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千年のエクスタシー
ロンドン/セント・ポール寺院

                   
 ロンドンの中心『シティ』にほど近い場所。

 バチカンのサン・ピエトロ寺院を連想させるドームに十字型に広がった建物。
 ロンドンの記念碑、セント・ポール寺院である。『ポール』はキリスト教の基礎を築いた聖パウロの英語読みである。(イタリア語では『ピエトロ』)
 残念ながら、私は去年行けなかったので、写真でだけ知っている。
 内部は白と黒の市松模様の床が美しい。全長157メートル、高さ111メートル。
 かなり巨大である。私のイメージではサン・ピエトロ寺院というより、パリのパンテオンに近い。
 その地下に、やはり国民的英雄が眠っているせいだろう。

1805年10月、ナポレオンのフランス・スペイン連合艦隊は、33隻の軍艦で宿敵英国を襲った。迎え撃つ英国軍は、提督
ネルソン以下27隻の軍艦である。

 ネルソンは旗艦ヴィクトリー号に乗って13隻を率い、残り14隻は副官コリンウッドが指揮していた。
 英国艦隊は、北に向かって縦に伸びた敵陣に向かい、真横から突っ込んで行った。
 海上での白兵戦である。
 英国軍の弾は確実に敵艦を破壊していった。
 この戦いで、ネルソンはぶつかり合った敵船の、狙撃兵に撃たれて死亡。
 しかし戦いは英国軍の圧勝に終わった。
 ネルソンの遺体はラム酒に漬けることで保存され、陸地に運ばれた後、このセント・ポール寺院の地下に葬られたのである。

 セント・ポール寺院の起源は実に古い。創建は604年というから、奈良法隆寺より3年も古い。
 現存していたら、文句無く世界最古の木造建築物のはずだった。
 しかし10世紀、異教徒ヴァイキングの手により、炎上喪失してしまった。
 その直後から再建が始まり、300年の時間をかけてゴシックの大聖堂が完成した。

 中世のセント・ポール寺院は、雑然とした場所だった。いつも北側の扉と南側の扉が開け放たれていたために、石炭袋を抱えた人夫や、食べ物を積んだ荷車などが抜け道として利用したらしい。
 内部はまるで福祉センター兼ショッピングモールのように、一角で職業安定所が仕事を斡旋しているかと思えば、参拝客目当てのパイ売りやパン屋が店を連ねていた。ハンフリー公の墓などは、ホームレスのための無料食事サービスをする場所として使われていた。そんな中でも、ちゃんとミサは行われていたという。

 1660年には、寺院の中でサーカスが行われた。当時話題だった天才馬モロッコ君が、芸をしてみせるというので、ロンドン子たちが押し掛けた。モロッコ君 は主人を乗せて塔のてっぺんまで駆け上がり、「下で騒いでいる馬鹿ども」の拍手喝采を浴びたという。
 1689年、名誉革命によって即位したメアリー2世は、即位式前日、オランダのサーカスが塔の上から5メートルもの大旗を振るのを見物している。

 しかし中世が終わり、宗教改革の時代頃から、徐々に寺院は崩壊していった。
 16世紀には、あのヘンリー8世が、賭に負けたために、寺院の鐘を売り払ってしまった。
 清教徒革命の嵐吹き荒れた17世紀、クロムウェルは寺院の柱の一部であった信者席を焼いてしまったために、天井の一部が崩れてしまった。
 寺院の内部は、騎兵隊の宿舎に改造された。付属の棚や聖画は盗み出されるか、冬の薪代わりに燃やされた。
 もはや宗教施設というより、崩れかかったショッピングセンター同然だった。
 馬鹿げた商売のネタにもなった。手数料をもらって塔によじ登り、上から頼まれた人間の名前を連呼したり、悪口を叫ぶのである。
 やがて1666年、ロンドンの大火災。ロンドンは空襲を受けたかのように焦土と化してしまった。
 寺院もまた、高い塔を残して完全に崩れ去った。

 ロンドンの再建計画を担ったのは、有名な建築家、クリストファ・レーンだった。
 レーンは52の教会と宮殿を設計したが、中でもセント・ポールは、今までのゴシック様式とは異なる、サン・ピエトロ寺院に着想を得て設計された。現在の形は、1710年になって完成した。

 この寺院にもまた、おばけが出ることで知られている。
 18世紀以降、多くの教会関係者が同じ霊を目撃していた。
 灰色の僧服を身に纏った老人だった。静かな声で唄ったり、笛を吹くという。
 西側の壁近くでの目撃例が多かった。
 20世紀に入り、西の隅にあたる壁を取り壊してみると、そこから秘密の階段が見つかった。
 霊はその階段と関係しているらしい。

 写真で見るだけでも、その陰鬱なる壮麗さに圧倒される。
 1000余年もの間、何度となく火災に遭いながらも、決してその場所を動かなかった寺院。
 長きに渡り、ロンドンを見つめ続けてきた「聖地」セント・ポール。
                   

 

(次はタワー・ブリッジ)

 


               

参考資料
19世紀のロンドンはどんな匂いがしたのだろう 
ダニエル・プール 青土社
恐怖の都ロンドン S.ジョーンズ 筑摩書房

次はタワーブリッジ1

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