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少年サン・ジュスト⑦

 2人はクーシー城の手前で馬を下りた。
 子供の頃のように草に覆われた斜面を登り、崩れた城壁の間を抜ける。
 昔と違って、足場の悪いところでは自力でよじ登るのではなく、ルイが手をさしのべた。 
 いたるところで、瓦礫が緑と入り交じり、土台の上に木々が根を下ろして、少しずつヒビを広げていく。

「ランスの法科大学を出て弁護士になる」
「作品は書かないの?」
「わからない。」
 ルイは近くの木に手を押しつけて、どこか暗く笑った。
(誰かが後ろから押してくれたなら)

 ルイーズが一言、それを望むと言えば、彼はためらわずに踏み出していたかも知れない。
 しかし彼女は無言だった。
 諦めたようにルイは再び歩き出した。樹皮の感触を確かめながら、木を見上げる。
 時おり鋭い声を上げて鳥が飛び立ち、灰色の空に鋭い鳴き声が響く。
「本当のことを言うと、どちらの仕事も、それをこなしている自分の姿が想像できない。未来を想像しようにも、まるで見えない。考えれば考えるほど、暗い穴に吸い込まれていくような・・・・だいたい10年後、俺は存在しているのかな」
「10年たっても、まだ28歳じゃないの。死ぬには早すぎるわ」
 ルイーズは手を固く握りしめた。風が冷たい。
 真冬にはこの斜面も雪に覆われるだろう。白い地面に灰色の石壁がそびえる姿は、晩秋の眺めより、ずっと孤高であるに違いなかった。

「君は誰よりも俺を理解していた。君には他人に見えないものが見えるはずだ。言ってくれ。いったいどんな未来なんだ?俺達の未来は・・・」
 ルイーズはゆっくり目を上げた。
「あなたの人生に・・私の出番はないわ。あなたはあなたの道を1人で歩かなければいけないと思う」
「どこにそんな根拠がある!?」
「私にはわかるの。このまま私達が一緒にいたら・・あなたはいつか私を憎み始める。私があなたの意志に逆らうことを裏切りと感じて、本来送るはずだった人生を失ったことに激しく後悔する。私達がいっしょに暮らす姿が想像できない」

 ルイの表情が凍り付いた。
(私達は一緒にいてはならない)
 それは崩壊の予感。クーシーの崩れかけた城跡のように、時間という刃で削られていく音だった。
 過去や現在は夢を見せてくれても、未来は決して味方ではない。ルイーズはとうに悟っていた。

「もっとキチンと話してくれ。納得できない。納得などしたくない。意味がわからないんだ。なぜ一緒じゃいけないんだ?。ずっと一緒にいて作品を評論して・・・綴りの間違いを正して・・・俺だけに笑いかけて 尽くしてくれて・・・今もこの先も・・これからずっと、昔のように」 
 北風が声を散らした。必死の問いかけも、小さな呟きに変わった。
 追いついたのは塔の上だった。後ろから近づいて無言で抱きしめた。

「ジュレ氏のせいか?君の父親が・・・」
「父の考えなどに左右されたりしない。他の誰かがあなたに勝ったためしもないわ。・・・夢で見るの。何度も・・何晩も続けて。遠からずあなたが私を憎む夢。死にたいほど惨めだった。とても夢とは思えなかった。あなたは私が都合のいい人間でなくなっても、許せる?。お互いに失望して全てを壊してしまうより、離れていたい」

 崩れかけた手すりの遙か下に、石ころのように散らばった礎石が見えた。
 肌と肌を合わせながら、これほどの2人の間に距離を感じたためしはなかった。 
 殺意にも似た絶望感が走る。

「だいじょうぶ、安心して。たとえ私がここから転落したとしても事故にしか見えやしない。恨んだりもしない。自分で決めた以上、その責めを受けるのは仕方がないの」

 ルイは回していた腕を放し、両手で顔を覆った。
 帰る頃には、日が陰っていた。薄暗い玄関先で、姿が見えるより早く母親の声が飛んできた。

「ルイーズ、入らないで!今家に入ってはダメ!!」
 その声の後を追うように激しい音を立てて玄関のドアが開いた。

 屋内から漏れる光を背に、黒い岩のように立ちはだかる父親に、ルイーズは戦慄をおぼえた。
「おまえか・・・話がある。中に入れ」
 母親がよろめきながら叫んだ。
「あなた、落ち着いて!お願いだから、落ち着いて・・」
 ジュレ氏は妻を無視してドアを閉ざした。
「何でしょう、お父様。」
「おまえが・・・明け方あの若造の家から出ていくのを見た者がいる。他にもおまえ達が、恥知らずにも草の中で睦み合っていたという噂も・・・・」

 ルイーズは否定も肯定もする気がなかった。つまらない言い訳が通用しないことは、父親の真剣な目を見ればわかる。
「もし事実だったら、どうなさいます?。」
「それは今後のおまえの考え次第だ。もしあの若造と一緒になりたいというなら、私が何かする前に、今すぐ家を出て行け。二度と私の前に現れるな。それが嫌なら髪を切り落とし、修道院へ入れ。さもなければこの場で、おまえを絞め殺すかも知れない。」
 そう言いながら、ジュレ氏は体を震わせている。

「もし一緒にならない、と言ったら?」
「何だと?。」
「ルイとは・・・ルイとは一緒にならないと言ったとしたら。それでも出て行けとおっしゃいますか?」
 絶句する父親の目の前で、ルイーズの両目から涙がしたたり落ち始めた。
 後から後から止めどもなく。あのルイ・ジャンが亡くなった日のように。
 ルイーズは両手で顔を覆い、泣き続けた。
 どうしても、2人で過ごす幸福な未来が思い浮かばなかった。
 彼が見たのと同じ暗い穴に吸い込まれるような虚無感だけが広がっている。
 ややあって、ルイーズは顔を上げた。

「どこでもかまいません・・・私を嫁がせて下さい。フランソワでも構わない、誰でもいいから、嫁にやって下さい。そうすれば悪い噂も消え、お父様の対面も保てます。私も救われます・・・・」

 ジュレ氏は握りしめていた拳から力を抜いた。泣きじゃくり、本心とは思えない願いを口にする娘に、哀れみがこみ上げた。しかし抱きしめて慰めるのは意地が許さない。
「酷い父親かもしれない。」
 誰に言うでもなく、ジュレ氏が言った。
「おまえを責めるに値しないかもしれない。惨いことを言う男なのだ、この私は。だが、長年続いてきた伝統を誇りを、どうやって捨てるのだ。自分を縛る価値観をどうやって崩す?。・・・何も変わりはしないのだ。公証人は村の名士。それに逆らう者は惨めに終わる。それが宿命なのだ」
 目を閉じ、そう言い終えるとジュレ氏は娘を置いて立ち去った。
 夫がいなくなるのを待ちかねたように、母親がそっとルイーズの肩を抱いた。
「恨まないで・・・」
と、半泣きで囁きながら。 ルイーズは呟いた。
「お父様のせいではないの。私が決めたの」
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「君は俺と結婚したいの?それでも別にかまわないが?」
 フランソワはふざけて言った。いつものルイーズなら軽い悪態を着くだろう。
 今日は違っていた。
「それは本気?」
「え?」
「私があなたの妻になりたいと言ったら、結婚してくれるのかしら」
 ルイーズが言った。
 フランソワは並んで歩きながら、どう返事をしていいのかわからなかった。
「確かに俺はずっと君が好きだった。でも君の気持ちがよくわからない」
 手放しで喜ぶべきなのかどうか、複雑な心境だった。
「俺でいいのか?。本当に『俺』でいいのか?」
 返事がないので、もう一度尋ねた。尋ねながら、フランソワは内心自分が残酷だと思った。
(ルイーズに、心から俺を愛して選んだ、と言わせたいのか?)
 自問自答しながら、一抹の惨めさと勝利感を噛みしめる。

(本当はルイを愛しているのではないか・・などと事実を突きつけて何になる?。
 ルイーズが誰をどう想っていようが、俺の妻になる。 その事実だけで十分じゃないか。)
 フランソワはルイーズの肩をつかんで、こちらを向かせた。

「君が好きだ。どうしようもなく好きなんだ。だから、できるだけ自由にしてやりたい。好きなだけ小説を書いてもいい。でも、これだけは忘れないでくれ。君は俺の妻になる。他の誰のものでなく、俺の妻に。」

 ルイーズはしっかりと見つめ返した。
「わかっています。自分で決めたことだもの。裏切ったりしない」
「ありがとう。愛している」
 初めてフランソワはルイーズを抱きしめた。抱きしめながら、嫉妬を押し殺した。



             

 

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