リスを抱く奥方の肖像/ホルバイン作/ナショナル・ポートレート・ギャラリー蔵 




 ここで意見が相対立する2つの資料から、英国における女性の再婚について語っていきたい。
 オックスフォード大学の女性史研究家のメアリー・ブライアの見解と、ケンブリッジ・グループ/社会科学研究委員会のマクファーレンの見解である。
 ブライアはフェミニズムの立場から、英国にも家父長制度があり、夫を亡くした女性は再婚するよう社会的圧力がかかっていた、とするのに対し、マクファーレンは、未亡人は男性にとって好ましい結婚条件であったから、再婚のチャンスが多かった、という。
 両者が一致しているのは、いずれの歴史資料でも、英国の16世紀の未亡人の再婚率が高い、という点と、再婚に対して社会的タブーが無かった点だった。

英国史の中の愛のかたち(4)未亡人と再婚その1

 この中の多くの女性が、夫が亡くなった後、家業を引き継ぐことを期待されながらも、1人ではれが困難な職業だった。
 貿易商、製粉所、ビール製造販売など、多くの職人を雇って采配をふるわなければならない立場の女性は、新しいパートナーを必要としていた。
 その一方で、夫から不動産資産を受け継いだ未亡人や、自力の経済的基盤を持つ女性は、独身を謳歌していたらしい。

 なぜなら一度結婚すれば、前述した通り「保護下にある女性(covered woman)」として夫の従属下に置かれるからだ。

「私は真に楽しい生活を送っていると思うのよ 
 亭主持ちじゃ味わえないようなね
 好きなときに寝て 好きなときに起きる 
 私がなすべき事は分別と手腕
 私は指図するけど 誰の指図も受けやしない 
 まるで私は真実の自由に到達したようだ
(『夫の死後、妻の味わう七つの悲しみ』コブランド(1508~47)著)

 教会は基本的に再婚には反対であった。聖パウロは、真の未亡人たる者は再婚するべきではない、と示唆している。

 新約聖書の聖パウロの「テモテへの第一の手紙」では、若い未亡人は「多情な女にならないよう」再婚は許すべきだ、としているが、基本的に一度結婚すれば、たとえ配偶者が死んでも、結婚は持続していると考えられた。
 従って再婚を「二重婚(バイガミー)」と呼ぶ。

 しかしその一方で、ピューリタン思想は夫婦を人生における最大のパートナー関係として、再婚を支持していた。

 英国において結婚とは、子供を持つためよりも、或いは他の家系との繋がりより何よりも、パートナーシップを優先していた事は沢山の資料からも推測される。
 1528年出版された「結婚の薦め(Comendacions of Matrymony)ハリントン著」でも、「夫はその妻を、妻はその夫を、自分の父親や母親よりも愛さなくてはならない」としている。
 それは、親と子の繋がり=「孝」を最優先として、妻と夫の精神的交流や愛を描いた文学が皆無である漢民族とは対照的であった。

 ローマ法では、喪に服している妻に、夫の亡くなった年内の再婚を禁じているが、英国のコモン・ローや教会法(カノン・ロー)では禁止しておらず、その気になれば未亡人は前夫の埋葬と再婚を一月以内で済ませる事も可能であった。
 それは男女ともに共通していた。
 極端な例をあげるなら、10月28日に妻の埋葬をして、11月5日に再婚した夫もいれば、夫が亡くなった翌日、葬式も終わらないうちに再婚した女性もいた。

 アールズコーン地区における1580~1740年の半世紀にかけて、結婚したカップルのうち、女性の13.5パーセントは未亡人で、男性の19パーセントが妻を亡くしていた。
 再婚するまでの時間は概ね男性の方が早く、一年以内に再婚するケースに限るなら、男性が平均5ヶ月だったのに対し、女性は平均8ヶ月の時間を置いた。

 英国では中世から、年長の女性は若い男性と結婚して、やがて若い男性が年取って妻を先に亡くすと、若い女性と再婚するパターンが一般化していた。
 処女性よりも、女性の豊かな人生経験と、男あしらいの巧さに価値を置かれたのである。
「ある独身男性は、なぜ彼が処女よりも未亡人と結婚したいのか、彼がその未亡人にプロポーズしたのは富が目当てではなく、経験から生まれる既婚女性らしい上品さのためだった」
(マクファーレン)

 未亡人は、いわば企業が即戦力のある人材を望むのと同じように、家事ややりくりの上手さでも期待されていた。

 サミュエル・ピープスの従兄弟は独身だったが、主婦役だった妹を亡くしたために、ピープスに、こんな女性と結婚したい、と語った。
「30代から40代の間で、子供がおらず、財産を持っている未亡人。お酒も飲まず、あまり野心的でない女性を捜してほしい。」

 女性も男性も同等にパートナーを亡くせば再婚することが普通だった英国では、死にゆく者は、そのパートナーに再婚するよう勧める場合もあったようだ。
 ジェームス1世の怒りを買って処刑される直前だったウォルター・ローリー(1552~1618)は、妻にあてた遺言の中で、こう書いている。
「君はまだ若いし、再婚しないよう差し控えているかもしれないが、そんな事は今の私には何の意味もないことだ。

 貧乏になるのを避けるために、そして子供達を守るために、よく考えて結婚してほしい。」

「金持ちの未亡人は再販、第三版と版を重ねた本のようなもので、いつも付け足し部分と修正を施されて再販される

(中世のドラマ/ガスナー著)」
「未亡人と結婚するのは皇子に相応しいことである。なぜなら、それは味見役を持つことなのだから。」
(中世のジョーク)」

 未亡人がアジアにおいては再婚の自由はおろか、その存在すら不吉なものと見なされた事は言うまでもない。

 インドでは長い間、夫の火葬と同時に妻を焼き殺すサティという風習があり、それに対する英国人の激しい嫌悪感から、英国のインド支配が厳しくなったほどであった。
 中国では魯迅の「祝福」という小説の中で、夫に死なれた妻が再婚したために「あの世で前夫と2度目の夫がおまえを奪い合うので、罰として、おまえはノコギリで2つに裂かれる」と周囲から非難される描写が出てくる。

 逆にイスラム社会では、未婚の女は永遠に神に呪われるとして、否応もなく再婚を迫られるのだった。

 イスラム社会でもアジア社会でも、未亡人は再婚するにせよ、しないにせよ、全面的に社会からの圧力によって動かされる。
 インドほど酷くないにしても、中国文学の中に現れる未亡人の悲劇は枚挙の暇がない。

 一例をあげるなら「ジョイ・ラック・クラブ(エイミ・タン著)」の中には、慣習を破りレイプ同然で金持ちの第4夫人にされた未亡人が、ふしだらな女として実家と縁を切られた果てに「私はかつて学者の第1夫人だったのよ」と嘆き、自殺するエピソードがある。

 しかし英国の未亡人は、基本的に己の人生に決定権を持っていたのである。
 その背景には古代ブリトンの時代から育まれた女性の地位の高さと、コモン・ローがあった。
 最初に「家父長権あり」という前提で語るブライアの理論は、やはり無理がある気がしてならない。
 
次は「未亡人と再婚②」