英語の砂糖(sugar)の語源には幾つかの説がある。
サンスクリット語の「sakara」、アラビア語の「sukkar」、古代フランス語の「sucre」イタリア語の「zucchero」・・・イタリア語源説を除いて、いずれも「S」から始まるのが特徴である。直接的にはフランス語の「sucre」が転じて「sugar」になった。
砂糖の原材料サトウキビは、稲科の多年草植物である。
茎の高さは2~3メートルにもなり、トップに細い葉が密集している。外見はちょっと竹に似ている。
そのサトウキビを圧縮してすりつぶし、取り出した液体を煮詰めたものが砂糖である。
なんと、サトウキビの1~2割が糖分でできているから驚きである。
手に取ってみると、人も撲殺できそうなほど太くて固い。東南アジアでは、今でもこのサトウキビを薄切りにして串に刺し、お菓子代わりに売っているという。
パプアニューギニアでは、1万7千年前から栽培されていて、それがインドネシア経由でインドにもたらされた、との説もある。現在では「インド原産」という説が強い。
ちなみに砂糖が黒砂糖という形で、日本に渡来したのは753年(天平宝勝五年)、鑑真が中国から黒持ち込んだのが最初であった。
ヨーロッパに伝わったのは、アレキサンダー大王がインドを侵略したさいに持ち帰った時から、とされている。
なぜか医師ガレーノスの記録によると、砂糖は「インドの塩」と呼ばれていた。
やがて砂糖は6世紀にイランやアラビアへ、8世紀に地中海沿岸に伝わった。
ヨーロッパでのサトウキビ栽培は、最初はクレタ島、後にポルトガルのマディラ諸島で細々と作られる大変な貴重品に過ぎなかった。
16世紀末まで、英国の一般的な甘味料はハチミツだった。
砂糖は「バーバリ糖」という、ブラジル産のポルトガルからの高価な輸入品である。
円錐形の塊で輸入され、砕いて売買されていた。
食品というより、ステイタスシンボルとして、一部の王侯貴族の宴会で、城や動物など豪華な形に仕上げてテーブルを飾った。中には大砲から弾が飛び出す仕掛けまであったという。
「sweetmeat」という聞き慣れない単語がある。「甘い肉」のことではない。
16世紀から19世紀まで、砂糖食品をさす、ポピュラーな言葉だった。
たとえばシュガーコーティングされたアーモンドなどのナッツ、またはハーブ類をブレンドした砂糖の塊などである。 これらは薬局で、薬として売られていた。
9世紀以降、「sweetmeat」という言葉は廃れ、かわりに「sweets」なる単語が現在でも使われている。
「sweetmeat」には薬品扱いの他に、砂糖煮の果物やスライスしてシュガーコーティングしたフルーツも含まれた。
こちらは朝食やおやつのたべものだった。
「mamalade(マーマレード)」はポルトガルの「Marmelade(マルメラーダ)」に由来する。
マルメロ(バラ科)の実やオレンジ、レモンをスライスして砂糖で固めたものを四角くカットしたものを意味した。英国には15世紀末から輸入されていた。
1626年のフランシス・ベイコンの記録によれば、「中東やトルコでは、マーマレードは水に溶かしてシャーベットという飲み物にして」るんだ、という。
英国でも、そのまま食べるだけでなく、飲料にしたと考えられる。
(サイト「The food timeline /のAbout sugar & sweeteners」より抜粋した原文(英語))
フルーツの砂糖煮については、高階秀爾氏の著書の中で、16世紀、フランス王アンリ4世と、側室ガブリエル・デストレにまつわるエピソードが紹介されている。
ある日、ガブリエルは国王の不在中、自分の部屋で愛人と抱き合っていた。そこに前触れもなく、国王がもどってきてしまったため、焦ったガブリエルは、愛人を隣の食料保存庫に隠した。
ところがアンリ4世は
「食料保存庫にある、フルーツの砂糖煮が食べたいから、もってこい」
と言い出した
もちろんガブリエルは何だかんだ理由をつけて隣室を開こうとしない。
怪しんだ国王は強引ドアをこじあけるが、愛人は小窓から脱出した後で、見つからずに済んだ、という
英国で砂糖が本格的に普及するのは、17世紀後半、ピューリタン革命以降、カリブ海沿岸で英国の植民地が増えて輸入に頼らずに済むようになってからである。
1620年、バルバドス等、カリブ海のイギリス植民地にサトウキビが栽培されていたが、1655年、ピューリタン革命でクロムウェルがスペイン領ジャマイカを占領したことから、「砂糖革命」が起きた。海岸に面する土地は一面サトウキビのプランテーションと化し、労働力確保のために、アフリカから黒人奴隷が運搬された。英国のリバプールから運搬された黒人奴隷がカリブ海につき、そこで汗して生産した砂糖が、リバプールに持ち込まれた、という。
砂糖の消費が拡大したのは、1650年前後に誕生したという「コーヒーハウス」によるコーヒーや紅茶の普及であった。
当初舶来品であった砂糖は、チャールス2世妃キャサリン・オブ・ブラカンザが、実家のポルトガルから持参した紅茶と出会う。砂糖と紅茶、いずれも16世紀 から17世紀にかけて、王侯貴族しか口にできない品物であった。しかし紅茶に砂糖を入れて飲む習慣は、18世紀には農民層にまで普及する。
18世紀中旬、英国人はフランス人の8倍砂糖を消費していた。
19世紀には、300年前まで輸入に頼っていた英国が、南米で産出した砂糖をヨーロッパに輸出するほどになっていた。 その時代では、砂糖はごく普通の調味料になっていた。
一方、やや遅れて16世紀末、フランスの農学者セールが、砂糖大根(ビート)から甘味料を発見する。砂糖大根は地中海原産のアカザ科に属する二年草である。
しかしビートから砂糖が作られるのは18世紀後半、1747年、プロシアの帝室科学アカデミーのマーグラーフが、ビートから砂糖の分離に成功した時からである。
大陸封鎖宣言でイギリスと断絶したナポレオン時代のフランスでは、サトウキビのかわりに、ビート
糖が奨励された。
しかしながら、保存性や栄養価の点で、サトウキビから作られる砂糖の方が上だった。
参考資料
世界の食文化17/イギリス 川北稔 農文協
世界たべもの起源事典 岡田哲 東京堂出版
歴史の中の女たち 高階秀爾著 文芸春秋社
サイトThe food timeline by Lynne Olver よりAbout sugar & sweeteners
サイト写真で見る沖縄