Catherina「カテリーナ」・・・・それがキャサリンが親からもらった本当の名であった。
英国発音では「キャサリン」である。
この、スペインでありふれた命名の由来は、実はスペインではなく、英国にあった。祖母が英国ランカスター家から嫁いできたキャサリン王女だったのだ。
祖母は英国から嫁いできてスペイン風にカテリーナと呼ばれ、自分は英国に嫁いでいってキャサリンと呼ばれる。
キャサリンはそんな運命が神秘的に思えた。
父のアラゴン王フェルナンド5世とカスティリア女王イザベラ(イサベル)との間には5人の子が産まれた。
キャサリンは5番目の末子だった。
生後1歳の時、英国のヘンリー7世と王妃との間に長男アーサーが誕生した。
年齢的にふさわしい縁組みと考えた両国は婚約を考えるようになった。
正式に婚約が成り立ったのは14年後、1500年のことだった。
翌1501年の5月、キャサリンは英国に向けて郷里グラナダを離れた。
約半年をかけて英国のプリマス港についた一行は入国手続きなどを済ませて、
ゆっくりロンドンに向かう予定だった。
(キャサリンの故郷グラナダ)
毎朝のように田畑の上にたれ込める灰色の霧・・・じっとりとまとわりつくような湿った寒気。
キャサリンにとって初めて知る北国の晩秋だった。夜の闇は、故郷のスペインより深く暗い気がした。
英国に嫁ぐために、3歳の時から英語を習ってきたキャサリンは、日常会話を英語で話すほどだったが、未だに「キャサリン」と呼ばれることに軽い違和感をおぼえていた。
わかりきったことではあるけれど、自分の名前を失ったように何となく頼りなくて淋しい。
まるで王妃になるためではなく、故国から追い出されたような・・・・そんな淋しさをふりはらうように、キャサリンは道すがら歓声を上げ手を振ってくれる人たちに笑顔をふりまいた。
こんなに歓迎してくれる人がいるのだ、と強いて自分に言い聞かせるように。
しかし実際のところ、未来の夫となる人の一族の誰の顔も知らなかった。
特に婚約者のアーサーについては、ブロンドの髪で瞳が青いという以外、ほとんど情報が入らなかった。
優しい人なのか、たくましいのか、それとも・・・・会って失望しないように気を使ってか、何も教えてもらえないのだろうか?と、少し拗ねた気分にもなったり、きっとステキな人よ、と胸をときめかせたり、キャサリンの思いは日々変化した。
何となく憂鬱な時もあれば、逆におしゃべりになる時もあった。
どうしても不安なときには、母が荷物に入れてくれた刺繍セットを取りだして、大好きなザクロの花を刺繍したりして気を落ち着けた。
(アーサー様は、わたしを愛してくれるかしら?)そんな自問自答から目をそらすように。
ザクロの花。スペインではよく見かける、燃えるようなオレンジ色の花と、宝石のように美しい甘酸っぱい果実とを、キャサリンは気に入って、自分の紋章にしていた。
東洋では鬼神の果物と言われ、不吉だとされたザクロは、ヨーロッパでは多産のシンボルとして愛されていた。
そのザクロの木が、気候のせいか、この国で見かけないのがちょっと気になった。
(キャサリンの紋章・ザクロ)
1501年11月、ロンドンでの初顔合わせ前に行われた非公式の対面で、アーサー とキャサリンの2人は通じ合うものがあった。それが愛に変わりそうな予感をおぼえながら、2人は盛大な結婚式に臨む。続く新婚初夜で、2人は枕を並べて、 気を失うようにして眠りこけるまで、しゃべっていたらしい。
夜が明けて起きてきたアーサーは「結婚って喉が乾くものだね」と漏らしたという。
2人の間には当然何も起きなかった。
無邪気なカップルとは裏腹に、英国とスペイン間の外交は順調とはいかなかった。スペイン側は当初約束していた持参金20万クラウン(日本円にして8億五千 万円)を出し渋り、ヘンリーを苛立たせた。話し合いの末に、結婚時に半額の10万クラウンを、残りの半分は六ヶ月後に現金で支払われることになった。
結婚式から一月後。アーサーはいきなり、
「ウエールズに行きたい。」
と言いだした。
ウエールズは西の地方で、歴とした英国の一部ではあるものの、昔から独立の気運が高かった。
英国の王家はプライドの高いウエールズ人のために、代々皇太子を「プリンス・オブ・ウエールズ」と呼ばせ、かれらの領主とした。だから、領主であるアー サー皇太子が住んでもぜんぜんおかしくはないはずだが、ヘンリー7世はおもしろくなかった。いかにも父親に反発し、あてつけがましく独立を宣言されたよう な気がしたからだ。
「そんなに行きたければキャサリンは置いていけ。」
と、無茶なことをいう。アーサーは父の反対を振り切り、キャサリンを連れて厳冬の12月旅立った。
ところどころに低い木々の林がある以外は、田畑も少ないウエールズの荒野・・・・
風がヒースの野をなぎ倒すように、西から東へと吹き抜けていく。
その風に追われるように、ちぎれた雲の塊が頭上を通過していった。
「ロンドンより、さらに寒いのね。」
キャサリンは馬車を拒み、アーサーと並んで馬を走らせながら言った。
金色の髪が、旗のように後ろへなびく。
「後悔している?。」
アーサーが聞き返した。
「ぜんぜん!!。冬は嫌いじゃないわ。気分が引き締まるもの。」
毛皮のフードの下で、キャサリンが鮮やかに微笑んだ。
彼方に目指すルドルー城が、岩山の上に聳えているのが見えた。
悲劇はその直後に起きた。
アーサーがインフルエンザとおぼしき寒気と高熱に襲われた。症状は重く、医師も手の施しようがなかった。
看病に当たっていたキャサリンまでも同じ病気で倒れた。
キャサリンが再び目を覚ました時、全ては終わっていた。
アーサーは高熱が下がらないまま、息を引き取った。
遺体は三週間ルドルー城内の礼拝堂に安置された後、ロンドンにむかって出発した。
棺には、黒衣に身を包んだキャサリンが付き添っていた。
来たときと同じ道を、誰もが黙々と進んでいく。ふりかえれば岩山の上から別れを告げるように、淋しげな
ルドルー城が見下ろしていた。
ふと気づくと、キャサリンは一人、自分の城の中庭に佇んでいた。
英国の初夏。故郷グラナダのように乾いた明るさはないが、濃い緑に中にバラの花が咲き乱れ、高貴なまでの華やかさがある。キャサリンは急に故郷が懐かしくなった。
(・・お母さまに会いたい。)
胸を締めつけるような淋しさが押し寄せた。
「キャサリン?。」
呼ばれて、キャサリンはふりかえった。
エリザベス王妃が寄り添うように並んだ。
「バラがよく咲いていること。ここは日当たりがいいのね。」
キャサリンは顔をそむけた。できるなら、このまま放っておいてほしかった。
アーサーを死なせてしまった罪悪感から、とても顔を会わせる気になれなかったからだ。
「まだ自分のことを責めているのですね?。」
「・・・・。」
「両親でさえ、あの子の運命を変えることはできませんでした。
まして若いあなたに何ができたでしょう・・・・。
きっとアーサーは私たちが知らなかっただけで、初めから少年のままで死ぬ運命だったのです。」
キャサリンは両手で顔をおおった。指の間から、悲鳴に近い声があふれ出た。
「王妃様・・・わたしは、わたしは故郷に帰りたい。もうこの国には、わたしの居場所なんかありません。」
(スペインの小娘め、あいつが禍を運んできおったのだ!)
アーサーの遺体を見たヘンリー7世は、顔をひきつらせて叫んだ。
常に冷ややかで取り乱したことのない国王のその姿は、見る者の目に焼き付いた。
それを聞いた時のキャサリンの蒼白の顔も、誰もが忘れることができなかった。
エリザベスは包み込むようにしっかりとキャサリンを抱きしめた。
(キャサリン・・こんなに傷ついてしまって・・。)
抱きしめるより他に慰める術がなかった。
「あなたをそこまで追いつめてしまったのは夫に他なりません。あの人は・・・あの人はアーサーを失った
悲しみあまり、誰かに怒りをぶつけたかったんです。どうか許してあげて。」
二人は抱き合ったまま、無言で涙を流し続けた。
アーサーを亡くした国王夫妻にまっさきに突きつけられたのは、後継者の問題だった。
その時、エリザベスは5番目の子供を身ごもっていた。
(何て皮肉な話でしょう。もうすぐ孫の顔が見られると思っていたのに・・・。)
「男の子を産んでくれ。その子を跡継ぎにする。」
ヘンリー7世は言った。
「何てことをおっしゃいます!。ヘンリーがいるではありませんか!。」
「ヘンリーには王位は譲りたくない。あれは生意気な上に、エドワード四世
そっくりだ。チューダー家より、ヨーク家の血が濃いのだ。好きにはなれぬ。」
「わが子にむかって、何ということを・・。」
エリザベスは泣き崩れた。
まるでランカスター家の呪いのように、死の翼が次々とチューダー家の人々を覆う。
アーサー王子が亡くなった翌年には、王妃エリザベスがお産のために亡くなった。
国王は王妃の葬儀に参列できないという慣例がある。従って喪主は新皇太子のヘンリーが務めざるをえなかった。
王妃エリザベスの遺体は、倫敦塔を出て(エリザベスはここで出産して亡くなった)ゆっくりとウエストミンスター寺院へと進んだ。
「母上の夢を見た。・・・わたしを幼い頃のように抱きしめて『あなたが愛したいものを愛しなさい』と
・・・そう言った。なぜかひどく切なく、淋しい夢だった。」
そういって窓の外を凝視するヘンリーの瞳は、ガラス玉のように無表情だった。
エリザベス王妃が亡くなって、もっとも衝撃をうけたのがヘンリーであるのは誰の目にも明らかだった。
だが慣例により、国王は王妃の葬儀には出席できないため、皮肉にも喪主を務めねばならないのはヘンリー自身だった。ヘンリーはキャサリンの手を握り、
「どこにも行かないでくれ。」
と言った。命令ではなく、哀願だった。
「何もしなくていい。面倒なことは全てわたしがするから、ただ側にいてほしい。側にいるだけでいい。」
うつむいていたキャサリンは深々と一礼し、
「・・・・・わかりました。お心のままに。」
と答えて、ヘンリーの瞳を見上げた。
今まで義弟にすぎなかったヘンリーが、急にもっと近しく、愛おしいものに感じた。
ヘンリー7世には妻の死を嘆く時間はなかった。問題は山積していた。
その一つがキャサリンの処遇である。スペイン側が支払うと約束していた持参金は、結局10万ヂュカートのみ受け取ったきり、支払いが途絶えた。
それだけではない。アーサーとの結婚が形式的なものだったことを理由に最初から結婚などなかったものとして縁組みを解消してほしいと要求してきた。
ヘンリー7世はスペイン側に「持参金は返さないが、キャサリンには誰かいい婿を見つけてやる!」と言い返した。
実家と英国との間で板挟みになるキャサリンに、深い同情とともに愛を感じていたのがヘンリー王子である。
が、2人が結ばれることを、最も恐れていたのはヘンリー7世自身だった。
持参金をせしめて、なおかつヘンリー王子と結婚させずに済む方法・・・・
なんと、国王自身がキャサリンと再婚すると言い出したのだ。
当然キャサリンは拒絶した。
「わたしは・・・わたしは陛下の妻になりたい、と申し上げたことはありません。
なぜ・・なぜ皇太子様ではいけないのでしょうか。」
それは老いていくヘンリー7世の若い息子に対する嫉妬だったのかもしれない。しかし「心の闇」は巧みに隠蔽され、キャサリンを斬りつける刃となって吐き出された。
「アーサーを死なせた不吉な女を、皇太子の嫁にできると思うか?
皇太子には新たに別の王室から妃を迎える予定だ。もちろん、キチンと持参金を支払うだけの豊かな国からだ。払うと約束した金を半分踏み倒し、あろうことか残りを返せ、などというケチ臭い国の王女など用はない。」
(持参金もないが、『結婚してやる』)
これほど侮辱されながら、不思議と怒りを感じなかった。
逆にとことん侮辱されたことで、生への執着が吹っ切れたのか、恐怖さえまったく感じない。頭の芯が冷たいほど冴え渡り、押さえようのない言葉が口からあふれ出した。
「それなら、なおさら王妃などにはなれませぬ。義理とはいえ、一度は
父と思った方の子供を産むなど、考えただけで寒気がします。
だいたい実母のように慈しんで下さったエリザベス王妃にも失礼です。」
ヘンリー7世の顔が醜く歪んだ。
「ならば、一生この国で厄介者扱いのまま、朽ち果てるがよい!」
「ずいぶんと寛大な処置でございますね。わたしは陛下の命令に逆らった
のです。反逆の罪で首を刎ねられても仕方ありますまい。」
「・・・・死にたいのか。」
「はい。もう生きていたいとは思いません。」
その話を聞いて、本国スペインのイザベラ女王は思わず失神したという。
激烈な抗議の手紙が英国に届いた。そして惹かれ合う2人・・・ヘンリーとキャサリンの結婚が認められないのなら、直ちに本国へ返せ、と迫った。
ついにヘンリー7世は折れた。だが、できるだけ時間を引き延ばし、何とか破談にしてやろうと目論んでいた。
一方、心労のために病床についたキャサリンは、何とか命だけは取り留めたが、慢性的に病弱な体質となった。
後にそれが運命を大きく変えることとなった。
エリザベス王妃の死をきっかけに、キャサリンの心は ヘンリーに惹かれていった。だが、それ以上にヘンリーの想いは激しかった。2人だけになった時、ヘンリーは初めて見たときから義理の姉ではなく、一人の女 性として惹かれていたと告げた。そして、自分が即位したあかつきには妃になって欲しい、と言った。
「義姉とはいっても、形式だけだったのは周知の事実だ。
そんなものは何の問題もない」と・・・。
「かならず迎えに来る。」
ヘンリーはそう言って肩を優しく抱いてくれた。
「誰が反対しようと、かならず・・愛している。」
しかし、それを知ったヘンリー7世は2人が会うことを固く禁じた。
キャサリンを救ったのは、ヘンリー7世の死だった。
1509年4月22日、ついに英国の天下人ヘンリー7世は、52歳の生涯を終えた。その遺体はウエストミンスター寺院のエリザベスオブ・ヨーク王妃の棺の横に安置された。
彼は最期まで、キャサリンとヘンリーの結婚を認めようとはしなかった.。国王としては、新しい持参金をもたらす外国の姫を迎えてほしかったし、父親とし て、アーサーの死を思いださせる不吉な女を嫁にしたくない、というのが本音であった。だが、ヘンリーは父の死を確認した瞬間から、決意を固めていた。
もはや古い時代は終わった。
新王ヘンリー8世は即位を前に重臣たちを集めた。
重大な発表をするためである。
会議に現れたヘンリーを見たとたん、大貴族達の間で風のように目配せか飛び交った。もっとも気になっている問題を、誰かが口にしなければならない。皆の気持ちを代弁して、サリー伯トマス・ハワードが口を開いた。
「戴冠にあたって、お妃を決めていただかねばなりません。
して、どちらのお方に・・・。」
ヘンリーはそれには答えず、入り口の方を向いて「おいで」と声をかけた。ベールをかぶり、目を伏せて入ってきた貴婦人の手を取り、
「この人こそ、新しい英国の王妃である。」
と宣言した。紛れもない、あのキャサリン王女だった。貴族達は微かに驚嘆の声を上げた。
トマス・ハワードは異議をとなえた。
「旧約聖書のレヴィ記には、『兄弟の妻を娶る者は呪われる』とあります!子供は産まれることがないと・・。」
ヘンリーは一同を見渡し、
「同じ聖書の申命記には、兄が死んだら弟は、その財産と妻を引き継ぐように書かれている。だがどっちにせよ、
その女性が 真実『兄の妻』だった場合にのみ起きる問題だ。 亡くなったアーサーとキャサリンは名義上、
形だけ政略結婚 したに過ぎない・・・・処女であれば何の問題もない。 我々は愛し合っている。
もう、2人だけで結婚式も済ませた。 誰が何と言おうと、この人は、わたしの本当の妻だ。」
キャサリンはベールを取り、誇り高く顔を上げた。再び会議場にどよめきが起きた。
「先の6月12日、私はヘンリーと2人だけで式を挙げました。」
人々の脳裏に、エドワード4世が皆の反対を押し切って、未亡人エリザベス・ウッドヴィルと強引に2人だけで結婚してしまった故事が浮かんだ。その後、ヨーク王家が滅びたという歴史的事実も。
「愛のために何をすればいい?
糸スギの木を育てるように
待ち続けて生を終えるのか?
(ヘンリー8世1513年)」
1509年6月22日、ヘンリーは新王ヘンリー8世として即位。同日キャサリンも正式な王妃として戴冠した。
キャサリンは純白の衣装に金色の髪をなびかせ、白馬の引く馬車に乗ってウエストミンスター寺院へ向かった。
白は彼女の処女性の証明だった。キャサリンは新王と並んで冠を授けられることで、正式に英国女王となった。
即位して後も、キャサリンとヘンリーはこっそり宮殿を抜け出し、手を取り合ってロンドンの街を歩いたり、テームズの川岸で水をかけ合って遊んだ。その姿は、ごく普通のカップルと何ら変わりがなかった。
しかし100パーセントの幸せ・・というわけにはいかなかった。ヘンリー7世によって財産を取り上げられ、貧困と飢餓、激しいストレスの中にあった歳月が、確実に体を蝕んでいた。
結婚から2年後、何度かの流産の末、ようやく男の子が産まれた。
夫婦はもとより国中が喜びで沸いたのもつかの間、王子はたった2ヶ月で亡くなってしまった。
ヘンリーは気が狂ったのかと思うほどの嘆いた。
「ごめんなさい・・・本当にごめんなさい。」
キャサリンはヘンリーの腕の中で吐息のようにか細い声で呟いた。
ヘンリーは虚空を見つめたまま沈黙していたが、しばらくして
「もういい・・・私達は若いのだから子供ぐらいすぐできる。」
と答えて、指と指を絡めた。キャサリンは喉元まででかかった質問をかろうじて飲み込んだ。
(あなたには他に好きな女性がいるんでしょう?)
それを確かめたところで何の意味もなかった。「そうだ」と言われたら傷つき、「違う」と言われても信じられない。彼には自分とは違う世界があるという事実に変わりなかった。
(この世の誰よりも・・自分自身よりあなたを愛しているわ、ヘンリー。たとえ誰があなたの心を奪っても、私以上
にあなたを愛せる人はいない。なぜなら、1人の人間として、男として 生まれたままの姿を愛したのだから。)
キャサリンは眠りの渦に消えていく意識の中で、ハッキリとそう思った。
他の女がどんなにヘンリーを愛そうがしょせん権力に魅せられたに過ぎないのだ・・・・。
1512年、ヘンリーはスペインとの約束とフランスにおける英国領の復活という2つの悲願を秘めて、フランスに宣戦布告した。しかし結果はスペイン側が有利になるために使われたにすぎなかった。
英国軍がフランスを攻めようとすると、スペインは加勢を拒んだ。そうこうしているうちに兵糧も尽き、死者病人が続出し始めた。
「息子を返せ!」
「スペイン人は出て行け!」
ロンドン市民の間では、スペイン人への焼き討ち事件さえ起きた。
業を煮やしたヘンリーは、自分が出陣すると言い出した。
「行ってくる。」
ヘンリーはそう言って船上から微笑みかけた。
「朕がいない間は、おまえこそが英国の女王だ。今ほどおまえを妃に迎えてよかったと感じた例しはない・・・
このような重責を担える のはキャサリン・・おまえのような女だけだ。」
キャサリンは眩しそうに夫を、見上げた。がっちりした筋肉質の体に軍服がよく似合う。銀の兜に初夏の陽光が
きらめき、軍旗が翻る中でもよく目立った。
「行ってらっしゃいませ、陛下。お風邪を召しやすいお体にて、お気をつけになってくださいませ。」
「はは・・また私を子供扱いする。軍功を土産に持ち帰ろうぞ。」
ドーヴァーで夫の乗った船を見送りながら、しかしキャサリンには寂しさに浸る余裕もなかった。別れ際、ヘンリーはキャサリンの頬に接吻し、国をよろしく頼む、と言った。
1513年6月13日、国王率いる新たな英国軍がフランスのカレーに上陸・占領した。老いたフランス王ルイ12世に戦う意志はなく、戦況は英国有利に展開した。その知らせを聞いてほっとしたのもつかの間、遠くスコットランド
の方向から暗雲が近づいていた。スコットランド王ジェームズ4世が一方的に宣戦布告して、国境を侵犯したのだ。
(ヘンリーがいない時を狙って・・・。)
キャサリンは唇を噛む。教会堂のステンドグラス越しに降り注ぐ光の中で、一人跪いて祈った。
心の中で、何度も本国の母を呼んだ。
(お母様・・偉大なる天下統一の覇者、イザベラ女王よ、我に力を 与え給え。)
国境から伝令が届いた。スコットランド軍がノーサンバーランド州を攻め、ノラム要塞が陥落した。その後も次々と近辺の城を攻め落としつつあった。
「このままでは他の州まで占領されかねない勢いでございます! 何とぞ命令を!」
不安と心細さを押しのけるようにキャサリンは立ち上がった。
すぐに軍をノーサンバーランドに送らねばならない。
キャサリンはサリー伯爵トマス・ハワードを総司令に任命し、ロンドン郊外に6万の軍を徴集した。夫の甲冑に身を包み、兵士の前に現れた。
「神は、祖国のために立ち上がる者をかならずやお守り下さいます!」
キャサリンは叫んだ。もしサリー伯爵が負けたら、自ら出陣するつもりだった。
敵ジェームズ4世はヘンリーの姉・マーガレット王女の夫である。
妻の反対を押し切っての開戦だった。キャサリンは嫁いでいく直前の少女のあどけない表情を思い出した。もしかしたら、マーガレットを悲しませる結果になる かもしれない・・・今この瞬間にも、ちょうど自分がヘンリーの身を案じているように、マーガレットも必死で夫の身を案じているに違いない。だが、戦う以上 勝たねばならない。
(許して・・マーガレット。私はヘンリーを愛しているから、あの人の国を荒らす者を許せない)
密かに詫びつつ、サリー伯爵を送り出した。
1513年9月9日、フロッドンの戦闘。
進軍する英国軍の先頭に聖カスパードの旗が翻る。英国軍の守護聖人の印である。
戦いが凄まじかった。丘の上に陣取ったスコットランド軍は英軍を発見するなり坂道を怒濤のごとく駆け下りた。
大砲の弾が炸裂し、矢が降り注いだ。作戦の失敗により、スコットランド軍は全滅状態だった。
逃げ遅れたジェームズ4世も討ち取られた。フロッドンの野にはスコットランド兵の屍が累々と横たわっていた。
勝利に沸き立つサリー伯爵から伝令が届いた。国境を越えて、スコットランドに攻め込むべきか否か?
「このまま進撃すれば、今ならスコットランドを併合できます。如何なさいますか?。」
スコットランド併合は長年英国の野心であった。今なら・・・今ならできる。
しかし夫を失ったばかりのマーガレットをこれ以上苦しめることはできない。
キャサリンはスコットランド宮廷に使者を送り、これ以上戦うつもりのない意志を告げる。
そして幼い王子の即位を認め、英国と友好関係を保つことを条件にマーガレットを摂政役に指名した。
(勝った・・・)
遠く兵士達の鬨の声と、ロンドン市民の歓声が聞こえる気がした。
キャサリンはフランスにいるヘンリーに手紙を書いた。
「私が陛下とのお約束を無事果たすことができました。そうご報告できることを嬉しく存じます。
このたびの勝利は陛下と陛下の王国にとってフランスの王冠も及ばぬ名誉でございます。」
ペンを取りながら、キャサリンの胸にヘンリーへの思いがこみ上げた。
全てはあの人のために・・・あの人を愛しているから・・・。
「お帰りなさいませ!」
キャサリンは両腕を広げてヘンリーを出迎えた。2人は人目も憚らず抱き合い、頬を寄せた。
「よくやった。立派だったぞ。」
「陛下のためを思えばこそでございます。」
国民はキャサリン王妃へ嵐のような歓声を上げた。
それはスコットランドを迎え撃った勇姿への惜しみない賛辞であった。帰還した国王に対しても歓声は上がったが、キャサリンに対するほど熱狂的ではなかった。戦いの質も違っていた。
ヘンリーは誇らしく思いながらも微妙に心が陰った。
その頃、ふたたびキャサリンが身ごもった。
「まだか、まだ産まれないか?まさか、前のように死んで 産まれたわけではあるまいな?」
ヘンリーは産室の前で王妃付きの女官をせき立てた。女官は困り顔で、
「不吉なことを・・・もう少しお待ち下さいませ。」
と、いうが早いが、産室の中から元気の良い産声が聞こえてきた。
「おお・・産まれたか!」
ヘンリーは両手を広げて天を仰いだ。
1516年2月28日、キャサリンは女の子を産んだ。何度も流産と死産の後、ようやく授かった元気な赤ん坊だった。キャサリンの親しい友達であり、義妹でもあるメアリー王女の名にちなんで「メアリー」と名付けられた。
ヘンリーは喜んでこの子のために独立した宮廷を作り、貴族たちに国王や王妃に対するのと同じように跪くように命じた。
ヘンリーもキャサリンも初めて授かったわが子に夢中だった。ヘンリーは外国からの使者に会うにもメアリーを抱っこして現れた。メアリーは父親にだった。ふっくらした顔、赤っぽい金髪といい
ヘンリーの生き写しのようだった。それがなおさら夫妻には可愛くてならなかった。
メアリーの誕生でよりがもどったかのように見えた夫婦仲は、しばらくするとまた冷め始めた。キャサリンはヘンリーに会えない時間を政治に費やした。祖国スペインの動きも気になったし、国内の政治にも難問が
堆積していた。羊毛の織物輸出によってしだいに英国は豊かな国になっていったが、その一方で羊を飼うための土地を確保するために貧しい農民達が追い出され、社会問題と化していた。
そういった農民がロンドンに流れ込み、日々治安が悪化していた。不満は豊かな外国商人に向けられた。
1517年5月1日、ロンドンで大規模な暴動が起きた。ただちに軍隊が出動して2000人が捕らえられた。
その首謀者400人は、いずれも貧しい農民や労働者で、十代の若者が多かった。
「殺せ!」ヘンリーは容赦なく言い放った。ヘンリーが怒り出すと誰にも手をつけられない。
ましてチューダー家は、逆らう者は殺す、逆らう可能性のある者は殺す。それが家訓ではなかったのか。
知らせを聞いてロンドン中が戦慄した。興奮が去ってみれば、まだあどけなさの残る少年ばかりあった。
すでに何人かは見せしめのために絞首台に釣る下げられている。さらに後400人も殺すというのか?
(なんて惨い話でしょう!)
キャサリンも驚愕した。何としても止めなければならない。
でもどうやって?キャサリンはすでに王の愛情を失いかけている。
(そんな私に何ができるだろう。)
弱気になる自分を奮い立たせるように、キャサリンはとりあえずヘンリーのもとへ向かった。
(いや、できる。かならずやってみせる、)
グリニッジ宮殿前では、首謀者400人が後ろ手に縛られたまま王の前に跪かされていた。広場を取り囲む群衆の中には少年達の家族も多く混じっていた。周囲からも少年達の中からもすすり泣く声がする。
「殺せ!」
もう一度ヘンリーが言いかけたとき、キャサリン王妃が到着した。その異様な姿に、一瞬沈黙が下りた。
白い質素な服。いつもは豪華な冠で隠されている金髪は無造作に肩に流れ、幾分乱れている。
粗末な身なりのまま、キャサリンはヘンリーの前に跪き、必死の顔で見上げた。
「陛下、どうかお心をお鎮めになってお慈悲を下さりませ。
このもの達は暴動を起こしただけで、幸いけが人も死者も出てはおりませぬ。
もしここで陛下がかれらを殺したとしたら、この事件で初めて死者が出ること
になりましょう。国民の口に、陛下を暴君と罵る言葉も出ましょう。
私の愛する方が、そのような誹謗を受けるのは耐え切れません。
この者たちを許せないと仰るなら、どうかこの私を身代わりに なさって下さいませ。」
思わぬ事態の展開にヘンリーは閉口した。
「ええい、わかった。今回は赦してやろう。」
歓声が沸き上がった。この時の様子は、一瞬にしてロンドン中に広がり、街中が安堵と喜びに包まれた。人々はキャサリンを「国母」と呼んだ。これ以降、英国 民はキャサリンをただの王妃ではなく、国の母「女王」と思い、深い敬意を捧げることになる。
その後もヘンリーはフランスと小競り合いを繰り返した。
その頃同盟国のスペインは代が替わり、新たにカール5世が即位した。
この人物が、実はフランス王フランソワ以上にしたたかであることを
ヘンリーはまだ気づいていなかった・・・。
そんなことも知らず、キャサリンは娘のメアリーとともに静かに暮らしていた。
夫とはほとんど顔を合わせることもない。風の噂で、愛人との間に男の子が産まれたと聞いた。
夫がその子を跡継ぎにしたい、と漏らしていることも・・。しかし、愛人の子が王位についたためしはない。
跡継ぎはメアリー王女であることは誰の目にも明らかだった。
裏切られた心の傷を癒すために、キャサリンはなおさらメアリーを可愛がり、その教育に力を込めた。
同じ頃、ヘンリーは男の子を産ませた愛人とは別の、新たな恋人に夢中だった。
その女の名をアン・ブーリン。金持ちだが平民上がりの貴族の娘だった。
アンはヘンリーが結婚してくれなければ体を許さないと言った。彼の心の中で「離婚」という言葉が浮かんだ。
だが・・国民に人気のあるキャサリンをどうやって追放すればいいのか。
ヘンリーは悪知恵をめぐらす。
(そうだ、キャサリンには形式的にでも兄と結婚した前歴がある。
兄弟の妻との結婚は聖書では禁じられている。もともと結婚してはいけない
相手だったと主張すればいい。聖書では兄弟の妻と結婚すると天罰が下り、子供ができないという。
キャサリンは男の子を産まなかった。その事実を 逆手に取って、離婚すればいい。)
ヘンリーは一人ほくそ笑んだ。
「おまえとはもうやっていけない。離婚する。」
ヘンリーはいきなりそう切り出した。キャサリンは呆然と夫を見つめた。噂では聞いていたが、まさか
本気で考えているとは思わなかった。あれほど自分を愛し、抱きしめてくれたヘンリーが氷のような目で
見据え、口元に笑みさえ浮かべ、別れを切り出している。キャサリンは必死で涙を抑えながら静かに問い返した。
「離婚しなければならない理由は何でございましょうか。」
「おまえは跡継ぎを産めなかった。朕は若い女と再婚して跡継ぎを儲けたいのだ。」
「跡継ぎならメアリーがおります。先日皇太女になったでは ありませんか。あの子はどうなるのです?」
ヘンリーは吐き捨てるように答えた。
「ならぬ、ならぬ、女ではないか!。男でなければ王とは言えない!」
しかし事態はヘンリーの思ったようには進まなかった。
ローマ法王に離婚を申し出ても、法王はカール5世に頭が上がらない。
カールは叔母に当たるキャサリンを追放するなどと許すはずがなかった。
かといって法王はヘンリーの申し出をキッパリ断ってしまうほど強くもなかった。
キャサリンは深い悲しみを抱えながら、涙する閑はなかった。
(何としてもメアリーを守らなければ・・。)
この時代の離婚は現代の離婚とは違う。結婚生活そのものを不法だとして否定してしまうのだ。結婚そのものが無かったことになってしまう。そうなるとキャサリンはただの愛人で、メアリーは愛人の産んだ子になり
王位継承権を失ってしまうのだ。
キャサリンが追いつめられていくのとは対照的に、愛人のアン・ブーリンとその一族はみるみる出世していった。肩で風を切り、大貴族であるかのような顔で宮中を闊歩していた。
アン・ブーリンはキャサリンの侍女のはずなのに、まるで自分の方が王妃であるかのようにヘンリーにまとわりつき、キャサリンを見ると、こう嘲った。
「スペイン人など皆絞首刑にしてしまえばいいのに!」
どんな侮辱にもキャサリンは耐えた。修道院に入って出家するように説得されても断った。
「おまえなんか、妻だったためしはない。さっさと出て行け。」
「私は英国の王妃です。なぜ修道院に入らねばならないのですか? 私にどんな罪があるんですか?」
ヘンリーは激怒した。そしてキャサリンの「罪」を明らかにし、結婚が不当なものであったことを証明するために裁判を起こすことにした。
1529年5月30日、キャサリンは罪人のように法廷に連れ出された。黒い絹のドレスを纏い、黒いベールで顔を隠している。しかし発言を許された時には顔を上げ、堂々と語った。
「私は王妃になるまで、清らかな体でした。亡くなったアーサー王子との結婚はまったく形式だけのもので、2人の
間には男女関係などまったくありませんでした。この20年間、私は異国の地で、ひたすら陛下を愛し、愛し抜き
王妃として国民のために努力してまいりました・・その私に、どんな罪があるのでしょうか。」
キャサリンの必死の言葉に、聞き入る貴族達は胸を痛めた。スコットランドの侵略の時の雄々しい姿、暴徒達を救うために跪いた健気な姿を思い出すと、いたたまれない思いをしない者はいなかった。
法廷を取り囲む群衆も同じ気持ちだった。
「キャサリン様にお慈悲を!」
「王妃様、万歳!」
その声が波のように轟く。
ヘンリーはヒステリックにキャサリンの落ち度を責め立てた。
「嘘ばかりいい、強情で、反抗的で、神に逆らった結婚を正当なものなどと
言っている!。キャサリンは死刑に値する!」
だが、どんなに力を誇示しようとヘンリーに同意する者はいなかった。
自分を正当化してキャサリンを責めれば責めるほど、逆に自分がいかに理不尽であるかを証明するだけの結果になってしまった。
キャサリンは一人になると、今まで堪えていた涙がどっとあふれ出た。
国民は皆キャサリンの味方だった。でも・・・キャサリンにとって世界を敵に回しても、欲しいものはヘンリーの愛だけだった。見かねたカール5世は法王に圧力をかけて、ヘンリーの要求を退け、破門にするように迫った。
1532年、しびれを切らしたヘンリー8世は、正式にローマ法王と断絶した。
バチカンの出張所である修道院は破壊され、法王が任命した司教や枢機卿は追放になり、かわってヘンリーの寵臣が宗教界を牛耳った。その頃ようやく王妃にな れそうだと確信したアン・ブーリンはヘンリーと男女関係を持つようになっていた。間もなくアンは妊娠し、なおさら結婚が急がれた。
ヘンリーはキャサリンとの離婚を一方的に宣言した。
そしてアン・ブーリンを王妃にするための戴冠式を実行したのだった。
その時になって、ようやく法王はヘンリーの離婚請求が間違いであると発表、正式にヘンリーを破門した。
だが、全ては手遅れだった。
キャサリンは王妃の地位を奪われ、公式には「アーサー皇太子未亡人」と呼ばれることになった。
宮中を追放された後は、キムボートン城に軟禁された。
(アーサーの死から今まで、20年あまりの歳月・・思い起こせばいろんなことがあった。王妃として、女として、
母として。ヘンリーの心には20年の歳月が無かったかのようだ。ヘンリーあなたはそれでいいの?私との思いで
は、忘れたいほど 忌まわしいものなの?)
失意に沈む王妃を慰めたのは、周辺の農民達だった。かれらは貧しい身なりのまま、鶏や果物を抱え、少しでも慰めになりたくて城を訪れるのだった。キャサリンも喜んで出迎えた。
しかし唯一歓迎したくない相手がいた。ヘンリーからの使者であった。
「キャサリン様、今日はあることをお伝えに参りました。
陛下は先頃産まれた王女のために、王位継承権を変えるおつもりでいらっしゃいます。
皇太女の地位をメアリー様から新しい王女へとお譲りになります。それともう一つ・・我が国は正式にローマ法王
と 断絶いたしました。これからは国王陛下お一人が、この国で宗教にも 政治にも最高の存在でいらっしゃいます。
この2つを認めていただくために、本日私どもが参上いたしました。さ、ここにサインをお願いします。」
「・・・いやです。」
キャサリンはキッパリと首をふった。
しばらくして振り返り、静かに答えた。
「死刑にする、というのであれば、かまいません。どうぞ、そうなさい。
死んでも王妃の誇りを捨て去る気はありません。帰って陛下に伝えなさい。
私は王妃のまま死んでいく、と。」
誓約を拒否したのはキャサリン一人ではなかった。トマス・モアやフィッシャーといった重臣たちも拒否し、処刑されていた。修道院が破壊されそうになって反対した僧侶達は、手足や首を切られて見せしめとなった。
「アン・ブーリンとの正式な結婚」と「法王はキリスト教の代表ではなく、司教の一人に過ぎない」ことを認めない者は全員死を免れえなかった。
使者が帰った後、キャサリンはぐったりと床に伏せた。
1535年末、キャサリンはベッドから起きあがれないほど体調が悪化した。
ひどい頭痛と高熱が続き、みるみる衰弱していく。キャサリンの脈を診ていた侍医は、首をふった。
「原因はわかりません。あるいは毒・・・・。」
「・・・まさか?!」
思わず付き添いの侍女が身を乗り出した。
大きな声ではいえないが、毒を盛られたかもしれない。その時キャサリンが意識を取り戻し、うっすらと目を開けた。
「私の病気は誰のせいでもありません。きっと神様が憐れんで、この人生を終わりにするおつもりなんでしょう・・・。
・・・・いいんです、もう生きていたくない。」
皆が声を上げて泣き出した。たとえ本当に毒を盛られようと、そうでなかろうと、キャサリンが長生きするとは思えなかった。絶望と悲痛が毒物以上にキャサリンの肉体を蝕んでいた。
キャサリンは口述で遺書を残したい、と言った。
「ヘンリー、もう一度あなたにお会いしたかった・・・。」
弱々しくはあったが、一言一言噛みしめるようにはっきりと口にした。
遺書が完成すると目を閉じた。瞼の裏に、もう二度と戻ることのない輝かしい日々が浮かんだ。
手を取り合って走ったテームズ川のほとり、「おまえを迎えに来た」と肩を抱き囁いてくれた、あの若き日のヘンリー。
(帰りたい、もう一度。)
年が明けた1536年1月7日、キャサリンは息を引き取った。
50年間の苦悩と栄光の生涯だった。
キャサリンの遺体は近くのピーターバラ寺院に葬られた。
墓所の上には高らかに紋章旗が掲げられ、つい最近になって
(1986年)「英国女王キャサリン」という大きな碑名が飾られた。