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メアリー・ブーリン/ホルバイン作/ヒーヴァー城所蔵

 

16世ルネサンスのメイクアップ
   

 当時の美女の基準にピッタリ合っていたのが、前述のレティス・ノウルズこと、レスター伯爵夫人です。レティスはアン・ブーリンの姉で、美人だったメアリー・ブーリンの孫娘でもあります。
 冴えない容姿だったアンと、そっくりの娘である女王エリザベスにとって、美女の家系であるレティスは疎ましい上に、長年連れ添った愛人ロバート・ダッドリー(レスター伯爵)を奪った憎い女でした。
         
 さて、そのレティスの容姿なのですが、残された記録によると、「細く弧を描く眉の下の明るい瞳、雪のように白い肌に血色の良い頬と唇、ブロンド」でした。
 中世の北部ヨーロッパと英国では、14世紀まで化粧品で肌を塗ることは一般的ではありませんでしたが、騎士道精神が普及するにつれ、理想的貴婦人として「雪のように白い肌」が求められました。英国で東洋風の鉛粉のパウダーについて、最初に記録されたのは1521年でした。
 鉛粉の他には、ミョウバンと錫と木灰のミックスペーストなども好まれました。
 しわ伸ばしと肌のつや出しのために、卵の白身も使われました。

 鉛粉のパウダーの起源は中国で、古代周時代に、すでに宮中で使われていた、との記録があります

(事物起源)
 日本では692年、中国から製法を学んで初めて国産の鉛粉が作られました。和名を「之路岐毛能(しろきもの)」「はふに」という別名もあります。

 この鉛粉は、おそらくシルクロードを経由してローマに入り、イタリアからヨーロッパ全土に広がったと思われます。16世紀末、慶長元和時代には再び日本で鉛パウダーが流行した、その同じ頃、遠い英国でもまた女王エリザベスを中心に、鉛パウダーが愛用されていました。
 口紅とチークカラーは、植物のアカネと黄土、コチニールの合成物が一般的でしたが、やはり発色がよいという事で、朱(硫化第二水銀)が好まれました。

 ニキビやソバカス消しも、初めはレモン・ジュースや薔薇香水が用いられていましたが、エリザベス朝に入り、水銀、ミョウバン、蜂蜜と卵殻の混合物に取って代わられるようになりました。
 また、肌を柔らかくする効果があるというので、ロバのミルクが乳液や、入浴剤に使用されました。

 明るい瞳に見せるために、ベラドンナ液を点眼して瞳孔を開きっぱなしにしました。
 また、レティスのような赤っぽい金髪にするために、髪を太陽光に晒したり、尿で髪を洗うなどの方法が用いられたようです。
 鉛パウダーも水銀の口紅も、皮膚から有害物質が吸収され、やがて肌をボロボロにしてしまいますし、尿の洗髪も嫌悪感を催しますが、それだけ「美」に対して必死だった証と言えましょう。

  参考資料 
女王エリザベス クリストファー・ヒバート
Elizabethan Make-up Drea Leed
後宮女性の美容 槇佐知子 国文学10
      

レスター伯爵夫人レティス・ノウルズ/1585/ジョン・ガウワー作/ナショナル・ポートレート・ギャラリー        

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