キャサリン・パー 
(1508~1548)

 若いキャサリンの肖像「レディ・ボロウ」/ハンス・ホルバイン作の模写/
       
  キャサリン・パーの家系図

 
キャサリン・パーの父は、王室所有のケンダル城の護衛兵指揮官だった。1508年12月10日、彼女はロンドンのブラックフライアーズ邸で生まれたが、父はキャサリンが9歳の時に亡くなった。
 母親のモード・グリーンは夫亡き後、若いながらもよく家を支え、娘が3、4歳になった頃から、ギリシャ語やラテン語の教育を始めた。
 1526年、キャサリンは最初の夫であるエドワード・ボロウ卿と結婚した。
 この人物はリンカシャーの豪族で50代半ばであった、という以外ほとんど分かっていない。結婚後3年目には亡くなっている。

 2年後の1531年、ラティマー卿ジョン・ネヴィルと再婚する。今度もまた相手は42歳で2度も妻に先立たれている男性だった。キャサリンはロンドンから遠く離れたヨーク州のスナップ邸で、静かに暮らした。
 しかし1536年、ラティマー卿がアン・ブーリンの反逆罪に連座しそうになり、危ういところを逃れた事から、同年、第3王妃ジェーン・シーモア懐妊を機に、宮中へ上がる事となった。
 ラティマー卿もまた、キャサリンとの間に子供を残すことなく、1542年亡くなった。

 ヘンリー8世が新たに必要としていた妻は、子供を産む「女」ではなかった。
 病気がちなヘンリーを看護して、気を紛らわせ、癒しを与えてくれるような世慣れた貴婦人が求められた。
 そして選ばれたのが、キャサリン・パーだった。
 前王妃キャサリン・ハワードが処刑されて1年半年後の1543年7月12日、ヘンリーは6人目の妻を迎えた。

 キャサリンは王妃になるなり、最初の王妃キャサリン・オブ・アラゴンのように、政治的手腕を発揮した。
 同年12月、キャサリンの助言により、庶子として王位継承権を持たなかったメアリーとエリザベスの2人が、エドワード皇太子に継ぐ王位継承者と認められた。
 翌1544年7月、ヘンリーのフランス遠征に際しては、摂政として国政を任された。

 キャサリンは有能であったが、否、有能であったがゆえに、時として政治的陰謀に巻きこまれかねなかった。ヘンリー8世がプロテスタント嫌いだったのは、前述した通りである。
 1546年、プロテスタント独立派を弾圧すべく、トーマス・フロセスリーが大法官に任命された。同年5月24日、アン・アスキーという女性宗教家が異端者として逮捕され、拷問のあげく、キャサリン王妃との関係を自白させられそうになったが、アンは頑として口を割らなかった。7月16日、アンは火刑に処せられた。
 キャサリンは危険を察知して、アンの著書を全て処分した。

 ヘンリー8世はしばしばガウン姿でキャサリンの膝にもたれ、足の潰瘍の手当もキャサリン以外うけつけなかった。
 しかしある時、たわいのない会話から宗教論議となり、アン・アスキーら、プロテスタント独立派に賛同するかのような発言をしてしまった。
 大法官フロセスリーは直ちにキャサリンを陥れるべく、策動した。
 キャサリンが異端者であるかの如く、ヘンリーに密告したのである。

 それを知ったキャサリンはヘンリーを懐柔した。ヘンリーの意見全てに賛同して、
「女はこの世の始めから、男に従うように作られています。(women by their first creation were made subject to men)夫は妻を教育すべく全てに指図するものです。(men out to instruct their wives, who would do all their learning from them)」
と囁いた。「あなたは優れた教養と知性の王子ですわ」
 翌日キャサリンを異端者として逮捕すべくフロセスリーらが現れると、ヘンリーは怒って肩や頭を殴りつけた、という。

 その年の終わりから衰弱が激しくなったヘンリーは、翌年の1月28日、ホワイト・ホール宮殿で、ついに息を引き取った。キャサリンはその最後を看取ることはなかった。
 王からの感染を恐れて、前年のクリスマスからリッチモンド宮殿に退去させられていたからだ。年が明けた10日、一度だけヘンリーの病床を見舞ったが、以来、二度とそばに寄ることはできなかった。

 ヘンリーから解放されたキャサリンは、その年のうちに、昔恋仲にあったトーマス・シーモアと再婚した。今まで3回も結婚していながら、一度も子供を持たなかった彼女だったが、今回はなぜか、半年もたたないうちに妊娠した。
 決して幸せな結婚ではなかった。新しい夫トーマスは野心的な男で、王家の姫君を2人養女として引き取り、そのうちの1人、エリザベス王女(後の女王)と関係を持ったらしい。
 翌年の1548年8月30日、キャサリンは、グロセスターのサデリー城で女の子メアリーを出産・・・産後の肥立ちは悪く、高熱にうなされて、不倫の噂のあったエリザベスと夫を激しく罵った。そして6日後の9月5日、ついに亡くなった。

 は妻を看取らなかったばかりか、葬式にも参列しなかった。
 喪主も赤ん坊の洗礼も、もう1人の養女ジェーン・グレイが務めたという。
 遺体は近くの聖メアリー教会に葬られた。

 

(上)キャサリン・パーの肖像/作者不詳/ランベス宮殿蔵/
かつてはジェーン・グレーの肖像と言われていたが、最近の研究で否定され、つけているアクセサリーからキャサリンの肖像だと確定した。
(下)キャサリンの墓/サデリーの聖メアリー教会(Lara E. Eakins撮影)

 参考資料/
The Tudor place by Jorge H. Castelli
Tudor World Leyla . J. Raymond
Tuder History Lara E. Eakins
The Tudors  Petra Verhelst
英国王妃物語 森 護 三省堂選書