの風見鶏がトップに置かれていた。

 ヘンリー8世は「またとない 宮殿There was none such other like the palace」という意味を込めて「ノンサッチ宮殿」と名付けた。しかしヘンリーは1547年に亡くなった。
 結局宮殿は、買い取ったアランデル伯の手で完成させられた後、1592年再び王室所有となった。

 どちらかというと、ノンサッチは住居方宮殿というより、狩りのための別荘として愛用されたようである。女王エリザベスは金銀や宝石で身を飾り、側近達も追いつけない速度で馬を飛ばし、獲物を追いつめるのが好きだった。
 そんな彼女がよく御狩り場として使ったのが、ノンサッチである。

 しかしエリザベスが崩御して、動乱の17世紀になると、ノンサッチは衰退して、崩壊の一路をたどる。
1665年、ロンドンにペストが大流行した時、大蔵省役人の一行がノンサッチ宮殿に避難してきたが、その一員だったサミュエル・ピープス(「日記」の作者)は、「かつては素晴らしい宮殿のはずだった・・」と嘆き、荒廃した庭園を歩き回ったという。

やがてノンサッチはチャールス2世王の側室/バーバラ・ヴィリアーズに下賜されたが、無類のギャンブル好きだったバーバラは、2万ポンドをすってしまい、その返済のために宮殿をバラバラにして売却してしまった。

 現在は、陶器やオベリスクの破片など跡地から掘り出された遺物が、大英博物館等に保存されているのみである。
                                                     
参考資料/
Tuder History Lara E. Eakins
女王エリザベス(上下)ヒバート 原書房
Epson and Ewell town site
    

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