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少年サン・ジュスト⑫

手を伸ばし、抱き寄せた。頬と頬が触れあい、ほどけた髪が肩にかかる。
何十、何百もの声にならない会話。泣けてくるほどに記憶をかきたてる肌の感触。
昼の白い光に満ちた空間に、伸びやかな四肢が混じり合った。
肉体は輪郭さえ失って、一点の濁りもない白さの中に溶け込んでいく。
2人の間に横たわる時間の壁が消え、今いる場所さえ忘れた。

歌にも似たリズムに身をまかせ、恍惚の波間に揺れる。
血の匂いが浄化されていく。歓喜のうちに。
我に還り、微かに汗ばんだ額に接吻した。
闇の帳のように褐色の髪が垂れた。

(なぜ私達は、こんな風に生まれついてしまったのだろう。)
 遠ざかれば惹かれ合い、近づけば反発する。さらに距離を縮めたら、互いの区別がつきがたいほど魂が混じり合う。垣根が壊れ、彼の思いで満たされた。

「死にたい、と思っているんでしょう?。そんな気がしてならないの」
 ルイーズが囁いた。
「どうでもいい・・他人の死も自分の死も」
 ルイは溜息をついて寝返りを打った。
「教えて。私さえいたら、こんな事にはならなかった?」
「わからない。眠い・・・ここ数日ほとんど寝ていない・・・」
「私はあなたに、生きる意味を与えてあげられた?。それとも誰がいようとも、奔流はあなたをさらっていったのかしら」
「俺にはわからない」

 眠れる胸に指を走らせて、鼓動を確かめる。生きている・・・・今はまだ。
 死の匂いを打ち消すように、唇に吐息を感じた。首筋に絡む若草の匂い。
 絶え間ない戦いの後の、静寂。
(いい寝顔ね)

 葛藤から開放された空白の顔を見下ろしながら、涙がこみ上げる。
(失われたものも二度とは戻らない。人は自分の人生の作者にはなれはしない)
 ルイーズは、遠い日を思い出した。太陽を横切る鳶。流れる雲。
 空に向かって腕を伸ばして少年が言う。

(パリは、あの雲のように遠い)

 彼女は光景を打ち消すように瞼を閉じた。
 それから声に出して言った。
「もう一度2人でまたクーシーの塔に登ろう。あの場所なら、この世の不幸は何一つ見えないから。」

 彼の髪を撫でながら、並んで横たわった。抱き合ったまま息絶えた仲のよい姉と弟のように。
 草の香りが蘇る。言葉を探して歩いた風の強い日。

(どこまで行くんだろう)
(どこまでも)

 夢の中で、少年は塔の上から彼方を眺めていた。
 ゆるやかに起伏する地平の向こうに、白亜の都が浮かぶ。
 少女は褐色の髪を風になびかせながら叫んだ。
「あそこに行ってみよう。まだ午前中だし、天気もいいから」
 少年はふりむいて微笑んだ。
「もういいよ。遠すぎる」
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 ルイは1人、早朝の霧の中に立っていた。もう誰も声をかけてくる者はない。
 切り離されたような静寂に囲まれている。

 権力闘争は終盤を迎えていた。
 負ければ死ぬ。それなのに勝算はなかった。

 このままもどらなかったとしたら。
 何処かへ。何処へ逃げる?もう逃げる場所がない。あの混乱以外に。
(俺は壇上から引きずり下ろされ、口を塞がれて殺されるだろう。それもまた良し、か。)

 この混乱に終止符を打ち、全てを無に帰す。自らの命も含めて。
 何かを想って想い続けることに疲れ果てた。
 意識そのものを消し去りたい。

 やがて来る昼の灼熱も忘れ、朝の冷気が清々しい。
 木々が一斉に緑の息吹を始める。終わり無き朝と昼の循環・・・
 (約束は守れそうにない、ルイーズ)

 1794年7月27日、身の危険を感じた議員達がクーデターを起こし、議会を占拠した。
 翌日ルイを含むジャコバン党23名全員処刑。2日間に渡って108名が粛清された。
 血の革命は終わった。
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 強風が木々を揺らして不吉な口笛を鳴らした。
 湿った空気が雨の接近を告げている。
 濃淡のない灰色の空が黒ずんだ。
 さっきまで心地よく子供を遊ばせていた庭先も陰っている。
 ルイーズはスカートにまとわりつく3歳になる息子を抱き上げた。
 すでに妊娠中期の、膨らみかけた腹部に、幼児の重さが堪えた。

 「もう中に入ろう。雨が来る」

 フランソワが声をかけた。
 「体が冷えてはまずいだろう。俺が抱く」
 手を伸ばすと、幼児は首をふって母親にすがりついた。
 「あら、甘ったれね」
 ルイーズは金色の巻き毛の頭を撫でる。
 不思議なもので、長い間子供に恵まれなかったのに、パリから帰ってほどなくこの子が生まれ、
もうすぐ二人目の子を授かろうとしている。
 フランソワはこの子をルイと名付けた。ルイーズはその名前を聞いて、瞳に複雑な影を宿しながら、
遠く悲しげな微笑を浮かべた。ルイが歩けるようになった頃、ルイーズが手をつないで村を歩くと
すれ違った人々は、一度は好奇の目で振り返り、やがて何かを諦めたように首をふって忘れた。

 フランソワは息子のルイを見る度に、懐かしいような息苦しいような、複雑な思いに駆られた。
(誰にも似ていない息子。いや、俺達に似ていないだけかもしれない)
 記憶に封印したはずの顔。
 息子の中に、輝かしい子供時代に見慣れていた、あの顔、あの瞳が蘇る。
 幼児が母親の肩越しに手を振る。青い目が笑みで細くなった。
 この子は作らなくても、笑顔が美しい。

 ルイーズと微笑み合う姿は母と幼い息子ではなく、かつての恋人たちのようだ。
(おまえは死に、俺は沈黙することで おまえへの借りを返しつつある。なぜなら、哀れでならないのだから。
 
 。息子は私の息子だ。それでいい)

 革命政権が倒れて3年の月日が流れても、安定した時代は訪れなかった。
 混乱の傷跡は大きく、毎年のように暴動とクーデターが起きた。
 外の世界の混乱など知らぬげに、ここでは別の時間が流れている。
 戯れる子供達と、新しい命。

「ルイーズ、次の子は女の子のような気がするよ。きっと君によく似ているだろう。そしてこの子とも仲がいい・・・。目に浮かぶようだ。いつもくっついて歩き、口喧嘩をし、遊んでいる2人の姿が。川に魚も取りに行くだろう。木にも登り・・・」
「そうね。私もそんな気がするわ。」
 空を見上げた。最初の雨粒が落ちてきた。

 The  end
            

(作者から一言)
読んで下さってありがとうございます。拙い内容ではありますが、自分が最初に書いた作品として
愛着があります。タイトルはサン・ジュストとありますように、フランス革命当時の1人の青年をモデルにしましたが、そういった固有名詞はいらないのではないか、と思いました。
私が描きたかったのは、のどかな子供時代をふり返り、去っていって戻らない時間を痛感する話です。
作品を書き上げた後、舞台となったブレランクールとクーシー城に足を運びました。私が想像した通り、のどかで素朴な場所でした。
また行ってみたいと思います。

  

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