百年戦争拾い話~ アジャンクールの戦い~
Agincourt


100年戦争の最中である、       
1415年10月・・・・すでに冬の気配濃いフランス西部ソンヌ河畔。
そこには兵糧尽きて、カレー港へ逃げ帰ろうとする国王ヘンリー5世以下5000名の英国軍が、疲れた足取りで先を急いでいた。疫病が蔓延し、多くの将兵が犠牲になっている上に、近く冬の寒さが全員の体力を奪っていた。ヘンリー5世は少しでも早く、フランスの英国領カレーに逃げ帰りたかった。
しかし、簡単にカレーに行き着けそうもなかった。追ってが迫っているのだ。

兵士たちも将兵も、ヘンリー5世自身も、急速に接近してくる殺気を感じていた。
(追ってくる・・・)
背後にはシャロレ伯・オルレアン候を始めとするアルマニャック派率いるフランス軍25000の軍勢が迫っていた。
何としても河を渡り、逃げ切らねばならない。
英国軍はすでにこの地で、5000の兵を失っていた。

10月24日、ようやく渡河した英国軍は、前方ゆるやかな起伏にそって並ぶ木立の向こうに、何千という敵の旗が翻っているのを目撃した。
前夜から降り続いた雨のために足下はぬかるみ、馬の速度も落ちていた。
(ここまでか・・)

数の上では圧倒的に不利であったが、英国側には、ある兵器があった。
「大弓」である。撤退を続けていた英国軍はついに最終兵器ともいえる大弓が活躍する番だった。
強力な矢を前方ではなく、敵のやや真上を狙って放つのだ。

落ちてきた矢は、重力が加わって、すさまじい破壊力を示す。
実験によれば、丸太をも貫通するという。鉄製の鎧兜さえ防ぐことは不可能だった。

ヘンリー5世は国中の15歳から20歳の若者に、大弓の練習を義務づけ、さぼった者には罰金刑を科した。
自由農民(ヨーマン)の子弟は渋々練習に励み、そしてこの戦いに参加していたのだった。

翌10月25日。睨み合いは鬨(とき)の声に変わった。
ヘンリー5世は味方を叱咤して、弓兵隊の前に壕を掘り、杭を並べた。
騎馬隊の突撃を防ぐためである。

フランス側も、英国の大弓の威力はよく知っていた。
騎兵隊を使って弓隊を包囲し、殲滅する作戦を立てた。
しかし意気込みすぎてあまりに多数の騎士を投入したために、いざ総攻撃となった時、密集せざるをえなかった。たがいに押し合うようにして進む
フランス軍の上に大弓の矢が降り注いだ。避けようにも、そんな余地がなかった。

矢が馬を貫通し、次々と騎士は放り出された。
重い甲冑は、ぬかるみの中で身動きが取れず、そこに英国軍の歩兵が襲いかかった。

多くのフランス貴族が捕虜になった。しかし、背後には援軍のフランス軍が迫っていた。逃避行はまだ終わりではない。捕虜を連れて歩く余裕はない。ヘンリー5世は捕虜を皆殺しにするよう命じた。
泥にまみれながらの殺戮が繰り広げられる。その中には指揮官オルレアン侯も含まれていた。

この戦闘で、フランス側は10000の死者を出した。
かたや英国側の被害は1500人。

勝利を知ったヘンリー5世はふりかえり、近くに見える城塞を指し示した。
「あれは何という城だ?」
「アジャンクールでございます、陛下。」
彼は初めてこの地がアジャンクールという名だと知った。

英国軍はフランス側に追撃を許さず、無事カレーに到着し、ノルマンディーを制圧した。そしてトロワ条約により、フランス王女を妃に迎え、フランス王位への距離をさらに縮めたのだった。
この勝利は、まさに100年戦争での分岐点だった。英国軍の有利を覆し、フランスから駆逐するには、この後、奇跡の乙女ジャンヌ・ダルクの登場を待たねばならない。