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レディ・ダーシー・オブ・チシェ、後のレディ・リヴァース、マリー・キトソンの肖像」
ブリティッシュ派 1590年頃/テート・ブリテン蔵


英国史の中の愛のかたち(5)未亡人と再婚その2

 ブライアによると、一般英国社会で再婚率が高かったのは、男性の助けを必要とする家業を持つ未亡人か、貧窮に面した女性が多かったという。英国国教会の牧師の妻は社会的に尊敬される立場にはあったが、下位の牧師では貧しい家庭も多かった。
 たとえばアビンドン地区のウルフ牧師の未亡人は、夫の遺産が11ポンド6シリング2ペンスしかなかったために生活に窮し、鍛冶職人と再婚した。しかし17世紀に入ると、そうした貧しい牧師未亡人を援助する団体が多く設立されたこともあり、慌てて再婚する必要がなくなった。

 16世紀末から17世紀にかけて、英国では、未亡人の再婚を阻止するというよりも、亡夫の財産を守ろう、という流れに変わってきた。それまで未亡人は再婚の有無に関わりなく、亡夫の不動産を自動的に相続できていたが、1580年代に入りコモン・ローが変更され、土地の謄本所有権が未亡人期間に限定されたのである。それによって、未亡人は再婚することで夫の財産を所有する権利を失ってしまうことになった。

 16世紀という時代は、英国の妻たちにとって、その前後の時代よりも遙かに結婚の自由が認められた時代でもあった。

 死を前にした夫たちは、妻が今後再婚することを前提にして、遺言書を書いた。中には再婚した場合でも、残された子供たちに自分の財産の一部を譲渡するよう定めたものもあったが、大半の遺言書は単に妻が相続人であることを確認した内容であった。

 そして夫の死後はコモン・ローによって、妻は夫の全財産を相続し、それから子供達に財産が贈与されたのだった。

 王室の場合を見てみよう。チューダー王朝、スコットランドのスチュアート王朝ともに王妃たちは夫である王の死後ほどなく再婚しているし、ほとんどの王が祖母や母の再婚相手の血を引いていた。


★チューダー王朝開祖ヘンリー7世の父方の祖母は、ヘンリー5世未亡人
祖父は未亡人の侍従であった。
★ヘンリー8世の母方の祖母は、グレイ家の未亡人。祖父は再婚相手のエドワード4世。
★ヘンリー8世の最初の王妃キャサリン・オブ・アラゴンは、亡兄の未亡人。
★ヘンリー8世の最後の王妃キャサリン・パーは、国王の死後、トーマス・シーモアと再婚。
★スコットランド女王メアリー・スチュアート(ステュアート)の母は、フランスのヴァンドーム候
未亡人、メアリー・オブ・ギーズ。
★そのメアリー・スチュアート(ステュアート)は、フランス王シャルル10世の未亡人。
再婚相手は、遠縁のヘンリー・ダーンリー。
★スチュアート王朝開祖ジェームス1世の父方の祖母は、ジェームス4世未亡人であり、ヘンリー7世
長女マーガレット内親王。再婚相手はアーチボルト・ダグラス。
★ヘンリー7世次女メアリー内親王は、フランス王ルイ12世の未亡人。
再婚相手はサフォーク公チャールス・ブランドン


 彼女たちは実に逞しく、自らの意志をもって再婚相手を選んだ。
 中には英国王のプロポーズを断った者もいれば、玉の輿に乗った者もいた。
だが大概の場合、王妃が再婚することは周囲の反発を買って、マイナス要因にしかならないことも多かったし、何よりカップルが破綻する可能性が高かった。


★ヘンリー5世の王妃で、未亡人キャサリン・オブ・ヴァロアは、再婚したことで幽閉された。
★グレイ未亡人エリザベス・ウッドビルはエドワード4世と再婚したことで、ヨーク王朝に不和を招いた。
★ヘンリー8世最初の王妃キャサリン・オブ・アラゴンは、兄の未亡人だったことを理由に強制的に離婚させられた。
★ジェームス4世未亡人マーガレット・チューダーは、再婚したことで国を追放され、再婚相手ともども妊娠中に、実家の英国に逃げ帰った。
メアリー・スチュアート(ステュアート)は再婚した相手を殺害した容疑で王位を奪われ、英国へ
 亡命した。


 彼女たちは、たとえ教会法に背いても、世間の非難を浴びても、あるいは命を危険にさらしてもなお、再婚する道を選んだ。
 それはおそらく最初の結婚が、全部と言ってよいほど政略結婚だったからだろう。一度は政略の犠牲となり、自らの意志を押し殺したからこそ、晴れて自由を手にしたとき、命がけでも自らの意志を押し通したのだ。
 16世紀の女性たちが他の時代よりも輝いて魅力的に見えるのは、「その意志の力」なのかもしれない。
               

参考資料
再生産の歴史人類学 アラン・マクファーレン 勁草書房
結婚・受胎・労働~イギリス女性史1500ー1800~メアリ・ブライア 刀水書房


次は「カップルと結婚」

 

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