「ケルズの書」8世紀後半〜9世紀/ダブリン大学のトリニティー・カレッジ博物館所蔵

 ケルズの書とは、9世紀ダブリンの北西ケルズにあった修道院で製作された福音書の装飾写本である。
 その美しさは、ケルト芸術最高のものであると言われている。

 7世紀に入り、英国は最初の戦国時代に入る。各部族が分裂・統合を繰り返し、幾つかの国家が乱立した。
「7王国時代(ヘプターキー)」と呼ばれる時代である。
 最初はケント国、次はノーサンブリア、マーシア、といった具合に順次覇権(ブレトワルダ)を握ったが、どの国も天下統一には至らなかった。

 しかし8世紀の後半に入り、マーシア王が力を蓄え、「オファの長城」を建設し、大陸のシャルル・マーニュと対立するほどとなった。
 一方その頃、南部ウェセックス王国もまた強大化しつつあった。そして9世紀になって、ウェセックス王エクベルトはマーシアを敗り、他の国々をも臣従させ、ついに統一をなしとげたのだった。
                           
 ケルトの神話では、最初に大地にやってきたのはバーホロン族で、その最後の生き残りの人物マッカランが輪廻転生を繰り返し、ブリトン人が侵略される様を後世に語り継いだという。
 その神話(ダーナ)の神々は、アーサー王伝説に現れる円卓の騎士の原型である。

 ダーナ物語の主役をなすダーナ族は、フィモール族と長い間闘争を続けていた。
 ある時ドルイド僧はこう預言した。
『フィモールの王は、やがて孫によって殺されるであろう』
 預言を恐れたフィモール王は、自分の王女を塔に閉じこめた。

 しかし神の息子が王女を見初め、塔に忍び込んだために、やがてルーという男の子が産まれてしまう。父王の怒りを恐れた王女は、海の神マナナーンの助力で塔から逃げ出す。海の神マナナーンはルーを預かって、これを育てた。
 やがて勇者となったルーは、ダーナの地へ行くが、そこでフィモール族の軍勢と出くわす。

 敵だと思ったルーはフィモール兵を引き裂き、倒してしまった。
 知らせを聞いたフィモールの王は、ついに預言通り、孫が殺しに来たことを悟るのだった。

 ケルト神話に現れるのは国作りの話ではなく、絶え間ない闘争と憎悪の物語である。
 それはおそらく、ユングが指摘するような、民族的な記憶なのだろう。
                                   
 戦いの神々を崇拝していたブリトン人だが、すでに5世紀、キリスト教が伝来していた。
 5世紀にアイルランドに聖パトリックが、6世紀には聖コロンバが、カレドニア(古代スコットランド)に布教し、修道院を中心にブリタニアに布教活動を広めていった。

 やがて北部ケルト系キリスト教と南方ローマ系キリスト教(カトリック)の間で対立が起きたが、664年ウイトビー宗教会議で、とりあえずカトリックに統一されることが決まった。
 キリスト教と平行してラテン語も入ってきたが、ブリトン人は口頭で伝えてきた古代英語で神話や法典を残したのだった。

 大陸からローマ法と宗教、文字が入ってきた過程は、日本に律令と漢字が入ってきた過程と似ている。ゲルマン人もブリトン人も文字を持たなかった。
 しかしながら、この時点から、後の英国国教会成立を連想させるような、アングロ・サクソンの独自性と、南方系(ラテン)対北方系(サクソン系)の構図がうかがわれる。
 
 カトリックに合流したケルト系キリスト教は勢いを落とすこともなく、ヨークやカンタベリーを中心に勢いを増し、ついには大陸に布教活動をするに至った。
 8世紀には大神学者ベーダを生んだ。ベーダの弟子で、シャルルマーニュの元でカロリング・ルネサンスの源となった人物が、アルクィン(735~ 804)である。
 アルクィンはヨークで学んだ後、招かれてフランク王国へ赴き、そこで神学・天文学・数学を教える傍ら、図書館や修道院付属学校などを作っている。
                            
 入り組んだ唐草を思わせるケルトの渦巻き文様や組み紐文様は、中国古代殷器を思わせるようでいて、殷器の持つ不気味さは感じさせない。
 むしろ殷器にはない明るさ、軽やかさを帯び、絶え間ない民族間の抗争の中においても新芽のようなエネルギーが生じていたことをうかがわせる。
 ケルトの聖母像は不思議な形をしている。座った聖母マリアが抱いているのは幼子ではなく、ヒゲを生やした『小さな男』なのだ。
 ブリトン人にとってキリストとは、生まれた時から完全無欠な存在だったのだろう。