top of page

東方三博士の礼拝(部分)ボッティチェリ作1475年 ウフィツイ美術館

16世紀エリザベス朝の男性ファッション(1)

 

15世紀まで、男性の下半身はバレリーナのようなタイツに似たスウェットなズボンでした。
  チョッキやコートはだんだん短くなっていき、主役の座をズボンへ譲ります。
 16世紀の男性用ズボンは総称で「Hose」と呼ばれました。

ハーバート卿の肖像/1570年代/ニコラス・ヒリヤード作/ナショナル・トラスト所蔵
(画像をクリックすると全体像が見られます)

Hoseは現在の水を撒く時のHose(ホース)と同じ単語ですが、大阪大教授・川北稔氏は「ホウズ」と表記されています。地下鉄を「Tube」と呼ぶのと同じ、英国風のユーモアではないかと思います。 Hoseは当初、15世紀大流行したスパッツのようなピタピタズボン(?)の腰の部分に詰め物をして膨らましたもので、当然足首まで繋がっていました。 ちなみにこの初期Hoseは、日本でもポルトガルから伝来し、「カルサン袴」と呼ばれて日本で大流行。なんと豊臣秀吉や徳川家康まで、このファッションを楽しんでいます。ちょっとモンペに似ています。

 

南蛮屏風 神戸市立博物館(部分)

醍醐寺花見屏風(部分)/江戸初期/豊臣秀吉像国立歴史民俗博物館所蔵 

 やがて一体型ストッキング型ズボンはすたれ、長い靴下の上にズボン(hose)をはくのが普通になります。
 靴下は 「ブリーチズ」または「ネザーストック」と呼ばれます。
 布製は安物で、上等品はガーンジーウステッドなどの上等なニットか、「信じられないほど高価な」シルク製品でした。
 なぜ「信じられないほど」高価だったかというと、ヘンリー8世がシルクの長靴下を偶然手に入れた時は、小躍りするほど嬉しかった、との記述があるほどです。
 まさに「値千金」の貴重品でした。(川北穣著・洒落者たちのイギリス史より)
 エリザベス1世女王も、1560年モンタギュ夫人から新年の献上品として、絹の靴下をもらってはき、その快適さに夢中になりました。シルク靴下の一般価格は4£(ポンド)から8£。当時、年収が50ポンドあれば金持ちといわれています

 

 Hoseの意味は何度か変化します。
 ズボンがタイツのような時代では、ズボン+靴下部分の総称を「Hose」
 やがてズボンと靴下が独立した形式になると、靴下のことをHoseと呼ぶようになった、と川北氏の著書にあります。
 現在の英米ではファッション史のHoseといえば、ズボンのことを指すようです

 
ザ・テイラー(仕立屋職人の肖像)/G・マローニ/
1570~1575/ナショナルギャラリー蔵

 15世紀、上着と下半身は1つ1つ紐で結んでぶらさげる形式でした。
 16世紀に入って間もなく変化が起きます。
 1)上着が短くなり、シルクにレースをあしらった繊細な仕立てになった
 2)いちいち紐で結んでいては活動的ではない。
 以上のような理由もあり、Hose(ズボン)は上着に吊すのではなく、革ひもを通して、ウェストでキュッと結ぶようになります。
 マローニ作の「仕立屋の肖像画」(上)では、紐はわざと目立つように外側に出ていますが、内側に隠して上着と一体型のように見せているものもあります。
 エリザベス1世女王の寵臣・ロバート・ダッドリーの肖像画のHoseでは、上着とHoseが同じ布で作られていて、一体感があります。内側で止める上下の紐とウエストで締める紐の両方があってのではないか、と思われます

 

レスター伯ロバート・ダッドリー/作者不詳
ナショナル・ポートレート・ギャラリー蔵

フェンシングの時に着る服/1580年代/メトロポリタン美術館

bottom of page