キャサリン・ハワード
(1522~1542)

伝キャサリン・ハワード/ハンス・ホルバイン/英国王室蔵

 キャサリン・ハワードの系図

 キャサリンは1522年、名門ハワード家の三男エドマンドと最初の妻ジョイス・カルペパーとの間に生まれた。
 名門出身とはいえ、決して恵まれていたとは言い難かった。
 父のエドマンドは2代目ノーフォーク公の第3子で、兄のトーマスがノーフォーク公爵位を継承したのに対して、エドマンドは兄の下で暮らす、冷や飯食いの身分だった。
 しかも、実家を仕切っていたのは実の祖母ではなく、祖父の後妻であるアグネスだった。キャサリンの母のジョイス・カルペパーも、1527年、娘が5つの時に亡くなっていた。

 父のエドマンドは「もし庶民に生まれていたら、土を掘り返して人生を送っていたかもしれない」とこぼしていた、という。キャサリンの兄ヘンリーは、妹の非業の死の後、ノーフォークの田舎に蟄居してしまった事からもわかるように、キャサリンの家族はヘンリー8世に関わった家族の中でもっとも出世欲の薄い人々だった。

 義理の祖母アグネスは、特別キャサリンを厳しく教育しなかった。この当時の女性の教育は、しばしば体罰とセットとなっていたので、ある意味キャサリンは孤独な自由を満喫していたといえる。もしそのまま家に留まっていれば、恋人でもあった従兄弟のトーマス・カルペパーか、またはもう1人の恋人フランシス・デラハムと結婚していただろう。
 しかし運命は残酷に動いた。

 従姉妹に当たるアン・ブーリンが戴冠したのは、キャサリン・ハワード13歳の時だった。
 アン・ブーリンの母エリザベス・ハワードは、エドマンドの姉だった。
 つまりアンとキャサリン・ハワードは従姉妹に当たるのである。
 しかし世俗的関心の薄かったであろうエドマンドの一家は、これといった恩恵も受けなかったようである。

 貴族の娘に生まれた宿命として、キャサリンは義祖母アグネスの斡旋で、第4王妃アン・オブ・クレーフェの侍女として仕えた。しかし第4王妃アンを嫌っていたヘンリー8世は、キャサリンを見かけて、たちまち見初めてしまったのである。
 1540年、時にヘンリー49歳、かたやキャサリン18歳、2倍以上の年の差があった。

「The King's affection was so marvelously set upon that gentlewoman
  [Catherine], as it was never known that he had the like to any woman.
 Thomas Cranmer's secretary, Ralph Morice, in a letter to his master, 1540」
(国王の愛情は、これほど女性に対してはっきりした好みがあったのかと疑うまでに、この高貴な女性キャサリンに驚くほど注がれました。)
(クランマーの秘書官ラルフ・モリスが主に送った手紙/1540年/著者訳)

 アン・ブーリンのような野心のないキャサリンにとって、それはある意味法外な幸運であるのと同時に、困惑するような出世であったに違いない。
 キャサリン自身、または父のエドマンドがどう考えようと、伯父のノーフォーク公にとっては、またとないチャンスであった。キャサリンは伯父の出世のための、美しい生贄と言ってもいいかもしれない。
 伯父の強い勧めもあり、1540年7月28日、ヘンリー8世はキャサリンとハンプトン宮殿で、5回目の結婚式を挙げた。今回も派手な戴冠式は無かった。

 キャサリンは誰をも傷つけず、誰の死も望んでいなかったにもかかわらず、必要以上に悪女化された。
 キャサリンの死後、さしたる証拠もないのに、いろんな男と寝る尻軽女であるかの如く語られているのは、あまりにも哀れである。
 アン・ブーリンが罪もない前王妃やメアリー王女の死を望み、実際暗殺を企てているのに対し、キャサリンは、あまりに善良で無邪気だった。
 おそらくアン・ブーリンを擁護する人間は、善悪の区別がつくほど知能がないのであろう。
 自由恋愛と殺人未遂の罪の重さの区別もつかないのである。
(ただし、自由恋愛を罪と呼ぶならば、という前提で)

 実際にはキャサリンは、義理の娘であるメアリーに、同年代の友達のように話しかける明るい女性だった。
 王妃になってからも、本心は恋人のトーマス・カルペパーとフランシス・デラハムとの間で揺れ動いていたようだ。
 1541年8月、デラハムがキャサリンの秘書として仕えている一方、トーマス・カルペパーに対して、送った手紙が残されている。

「Master Culpeper,
I heartily recommend me unto you, praying you to send me word how that you do.It was showed me that you was sick,
 the which thing troubled me very much till such time that I hear from you praying you to send me word how that you do,    for I never longed so much for a thing as I do to see you and to speak with you,the which I trust shall be shortly now.
(カルペパー様。私はあなたが手紙を書いて下さることを祈っており、心から懇願します。
あなたは病気に見えます。私は決してあなたと話したいとか会いたいとか望めません
ので、あなたから便りが来るまでとても心配でした。私はいますぐあなたを信頼しなければなりません。)
(英文は原文通り記載/キャサリンの手紙/著者訳)

 1541年11月1日、キャサリンは伯父のノーフォーク公の口から叛逆の嫌疑を受けている事実を聞かされた。
 翌日万霊節のミサに参加しているヘンリー8世の元に、例の手紙が届けられた。
 4日、側近のロチフォード夫人が審問を受けて、キャサリンが不倫をしていたと証言した。
 カルペパーとデラハムはロンドン塔のボーシャム・タワーで拷問の末、不倫をしていた、と証言させられた。
 クランマーは直々にキャサリンを尋問したが、キャサリン自身は確かに王妃となる前はデラハムと愛し合い、夫婦のように暮らしていた時期はあったけれど、王妃となってからは誰とも不倫はしていない、と答えた。

 ヘンリー8世は激怒し、5日ハンプトン・コートを出てホワイト・ホール宮殿に移ったが、キャサリンは置き去りにされたまま、王との面会も許されなかった。
 一週間部屋に監禁された後、11月12日、キャサリンは正式に逮捕されて、サイアンハウス邸に移送された。誰もが自分だけは救われたい一心で、キャサリンを擁護する者も、無実を証言する者もいなかった。


「I found her in such lamentation and heaviness, as I never saw no creature,so that it would have pitied any man's heart in the world, to have lookedupon her.( Thomas Cranmer describes visiting Catherine after her arrest, 1542)」
(私はこれほど哀れな生き物を見たことが無かったために、世界中の男性の心がそう感じたのと同じく、深い憐憫と重さをもって彼女を見た。/逮捕後のキャサリンと謁見したクランマーの証言/1542/著者訳)

 キャサリンは11月22日、王妃の称号を剥奪され、2日後「abominable, base, carnal,voluptuous and vicious life(非常に不愉快で卑しく汚らわしく、淫乱な生活)の罪で起訴された。

 1541年12月10日、フランシス・デラハムは絞首刑の後、完全に死ぬ前に四肢切断の刑、トーマス・カルペパーは斬首となり、2人の首は1546年まで反逆者としてロンドンブリッジに晒されていた、という。
 翌年1月21日、王の意思を受けて貴族院はキャサリンの私権を剥奪し、罪人としてロンドン塔で処刑されることが決定したのである。
 2月10日、キャサリンはサイアン・ハウスから艀(はしけ)でロンドン塔に連行されようとした時、抵抗した。
 サフォーク公は強引にキャサリンを乗せ、艀は「反逆者の門」を通ってロンドン塔内に入った。
処刑場であるタワー・グリーンの正面にあるクイーン・ハウスに入ったキャサリンは3日後処刑される、と聞かされると、断頭台を持ってくるように頼んだ。
「たった一度の最後の行為なのだから、落ち着いて臨みたい」

 1542年2月13日、朝7時、キャサリンは静かに処刑台に上った。
 ヘンリー8世にとって、自分が王という以外に愛される価値もない事を痛感させる出来事だった。
 キャサリンは最後に「私は王妃としてではなく、カルペパー様の妻として死にたかった」と、発言したからである。

「ヘンリー8世など愛していませんでした」というに匹敵するほど堂々たる宣言をした彼女の最期には、むしろ清々しささえ感じる。
 キャサリンは先に処刑されたカルペパーを愛していて、それはヘンリーの権力をもってしても止める事はできなかった。この時、キャサリンはわずか20歳。ある意味、ヘンリー8世の「被害者」だった。

 参考資料/
The Tudor place by Jorge H. Castelli
Tudor World Leyla . J. Raymond
Tuder History Lara E. Eakins
The Tudors  Petra Verhelst
The Culpepper Family History Site
英国王妃物語 森 護 三省堂選書