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その4 重要セレモニー「開会式」

 さて、議場は時として座る場所を確保するのも困るほど手狭であったが、普段座れない事はまずなかった。
というのも、非常事態でもない限り、あまり人が集まらなかったからである。

 1510年以来、貴族院には「貴族院日誌(Orijinal Jaurnal)」なる議事録があったが、その記録によれば、150人近く議員がいた時代ですら、出席者が100名を越えることはほとんど無かったと言う。
 地方貴族の議員にとっては、往復の足代.ロンドン滞在費はバカにならなかったし、聖職者議員は貴族より収入が少なかった上に、管轄区域を回らねばならない仕事があったのである。
 どうしても人が集まりそうにない時、貴族院は「登院勧告」を出した。
 それでも来ない時には、その場にいる議員らの承認のもとに「召喚」という強制措置を取る事もできた。
「召喚」に逆らって欠席を続けた場合は、罰則の対象にもなったという。

 しかし、そうした議員も全員顔をそろえる時があった。開会式である。
 この時はさすがに全員が顔をそろえ、しかも厳格に席順を守り、各自爵位に見合った指定の正装を身にまとっていた。
 そして国王もまた王冠を帯びて、ファンフィナーレとともに堂々と入場し、玉座に座る。
 これは現在でもエリザベス2世によって行われている。
 万が一国王が出席できない時は、大法官が勅書を代理で読み上げるし、国王が臨席している場合は、国璽尚書がそばに付き添い、うやうやしくお助けする。

 開会式で行われる重要な儀式は3つあった。
 第一に国王演説である。ジェームス1世が1609年の最初の議会の開会式において、『自由な君主国の真の法律』という演説をして、物議をかもしている。
 チャールス1世の時代ともなると、国王演説は議会に対する一種の「挑戦状」的な色彩を帯びた。 
 エリザベスの時代は、議員らが女王を「男として」お守りする場であったのに対し、スチュアート朝前半は、男と男のむき出しの闘志ぶつかり合う目に見えない戦場と化したのだ。
 しかし名誉革命後、議会の優位が決まってしまうと、国王演説は予め閣議によってチェックされるか、閣議そのものが書くこととなり、名目上のセレモニーになってしまう。

 そして国王演説に対しては、議会の側からも「奉答文」(Address)なる政治表明文が出されるのが慣例となった。

 第2の重要儀式は庶民院(下院)の議長指名であった。
 もちろん予め下院議長は下院で選出されているのだが、それを承認するのは貴族院であった。
 まず国王が着席して間もなく、下院代表が手すり越しに頭を下げる。
 国王はそれを見て、「下院議長を選出せよ」と命ずる。
 すると下院代表はいったん下院にもどり、国王の勅命を伝える。
 それからまた戻って来て、手すり越しに、決まった議長の名を申し上げる。
 国王が「うむ、よろしい」とうなづくと、セレモニーは終了する。

 第3は「宣誓」である。最初は国王に対する忠誠の誓い、次は英国国教会への忠誠の誓いであった。
 最初の宣誓は説明するまでもない。その次の宗教上の宣誓は、議員からカトリック信者を追い出すための方便であった。
 18世紀初頭の1703年の時点で、宣誓を拒否した者は19名にも上った。
 その場合、議会からの追放だけに留まらない。貴族としての特権まで剥奪され、事実上貴族社会からも追放されてしまうのである。

その5 国璽尚書と大法官


 貴族院議長には、国璽尚書(Keeper of The Great Seal)又は大法官(Lord Chansellor)が就任した。
この国璽尚書は英語名通り、「国王のスタンプを守護する人」つまり国王の印璽の中でもっとも大切な「国璽(The Great Seal)」を預かる重要なポストであり、下院議員から選ばれた。
 たとえばエリザベス朝では、国璽尚書をニコラス・ベーコン(1510~1579)が勤めている。
 大法官も国璽尚書も、議会が裁判所の役割を果たす時には裁判官を勤めた。
 議場においては、中央にある「ウール・サック」という大きなクッションに座り、議会の進行を司った。
 大法官は貴族から選ばれるだけあって、国璽尚書よりさらに上のポストだった。
 宮中にあっては総理大臣として国王を補佐し、外交にも権限を持っていた。
 国璽尚書が議長の時は、アシスタント的に討論には参加しなかったが、大法官は積極的に介入して、不適切な発言を注意したり、採決にかける権限があった。
 この大法官で有名な人物といえば、「ユートピア」の著者であり、ヘンリー8世の離婚に反対して処刑されたトーマス・モア(1478~1535)が挙げられるだろう。

 この国璽尚書(Keeper of The Great Seal)が大法官と同一の権限を持つに至ったのは、ニコラス・ベイコンの時だった。
 やがて国璽尚書が大法官に任ぜられるのが慣習となった。

      

参考資料

 

イギリス議会制度の形成 松園伸 早稲田大学出版部
イギリス史 大野真弓著 山川出版
エリザベスとエセックス R・ストレッチー 中央公論社 

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