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 実録 「サン=ジュスト研究会の思い出」その1

             サン・ジュスト研究会に対する名誉毀損/損害賠償裁判の資料一覧

訴状(原文)
(裁判にいたるまでの過程について公式書類)

発言目録
(サン・ジュスト研究会が行った誹謗中傷の内容について)

名誉毀損の証拠/メール
(サン・ジュスト研究会が誹謗中傷を行ったことを告白しているメール)

プロバイダーによる情報開示
(メールを書いた人物を証明した書類)

判決文(原文)
(平成19年9月 19日 平成18年(ワ)第3720号 損害賠償請求反訴事件判決文)

サン・ジュスト研究会のサイト
(http://www.saint-just.ne.jp/)(http://www.kt.rim.or.jp/%7Evulcan/saintjust/


現在も続く誹謗中傷について

【サン・ジュスト】ケツアゴ主婦 9【名誉毀損裁判】
サン・ジュスト研究会に対する提訴を快く思わない人間による誹謗中傷

 

 このドキュメンタリーは、私が東京地方裁判所においてサン=ジュスト研究会 (www.saint-just.ne.jp/)のT氏に対し、起こした損害賠償請求の中で提出した「陳述書」を元にしています。書かれた内容は、すでに 裁判所とT氏双方で間違いないものとして認められています。(個人情報等は一切伏せられています)
ここではT氏との出会い、裁判に至るまでのT氏の誹謗中傷について事実に基づいて解説してあります。

匿名を利用しての誹謗中傷は犯罪行為であることを、少しでもわかっていただけたらと思います
また、サン・ジュスト研究会T氏が自白したのは、その膨大な中傷発言のごく一部に過ぎません
(裁判資料につきましては目安としてはこの秋までにもっと公開したいと思います。
 最終的には何年もかけて全て公開予定です)

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T氏(仮名)との出会いは、2002年6月、たまたま読んだ渋澤龍彦の本に刺激され、「サン・ジュストの小説を書いてみよう」と思いついたからでした。史 料を集めるため、ネットを検索していたところ、「サン=ジュスト研究会」のサイトを見つけました。私が参考資料検索のためにHPの管理人と連絡を取ろうと 思いついたのは、これが初めてではありません。日常的によくある事でした。

私はサイトの管理人であるT氏に「サン・ジュストについて小説を書きたいので、参考文献を教えて下さい」と問い合わせのメールをしました。その時私はサ ン・ジュストについて、包み隠さず「興味はあるけれど、好きな人物ではない」とメールに書きました。参考文献の請求に対してT氏は、「とても美しい小説で す。是非お読み下さい」とT氏自身の著作「サン・ジュスト」と評伝小説を紹介してくれました。自分の作品を「美しい」と紹介するのは「ちょっと変わってい るかな・・」と思いつつ、代金を支払い読ませてもらいました。

劇画の中のクーシー城のシーンには、T氏自身が書いたしおりが挟んであり、「この城の風景は見て書いたものではありません」と注意書きがしてありました。私はそれを読み、やや神経質で、完璧主義な人かも知れない、と思いました。

私はT氏の作品」が気に入ったので、是非自分でもクーシー城に行ってみようと思いました。
私と全く史観が違っていましたが、それなりに面白い作品でした。けれど一時史料、二次史料について全然教えてもらえなかったので、「もしかしたら研究会メンバーでなければ教えてもらえないのかもしれない」と思い、入会の手続きを取りました。

私が初めてT氏と「直接」会ったのは、2002年の9月だったと思います。
研究会の集会所は、ワンルームマンションの4階でした。エレベーターを下り、左側の通路の一番奥のドアに、サン・ジュストの肖像画のシールが貼ってありま した。ドアをノックすると、T氏本人がドアを開けてくれました。私は送られたメールの感じから、年下の女性を想像していましたが、私より年上の感じだった ので、やや意外でした。白いブラウスに黒いロングスカートをはいている痩せた無表情な女性でした。私はもっとも早く到着していて、翻訳会が始まるまで、部 屋に飾ってあるものをいろいろ見せていただきました。内部は8畳から10畳ほどの広さの細長いワンルームで、入り口から入ってすぐ左手にトイレがあり、ト イレを過ぎたあたりの左奥に、小さなキッチンがありました。部屋の壁には小さな美術館のように、T氏の書いたサン・ジュストの絵と、古いサン・ジュストの 版画が飾られていました。窓際の棚には、サン・ジュストの横顔を掘った15センチほどのメダルが飾られていました。

T氏は霧に包まれたオリジナルのサン・ジュストの肖像(T氏作)を示し、次にダビット作サン・ジュストの肖像画の模写を見せてくれました。奇妙にも、その サン・ジュストの模写はT氏の顔によく似ていたので、「何だかあなたと似ていらっしゃいませんか?」と感想を述べると、ギクリとして体を硬くしていまし た。後にT氏が、S子さんに当てたメールの中でT氏が「私がサン・ジュストの生まれ変わりだと気づいたのは二十歳の時」という記述と、以下の書き込みを思 い出しました。
ちなみに、ELLEというHNはプロパティにある実名からT氏と確定しています。
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    243 :ELLE :04/11/17 14:29:54 ID:XtwLCCYV

 SAIさん、あなたの霊能力を証明するために、私の「守護霊」を霊視してください。
 私の霊能力が偽のものであるとおっしゃる以上、私の「守護霊」と名乗っている霊よりも
 霊格の高い霊がついていらっしゃるのでしょうから、簡単なことだと思います。私は自分の
 前世に関して評伝小説を出しておりますから、ここでSAIさんが私の守護霊を正しく言い
 当てれば、私の名も晒されてしまうことになります。(乙21)


 710 名前: 本当にあった怖い名無し 2005/06/23(木) 17:42:32 ID:2mShVCRF0
(T氏本人の書き込み)
 >>709
 奥さんには、特別に教えてあげる。
 サン=ジュストのこと、色々詳しく調べてくれてたからね。
 俺の前世は、サン=ジュスト自身だから。
 T氏の小説のモデルは俺なの! わかった?(乙27)

 (T氏のメールより)
 自分が、サン=ジュストの生まれ変わりであると感じ始めたのは、20歳の頃…。
 …でも、そのようなオカルト話は、別の機会にいたしましょう。
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私は今日の集まりが「サン・ジュスト作翻訳会」だと聞いていましたので、てっきりT氏自身の翻訳のお手伝いをするのかと思っていましたが、実際にはすでに 2人の翻訳家に依頼して、二通りの翻訳ができていました。また訳注までありました。翻訳ができているのに、「この上何をするのだろうか?」と、とても不思 議でした。
見たところT氏は非常に発音や表現にこだわっており、翻訳者独自の意訳を好まないようでした。

屋内には、手前に長方形、奥に丸いテーブルがあって、私は奥の丸いテーブルの椅子に座りました。T氏はもっとも入り口に近い席で、遅れてやってきた教授は手前のテーブルにつきました。
私は原文と二通りの翻訳と、訳注のコピーを渡されました。やがて当日来る予定のメンバーが揃い、その中にはフランス語の解説をしてくれるという、T氏の知 人の大学教授も入っていました。T氏は2つの翻訳を読み比べて、「ここはこう変えて欲しい」といった注文を出していました。法律に疎い私は、見たところ翻 訳を依頼したのはT氏であるけれど、訳したのは別の人物なので、果たして著作権は誰にあるのか、疑問に感じました。T氏は「翻訳本が完成したら、自分で挿 絵を入れる」といっていました。私は初めて参加した人間なので、自己紹介を求められました。「個人的に英国16世紀史を勉強している普通の主婦です」とお 答えしました。そしてサン・ジュストの小説を書きましたので、興味のある方はどうぞ、と言いました。2人ほど手をあげて下さったので、コピーをお渡ししま した。T氏に対しては別個に、翻訳会が終わってから、御礼をいいがてら、手渡しました。最後のページを示して「T氏の作品を参考文献として記載しました」 と言うと、「そうなの」と、まんざらでもない様子で返事をしてくれました。その他には、T氏は私を警戒してか、なるべく話したくない、といった様子でし た。私はあまり気にせず、「下巻が面白かったので、上巻も欲しい」と言ったところ、上巻もう品切れでした。そこでT氏の手元に保存されている一冊を貸して もらいました。
その時T氏はいい訳をするように「上巻は絵に自信がないから・・」といった内容を話していました。私は別に下巻とそれほど落差があるとは思わず、楽しんで読ませてもらい、次の機会にお返ししました、

やがて休憩時間になり、ウーロン茶や紅茶が回されました。私はふと、ある掲示板の過去ログで、「死の大天使」というHNの、T氏と思われる書き込みがあっ たのを思い出し、「あちらで書き込みを見ました。私も書いてみたかったです」と声をかけたところ、知られたくなかったことなのか、ジッと黙ってこちらを凝 視するだけでした。続けて私は、T氏が喜ぶと思って、「2ちゃんねるにサン・ジュストのスレがあるんですよ」と声をかけました。その時も暗い表情で笑いも せず、こちらを見るだけでした。何を考えているか、うかがい知ることはできませんでした。

翻訳会の途中、時々T氏所有のIMacの、向かって左側に設置してあるファックス兼プリンターから、カタカタとファックスが入る音が鳴り、T氏が「今日、 誰それさんが遅くなるそうです」といった、連絡を読み上げました。ファックスがT氏個人宛であったことから、研究会の連絡網等がT氏一人を通して行われて いるのがわかりました。

何度も目の前でパソコンを使っている姿を目撃している事、サン・ジュスト研究会HPとマリー・アントワネットの2つのサイトを持っている事などから、T氏はインターネットには詳しい方だと言えます。
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 死の大天使 - 99/06/29 00:31:15
 コメント:
 N様・・・オペラなんですが このオペラのタイトルは「ダントンの 死」(DANTON TAD)といいまして、ドイツの作曲家ゴットフリート=ア イネムという人です。 上演されたのは、多分過去に1度です。 総スコアが私のとこ ろにあるんですがSAINT=JUSTさんはすご~い悪役のようです。
 さすがにドイツ語なので読んで見ようとは思いませんが・・・研究会の資料として出すつもりです。 そうそう、展示会もあると思います。お楽しみに!!

 死の大天使 - 99/06/21 00:23:42
 コメント:
 N様そしてk様・・・ 私のメール技術はへぼなのでお返事だ したの届いていますか??心配です。 研究会入会についてですが・・・所定の申込 書に記入していただきたいのですが・・・ すもませんが掲示板にその辺のことふれ て書き込みしてください。 送るために住所、名前が必要になりますが個人の秘密は 厳守しますのでよろしくお願い致します。ではお待ちしています。

 死の大天使 - 99/06/12 00:18:53
 コメント:
 本格的にサン=ジュストの研究会発足しました。彼とともに生きる日々???が スタートです。がんばるぞ!!!ではまた。
  「10-1過去の掲示板平成11年6月より抜粋)
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 翻訳会が終わった後は、藤木ひとみさんのサン・ジュストに関する短編小説の手伝いをした、というT氏の話を聞きました。また、小さなキッチンの隣にある 本棚から、澁澤龍彦氏のサイン入り本を見せてもらいました。薄紙に包まれた青い高そうな装丁だったので、少しめくった後「傷つけては申し訳ないのでお返し します」といって、手渡しました。他に、資料としてフランス革命に関する本を一冊貸してもらいました。それから彼女が今井光太郎著「ロマン・ロランとサ ン・ジュスト」という論文が手に入ったといって、欲しい人にコピーを配っていたので、私もいくらかお支払いしてコピーを分けてもらいました。私はそれを地 下鉄内で目を通しながら帰りました。
その晩、2ちゃんねるのサン・ジュストスレッドを見ると、T氏の書き込みがありました。
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 212 名前: オルガン 02/09/14 20:50
 今日はどーも!
 翻訳がんばろうね。

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