釜型軍鼓(ヘールバウケ)」を着たシャルル9世クルーエ作/1572/ルーブル美術館蔵
16世紀エリザベス朝の男性ファッション(2)
男性のズボン(英語ではHose)は、ヨーロッパ各地で少しずつ変化して発展を遂げていきます。
ドイツでは当初は動きやすさのため、上着にスリットを入れ、そこから下に着たシャツを見せるファッションでしたが、やがてズボンにもスリットが入るようになります。
スリットはさらに極端(?)になり、ついに薄地のゆったりしたズボンの上に、帯状に縫い合わせない布を垂らしたコランクホース(ブルーターホーゼ)なる不思議なファッションまで登場します。
神聖ローマ皇帝カール5世が力を持つようになると、スペイン・ファッションがヨーロッパ中に広がることになります。 ドイツがピラピラ、ひらひらしたものを好んだのとは対照的に、スペインでは衣服にヒラヒラしたひだを付けるのを公式に禁じられていました。
色も赤や華やかな色を好んだドイツとは異なり、モノトーンが好まれました。
足先まで包んでいた中世の布タイツは駆逐され、かわりにスペインでシルストッキングが発明されます。
これが英国では、当初は王様ですら入手困難な貴重品であったことは、パート1で書いた通りです。
絹では高すぎるので、英国ではジャージーやガーンジーなど高級ニット製品が出回ります。
このストッキングは「ネザーストック」と呼ばれます。
さて、ストッキングの上にはくズボン(Hose)には大きく分けて3種類ありました。
1)フランス風
中にきっちり詰め物がしてあるスペイン風「釜型軍鼓(ヘールバウケ)」と、普通にゆったりしたタイプと2種類あり、ヘールバウケの方はスリットを入れて飾りをつけました。
2)ガレー風
ガレー風とは、ガレー船のことであり、別名「船乗り用のでっかいズボン」
3)イタリア風
ベネツィア風ともいいます。長さが膝下まであり、靴下止めあたりで絹などを使って止めました。
英国ではその時々によってフランス風、イタリア風と流行が移り変わる中、しだいにHoseの詰め物が大きくなっていき、ついには膨らみすぎて議会に入りきれなかったり、一人では着脱が困難になるほど巨大化しました。
そのため議会には壁に固定した台座が設置され、かろうじて着脱することができたそうです。
残念ながら河上教授の本には、台座の具体的な使い方までありませんでした。
想像するに、台座にズボンを乗せ(?)固定して脱いだのではないでしょうか?
1562年から段階的に布告された贅沢禁止法(Sumptuary laws)が広まるにつれ、自粛の方向に向かいました。
議会の台座も1564年には取り外されました。
スペイン風のモノトーンは英国の日差しの弱い風土には合わず、華やかな色彩のHoseが好まれました。
ブリストル・レッド、ケンダル・グリーン、コヴェントリー・ブルーなど、その土地独自の色が生まれました。
1583年、スタブスの出版した「悪用の解剖学」によれば、貴族の男はフランス風、スペイン風、ヴェネチア風のズボンを高価な生地で一年の日数ほど持っていないといけない、と嘆いていました。
絹が高価なことから英国内では手編みのウール・ストッキング「ネザーストック」がもてはやされますが
16世紀末頃、ウィリアム・リーなる職人がストッキング編み機を発明したそうです。
しかし手編み業者だけでなく同郷人から憎まれ、ついに英国にいられなくなって、フランスのルーアンヘ移住してしまいました。
参考資料
モードの生活文化史1 マックス・フォン ・ベーン
洒落者たちのイギリス史 河上稔 平凡社ライブラリー