ヴァン・ダイク作/貴婦人たち/1637年/ナショナル・ギャラリー蔵
英国史の(5)カップルと結婚
中世から近世へのイギリスの結婚記録を読むとき、まるで現代のドラマを見ているような気さえる。
「愛してる・・結婚してくれ」
「できないわ。その気になれないから・・」
エリザベス朝期のエセックス地方に残された民事訴訟の記録によると、ある女性が求婚者との結婚を拒んだ理由は「彼のことを愛したい気がしなかった」からだった。
1636年、ジョンという男性が、恋人だった女性から婚約不履行で訴えられた。
その時、原告である女性の妹は、いかにジョンが姉に惚れていたか、こう証言している。
「(ジョンは姉を)心から愛しており、ぞっこんに惚れていると何度も話しているのを耳にしました」
歴史研究家マーチン・イングラムによる「結婚訴訟の証言記録」によれば、14世紀から17世紀にかけての結婚観はほとんど恋愛中心であった。
同じく1450年代から1750年代にかけて、ノーフォーク集ノリッジの地方史を研究したホウルブルークもまた、訴訟記録から、当時の結婚が恋愛中心であったと指摘している。
カトリックでは、結婚を「独身でがまんできないなら結婚なさい」という、パウロの言葉にあるように欲望のはけ口として卑しむ傾向があった。(新約聖書コリント信徒への手紙7)
一方英国国教会では「エドワード6世第2の祈祷書(The second Prayer Book of King Edoward The 6」見られるように、結婚は秘蹟(サクラメント)ほど神聖でないにしても、神様が仲立ちする関係として尊ばれた。
新旧どちらの宗派も、結婚において個人の意志を優先した点では一致している。
14世紀頃から、愛を交わした男女は、さかんに「愛の印」としてプレゼントを交換しあった。
ハンカチ、手袋、指輪のように今でも通用するものから、彫り物をした編み棒、手紡ぎ用の道具、糸巻きといった、当時の生活をうかがわせる小物などであった。ラブレターの交換は16世紀以降盛んになった。
交わされた愛の言葉は、2人が婚約同然だったという証拠にもなった。
婚約中(内縁関係)と正式な結婚との間の区別もなかった。
アングロ=サクソン王国の時代から1753年の結婚法成立まで、結婚とは純粋にふたりだけの儀式であって、宗教も法律もいらなかった。ラブレターを送り、プレゼントを交換し、愛を誓い合って性的関係を結べば、世間は「2人は結婚した」と見なしたのである。 結婚式はお披露目に過ぎないことが多かった。
16世紀後半のリトル・ボドウとボーラムという村では、花嫁の10~20パーセントは結婚式の時点で妊娠していた。
この数字は16世紀英国では一般的な数値であった。ただ北部と西部地方は、25パーセントにはね上がった。
花嫁の4人に1人は妊娠して式に臨んだのだのである。
庶民の場合、結婚のお披露目はごく身内やご近所方だけで、花嫁、花婿、2人の両親、それに花婿の付添人と花嫁付き添い人程度の規模であった。
披露宴代わりには「ベッドのお酒(Bid-Ale)」「寝床のお酒(Bedde-Ale)」という古くからの慣習もあった。
近所の人々がカップルの新居に集まり、酒を飲みながら家政婦の手伝いをするというものだった。
17世紀に入ると、「ベッドのお酒(Bid-Ale)」には、ハロウィンのようなお祭り騒ぎも加わってくる。
17世紀末のウォートン地区では、新婚初夜に近所の少年達が押しかけてきて、金や食べ物・飲み物をよこせ、と騒ぐ「怒鳴り声(シャウト)」という習慣があったという。
1641年のある日、ヨークシャーで行われた結婚式の様子は、まるでヴァン・ダイクかルーベンスの絵でも見ているような、華やいだ空気が漂っている。
式の朝、カップルは引き出物として手袋を友人達ひとりひとりにプレゼントする。
花婿は自分の友達に、花嫁も自分の友達に、祝福の言葉をうけながら、来てくれた感謝の言葉を返す。
やがてドレスも着替えて準備が整うと、花婿は花嫁の手をとって、こう言った。
「いとしいひとよ、私はあなたがよろこんで結婚してくれることを望んでいます。」
そして花嫁にキスし、花嫁の父といっしょに教会へ向かう。
花嫁の方は、花婿の友人である若者達が先導していく。
しかし2人がいっしょに暮らすのは1ヶ月後のことである。約束の日の朝、婚資が支払われ、晴れて花嫁は友人達に付き添われて新居へ送られる。
そしてそこで新たに酒がふるまわれ、お祝いパーティーが開かれたのだった。
「君を夏の日にたとえようか
君はもっとも美しく、
もっともおだやか
あらしが五月の可愛いつぼみを
散らし、
夏の季節はあまりにも
短いではないか」
(ソネット 第18番)
参考資料
再生産の歴史人類学 アラン・マクファーレン 勁草書房
英国ルネサンスの女たち 楠明子 みすず書房
ソネット シェイクスピア集 中西信太郎訳 英宝社
新約聖書 新共同訳 日本聖書協会JBS