エリザベス・ハドウイック/作者不詳/シュールズベリ家所蔵 

 

最後の王位継承者
アラベラ・ステュアートとその祖母エリザベス
Alabela.Stuart(1575~1615)


  アラベラの家系図

 最後の王位継承者アラベラには、大きな影響を与えた肉親がいた。
 祖母/シュールズベリ伯爵夫人エリザベス・ハドウイックである。
 アラベラのことを語るには、まずこのエリザベスから始めなければならない。

 エリザベス・ハドウィックとアラベラの関係

 エリザベスは1521年、ハドウイック家の4女として生まれた。
 平民ではないが、さりとて貴族ともいえない、地方豪族(ジェントリー)の家柄であった。
 10歳そこそこで、近隣のダービーシャーの城に奉公に出て、そこで同じく働いていたロバート・ジャックナイフという男性と結婚した。
 わずか13歳であった。しかし子供もないまま、夫は間もなく病没してしまった。
 それから10年後、エリザベスが26歳の時、22歳も年長のウィリアム・キャベンディッシュなる貴族に見初められる。
 ウィリアムはヘンリー8世の僧院解体事業に従事した中央貴族であり、その役得から多くの土地を安く買い占めていた。
 エリザベスはその後妻の座を得たのである。まさに「玉の輿」だった。
 ウィリアムとの間には、8人もの子供が生まれた。エリザベスはこの年上の夫から、土地の管理法や資産運営の手腕などを学んだという。

 1557年、ウィリアムは多額の遺産を妻に残して亡くなった。エリザベスは、即位したばかりの女王エリザベスの元へ女官として出仕した。その2年後、女王の側近であったウィリアム・セントロウという貴族の後妻となる。
 ちょうどその頃、グレイ家のキャサリンがハットフォード伯と秘密裏に結婚していて、それを女王にうまく取りなして欲しいと頼みに来た。したたかなエリザベスは、自分の出世の妨げになると思い、強気でキャサリンを追い払うと、口をつぐんだ。 しかしこれが裏目に出た。キャサリンの結婚を知っていながら、すぐに注進しなかった、という理由で女王の怒りを買い、7か月もの間、ロンドン塔に幽閉されてしまったのだ。

 セントロウは、前の夫たち同様、多額の遺産を残して1562年亡くなった。
 すると今度は、英国で1、2を争う金持ちとして知られるシュールズベリ伯ジョージ・タルボットを誘惑し、その後妻の地位におさまったのだ。エリザベスはいかにも成金らしく、貧しい実家に「エリザベス」御殿を建て、2つの塔に自分の頭文『E.S』と刻ませた。
 それだけではない。自分の連れ子たちを次々タルボットの連れ子たちと結婚させたのである。
 長男ヘンリーを、タルボットの娘グレース(8歳)と。長女メアリー12歳をタルボットの息子ギルバートと・・・・。

 そして残りの子供たちにも出世の糸口となるような玉の輿はないか、とアンテナを張り巡らしていた。

 チャンスはやってきた。1569年、シュールズベリー伯爵が、英国に亡命したメアリー・スチュアート(ステュアート)の監視役に任命されたのである。
 その縁で、エリザベスはメアリーの夫だったダーンリーの母親レノックス伯爵夫人とも知り合った。
 このレノックス夫人もまた、エリザベスに負けず劣らず玉の輿狙いの女であった。長男ダーンリーを煽って、メアリー・ステュアートと結婚させたのも、彼女であった。2人の伯爵夫人は共謀の上で、それぞれの息子と娘を引き合わせた。

 レノックス伯夫人の次男トーマス・ステュアートは美しいエリザベス・キャベンディッシュに恋をした。
 しかしレノックス伯夫人もトーマスも王族である。この結婚を、エリザベスが許可するはずもない。
 再びエリザベスはロンドン塔へ投獄されてしまったのである。

 2回も投獄されて、エリザベスはキレた。そして出て来ると、女官時代に仕入れた女王の悪口をありったけ、メアリー・ステュアート(スチュアート)に話して聞かせたのである。
「女王はお気に入りだったアンジュー公(女王の求婚者)ともやったんですって。処女なんて嘘っぱちなんだから。」
「女王は怒り出すと手がつけられなくて、ナイフは振り回すわ、女官の指の骨は折るわ、それは酷いヒステリーですの。」

 しかしエリザベス夫人は、今度はメアリーとも喧嘩してしまった。
 というのも、エリザベス夫人が、自分の孫娘アラベラを女王の後継者にしようと考えていたからだった。
「あなた、冗談じゃないわ。次期国王は、うちの息子のジェームスに決まっているでしょう?」
「あら、うちの孫娘だって、ステュアート王家の血を引いておりますわ。」
「なんですって、この糞婆!」
 しかも間が悪い事に、シュールズベリ伯はその頃、エリナ・ブリットンという愛人がいることが発覚した。メアリー・ステュアートは頭に来て、今まで聞いた悪口を全部告げ口してやろうと、女王エリザベスに手紙を書いた。

 もちろんエリザベス夫人も負けてはいない。メアリーの悪口を女王にしゃべって聞かせた。
 が、女王エリザベスがもっとも腹を立てたのは、妻にうんざりしたシュールズベリ伯が、メアリー・スチュワートと不倫している、という噂だった。
 女王はシュールズベリ夫妻を呼びつけて詰問したが、埒があかない。
 結局シュールズベリ伯はメアリー監視の任務を解任され、怒ったエリザベス夫人は離婚して実家の「エリザベス御殿」に帰ってしまった。シュールズベリ伯は「これで2人の女悪魔から解放された!」と喜んだという。このバカバカしい話は、作り話ではなく、史実である。

さて、ようやく最後の王位継承者/アラベラ・ステュアートに話は移る。
アラベラは1579年、エリザベス夫人の娘と、トーマス・ステュアートの間に生まれた。
トーマスはジェームス6世(後の英国王)の父の弟なので、ジェームスとアラベラは従兄妹の関係である。

 アラベラ家系図

 父のトーマスも母も、2人の「凄い母」に挟まれて疲労したのか、アラベラが生まれて間もなく、相次いで亡くなった。
 成り上がりのエリザベスは、孫娘を「私の宝石」と呼んで溺愛する一方で、非常に厳しく教育した。

 13歳でフランス語やイタリア語に精通したという。
 12歳で女王エリザベスの宮中に上がったが、周囲があまりに彼女を次期王位継承者のように扱うので、女王の気に障り、遠ざけられる結果となった。

 1592年、密かにスペイン/パルマ公の子息ロウネッチオ・ファルネーゼとの縁談が持ち上がった。
 斡旋したのは、北部諸公の乱で父を失ったノーサンバーランド伯ヘンリー・パーシーであった。
 彼はアラベラとパルマ公とを縁組みさせることで、英国にカトリックを奉ずる女王の即位を夢見たのだった。

 しかし、パルマ公はその直後に亡くなり、パーシーもまた何者かに射殺されたために、その話はうやむやに消えてしまった。

 やがてアラベラは年頃となり、ウィリアム・シーモアと恋に落ちた。
 キャサリン・グレイの時もそうだが、よほどジーモア家の男は美男なのだろう。
(ちなみに、ウィリアムはキャサリン・グレイの孫息子)
 それはともかく、女王エリザベスも、エリザベス夫人も仰天した。
 女王の派遣したヘンリー・ブロンカー卿が、事の真偽を詮索したところ、アラベラは事実だと認めた。
 そしてハンガーストライキをすることで、初めて祖母に抵抗した。
「あんたが出て行くのは勝手だけど、私の領地は通しませんよ!。」
 仕方なくアラベラは歩いて、目的地の村まで移動したという。
 ブロンカー卿は、アラベラの告白書を持ち帰ったが、内容が支離滅裂だということで、アラベラは頭がおかしい、という結論に達した。このまま行けば、キャサリン・グレイ同様ロンドン塔行きのはずであったが、幸か不幸か、その約2か月後の1603年3月24日、偉大なる女王エリザベスが崩御した。

 いろいろな男たち、そして祖母までもがアラベラを利用しようと企んだ。
 ノーフォーク伯、エセックス伯、パロマ公・・・しかしアラベラはその誰にも協力はしなかった。
 エリザベス亡き後、王位継承をアラベラに・・・という声もあったが、重臣たちは、もはや女に仕えるのに飽きていた。
 そこでスコットランドから迎えられたジェームス1世は、たった1人の肉親であるアラベラを敵視した。
 1610年、アラベラが夫のウィリアムを王位につける陰謀を企てたとしてロンドン塔に投獄、5年後に亡くなるまで、ついに解放しなかったのである。

 あのエリザベス・キャベンディッシュはというと、1608年、有り余る遺産に囲まれて、81歳の高齢で亡くなっている。
       

 参考資料/
The Tudor place by Jorge H. Castelli
Tudor World Leyla . J. Raymond
Tuder History Lara E. Eakins
The Tudors  Petra Verhelst