1649年、3月、議会は「王は不必要であり、負担が多く、人民の利益に有害である」として王制と貴族院を廃止しました。 
 かれらは誇らしげに宣言します。
「英国人民はここに共和国、自由国家となる。この共和国、自由国家は、最高権威、すなわち議会における人民代表、ならびに人民の幸福のために議会の任命する。官僚によって王や貴族院なしに統治される(共和制宣言)」

「こんなはずではなかった・・」 最初に裏切りに気付いたのは、平等主義派のリーダー・リルバーンでした。  
 国民全員の選挙権と平等を信じ、提出したはずの「人民協約」が、いつの間にか議会によって大幅に改竄されていたのです。
 選挙権は貧しい奉公人などは除外され、金持ちの21歳以上の男子に限定されてしまいました。 
 財産も土地も共有などできない、という一文が盛り込まれました。
 しかも、一度も立法のために議会で審議にかけられなかったのです。いわば完全な「無視」でした。 
 目下の敵が抹殺された今、クロムウェルはその野心を隠そうともせず、標的をリルバーン達に向けました。 
 リルバーンら平等主義派は逮捕され、ロンドン塔に監禁されてしまいます。 
 この時ロンドン市民は釈放のために立ち上がり、数日で1万もの署名を集めました。(フランスのように暴動ではなく、あくまで議会民主主義にのっとった「署名」である点が英国らしい)さらに女性だけの1万人の署名が集まりましたが、それに対して議員達は一言、「女は家で皿でも洗ってろ!」 今や平等主義派はクロムウェルにとって、利用する価値の無くなった邪魔者に過ぎません。人民協約の実現のために立ち上がった兵士達はただちに鎮圧(注1)され、処刑されます。

注1)鎮圧1649年、平等主義派のリーダー・リルバーン、オーヴァトン、ウォルウインらが逮捕されてロンドン塔監禁、翌4月、アイルランド侵攻を命じられたウェリー部隊が侵略反対とリルバーンらの釈放を求めて決起。しかしクロムウェルに鎮圧されて、リーダーのロッキャーが処刑されました。 

 やがて絶望したリルバーン達は世をはかなんで出家し、政界から遠ざかります。 
 しかし、この平等への精神・革命魂は絶えることなく、差別の激しい英国社会の中に生き続けます。 たとえば1918年の女性参政権運動の時に誕生した国民愛 唱歌「新しいエルサレム」Charles Hubert Parry(1848-1918)にもその足跡が見えるでしょう。 

 1650年、亡命先フランスでチャールスの長男が、チャールス2世として即位を宣言すると、スコットランドとアイルランドがこれに同調します。怒ったクロムウェルはアイルランド侵攻を命じますが、その時軍の平等主義派は、21世紀の今でも生き生きとして通じる戦争拒否(注2)の宣言を出しています。
 
注2)戦争拒否
平等主義派のリーダーの一人・ウォルウインの言葉。
「アイルランドの原住民が、その正当な権利と特権と自由とを求める根拠は、れわれが英国で抑圧者の権力から我々自身の救いと自由を求める立場と、まったく同じものである。」


 しかしクロムウェルはそれを無視し、反対する軍の幹部を処刑してアイルランドを侵略・・多数の住民を虐殺します。その禍根は、21世紀の今になってもIRAなど過激派によるテロや、アイルランド系住民と英国系住民の対立として残っています。

 今でも英国人は政治意識の高い国民であり、私が英国に滞在している間にもブッシュ大統領&ブレア英国首相のよるイラク侵略反対集会に出くわしましたし、別 の場所でもイラク侵攻反対のチラシを受け取りました。リルバーン達の思想はまだ死んでいないのです。

 1994年フランス革命200周年記念のセレモニーに参加したサッチャー首相は、「平等や人権が生まれたのはフランス革命が最初ではない」と語っています。