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ヴァイキングの船の船首飾り/9世紀頃/オスロ、ヴァイキング博物館蔵  

 

アングロ・サクソン系とケルト系が入り交じって早200年・・・・再びブリタニアは新たな客を迎えることとなった。
 8世紀終わりから9世紀にかけて、北海を荒らし回ったあのヴァイキングである。 

ヴァイキングとは、『入り江(vik)を行き来する者』という意味だ。
                         ヴァイキングの使用した船は、19世紀に幾つか発掘されている。 
ロンドン科学博物館にある模型では、長さ約24メートル、幅5メートル、だいたい小学校のプール程度の大きさしかない。
 
だが、1893年実物大の複製船で行った実験によると、28日間で大西洋を横断できるだけの性能があるという。

 
船の脇には16~ 20本ほどのオールが突き出た、ガレー船である。戦闘の際には舷に盾を並べて、漕ぎ手を弓矢の攻撃から守った。また、こうした小型船の他に、『クナル』という大型の積み荷用帆船もあったらしい。
 
ヴァイキングは初めスカンジナビアから海賊として単発的にやってくるだけだったが、遠すぎると思ったのか、やがてブリタニア東部沿岸に基地を作り、そこをベースに川を遡って侵攻するようになった。
 

かれらが特に狙ったのは宗教施設だった。
当時の修道院には金銀の他に、華麗な写本など金目のものが多く、宝の山だった。
キリスト教徒ではないヴァイキングは、容赦なく修道院や教会を掠奪した。
                         これに対して871年、ウェセックス王国のアルフレッドが即位するまで、7王国はなす術もなかった。 
7年後、アルフレッドはアッシュダウンの地でヴァイキングを迎え撃った。
 

ヘアルフデネ、バクゼッシの2人の族長率いる敵軍は、高地に陣取り、朝とともに雄叫びを上げて斜面を下り始めた。

 
その頃ブリトン人側の司令官エゼルレッド(アルフレッドの兄)はミサの最中で、祈りが終わるまで立とうとしなかった。
 アルフレッドは兄の命令を待たずに進撃を開始。弓矢をいかけるのも無視して、剣を手に突撃していった。
 
白兵戦は伯仲だったが、追いかけるようにミサを終えた兄のエクゼレッドが参戦し、戦況はブリトン優利に変わった。

 ヴァイキング側は敗走した上に、王のバクゼッシまでもが討ち取られる有様だった。 

この敗北で、ヴァイキング側はカトリックに改宗することを条件にウェドモア和平条約に応じた。
しかしブリタニアからヴァイキングを駆逐するには遠く及ばず、ブリタニア東部はかれらに乗っ取られてしまった。
デーン人とも呼ばれたかれらが支配した土地は、デーン人の法が支配する土地という意味で、『デーンロウ地方』と称された。


それから138年後の1016年、ヴァイキングはカヌート王のもとに大反撃した。 
その結果ウェセックス王国は滅び、ヴァイキングによるデーン王朝が誕生した。
 
カヌートはまたノルウェイとデンマーク王をも兼ねたので、以降20年あまり、ブリタニアはスカンジナビアの一部として支配されることとなった。
 

ちょうどアングロ・サクソン人がケルトを征服したのと同じように、ヴァイキング達も又現地ブリトン人と混じり合い、多くの足跡を残した。
 特に古代英語に大きな影響を与えた。
現在の英語にもスカンジナビアの痕跡が強い。
(例/skirt, sky, skin, などskのつく単語、動詞のareなど) 

ヴァイキングは海賊というより、海洋商業民族だった。北海、地中海、バルト海など広大な範囲がかれらの通商圏だった。
 
そのため、ブリタニアは中継基地として繁栄した。
 
10世紀のブリタニアには、他国には見られない上質の銀貨が流通し、その後の経済発展を支える基盤となる。       
また、たび重なる戦闘は当然のことながら戦闘員たる戦士の地位を向上させ、これが後に騎士階級となる。
奴隷制度も時代に合わなくなり、しだいに開放されるかわりに、農奴として領主のもとに仕えるようになる。

 
ヴァイキングの来襲が、結果として封建制度を生んだのである。
 
が、その支配は長くは続かなかった。1042年、アルフレッド大王の甥に当たるエドワードが亡命先だったノルマンディーから帰国してデーン王朝を武力で倒した・・・ウェセックス王国が復興である。
 

ヴァイキングから国を取り返したはいいものの、国内は内紛が耐えなかった。
 
ことにエドワード王の死後、王位をめぐって三つ巴の内乱が勃発したのだ。

 
一人はエドワードの王妃の弟ハロルド、もう一人はエドワードの母方の親戚であるノルマンディー公ギョーム、もう一人はヴァイキングの復権を目論むノルウェー王であった。
ハロルドはノルウェイ王を敗ったが、ヘイスティングスの戦いでギョームに敗れて戦死した。
 
ブリトン人vsバイキングvsノルマンディー人の戦いは、最終的にノルマンディー人が勝利した。
 
ギョームは英国風にウィリアムと改名して即位、『ウィリアム征服王』と呼ばれるようになる。
 
こうして、ノルマン王朝が始まったのである。



           9世紀のバイキング(想像図)

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