温泉大好き~バース物語~

                                                         

中世英国人は比較的清潔好きだった。
男女ともに、朝起きて洗顔するのが普通だったという。
これが「どうして清潔好きなの?」というかといえば、1644年出版の「フランス式おしゃれ法」なるマナーブックの中で「毎日手を洗って時々顔を洗いま しょう」という記述があることからもわかる通り、フランス人に比べると、ずっとマシであった。
フランス/ブルボン王朝の開祖アンリ4世が、不潔さと腋臭のせいで「腐った肉のように臭い」と言われていたのに対して、同時代のエリザベス1世は、自分の排泄物の匂いにも耐えきれずに水洗トイレを発明し、口や体の臭い者を嫌ったという。

不思議なことに、英国人は現代より過去の方が温泉を好んだ。
「バス」の起原ともなった世界遺産にも指定された温泉「バース」は、今ではせいぜい一杯100円で鉱泉水を飲むぐらいであり、特別入浴施設はない。

しかし18世紀まで、英国人は温泉好きであった。
ウォルポールの1791年の書簡によると、「英国人はアヒルに似ている。いつも水辺をよちよち歩く。」とある。その100年後には、今度は「レミングの群れ」だ、と表現された。狂ったように集団で水辺に殺到したというのである。

英国人が温泉を好んだ理由は2つある。第一は、ブリテンは長い間古代ローマ帝国の植民地であり、ローマ人の持ち込んだ温泉施設が中世まで現役で使われていた。オックスフォードでは、11世紀までローマ浴場が使われていたという。

バースでは、16世紀までベネディクト修道会が温泉を管理していた。
修道会は街の中心に「僧院教会」を建立して、宗教&医療施設として活躍していた。当時温泉とはリゾートではなく、天然痘やハンセン氏病を治療するための場所であった。

1540年、ヘンリー8世が修道院を解散してその財産を没収した時、温泉の管理はバース市にまかされた。市の有力者は浴場を管理する役人を任命した。かれらは監督官一名に案内人数人からなり、案内人は浴場を清掃するのと同時に、入浴者の世話にあたった。
湯をくみ上げるポンプの管理をして市から給料をもらう以外にも、金持ちの客からのチップも期待できた。
1576年には、「キングズ・バス(中央浴場)」「ホットバス(温浴場)」
「クロスバス(冷水浴場)」の3つの他に、女性用、ハンセン氏病専用、馬用の浴場が作られていたという。

バースが有名になったのは入浴のためだけではない。
鉱泉の飲用もまた、効用があるとして、さかんに宣伝された。
バースへ治療のためにやってきた患者は、開業医の自宅に長期滞在する。
これが当時の「入院」であった。街の入り口には、医者を紹介するためのキャッチセールスがたむろしていた。

金持ちがリハビリのために来るのとは別に、貧民もまたバースに殺到した。
当時の教会は、貧しい信者を(費用を分担してやって)温泉へ送り込んでいた。
かれらは治療が終わっても、金持ちのお恵みを当てにしてバースに残る者も多く、市の外側には、貧民の掘建て小屋が立ち並んだ。
1572年、女王エリザベスは貧民に対し、バース市の治安判事が発行した許可証を携帯するよう命じた。

女王エリザベスはロンドンから離れるのを嫌ったので、160キロも離れた
バースを訪問することはなかった。そのかわり、体調を崩すたんびにゆっくりと湯に浸かった。
(普段はタライのお湯で体をゆすぐぐらいだった)
1526年、エリザベスはハンプトン宮殿で入浴と庭園の散歩で日々を過ごしていたが、間もなく高熱に苦しみはじめた。
天然痘だった。看病にあたっていた女官メアリー・シドニーが感染し、一命は取り留めたものの、顔が痘痕(あばた)で醜く崩れてしまった。
エリザベスは熱が下がりはじめると、再び湯に体をひたした。
水滴の流れ落ちる白い肌には、奇跡的にも何ら痘痕(あばた)は残らなかった。
もしこの時、エリザベスの顔がメアリーのように醜く変わっていたら、歴史は変わっていたかも
          
参考資料


路地裏の大英帝国 角山榮 平凡社
女王エリザベス(上下)ヒバート 原書房

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(次はイーストエンド地区物語)