王妃キャサリン・オブ・フランス
(1399~1437)
Catharin Varois of FranceQeen of England
キャサリン・オブ・フランス/1792年/作者不詳/
ナショナルポートレートギャラリー
15世紀はじめのフランスは、事実上2つの国に別れていた。
1つはブルゴーニュ公国。もう一つは、いわゆる「ヴァロワ朝フランス王国」
どちらもフランス全土の覇権をもくろんで、英国を味方につけようと躍起になっていた。
「我が方に援軍を送れば、ブルゴーニュ公の娘をあなたの王妃に・・」
「我が方に味方すれば、フランス王女をあなたの王妃に・・」
かつてイギリスの物だったアキテーヌ領の回復と王室乗っ取りのために、英国王ヘンリー5世は、フランス王女を妻に迎えることにした。
「よかろう、フランス王室に味方する。ただし・・・」
ヘンリー5世はとんでもないことを言い出した。
「1,アキテーヌのみならず、かつて英国が所有していた全領土を
こちらに引き渡せ。
2,皇太子シャルル(後のシャルル七世)を廃位せよ。
3,フランス王位をよこせ。」
こんな要求を飲んでいたら、英国を味方に付ける意味がない。
両者の交渉は決裂・・・・・アジャンクールの地で闘い、フランス側は大敗した。
「仕方がない・・・。」
フランス側は一部領地の明け渡しと、持参金の上乗せに応じて、王女を嫁がせることに決めた。
王女の名をカトリーヌ(英国名キャサリン)。父は強度の分裂症で有名なシャルル6世、母は同じく悪女で有名な美貌のイザボー王妃だった。
カトリーヌは性格は母に似ず、美貌だけ母から受け継いだ。
流れるように繊細なブロンド、澄んだ青い瞳・・・英国側はその美しさ故に「キャサリン・ザ・フェア(麗人キャサリン)」と呼んだ。
(ちなみに、この時イザボー王妃に廃位を要求されたシャルルを助けて王位につけたのが、あのジャンヌ・ダルクである)
イザボーは残された彫刻から、ジョディ・フォスター似の美女だったが、宮中の生活費を使い込んだ上に、敵国ブルゴーニュに味方して、長男シャルルを引きずり下ろそうとするような王妃だった。
生活に窮した王女は、修道院に里子に出されるほどだった。
1420年6月、キャサリンはトロワの聖ジャン教会でヘンリー5世と結ばれる。
その翌年には帰国し、1421年2月11日、改めてウェストミンスター寺院で王妃の戴冠式を行った。
ヘンリー5世は敵国の娘とはいいながら、そのあまりの美しさに本気で愛するようになった。
が、その2年後には、ヘンリーは愛する妻と6ヶ月の息子を残して亡くなった。
キャサリンはまだ20歳の若さだった。
こういう場合、王女は本国に帰るのが習わしだったが、何しろ新王が生後6ヶ月の赤ん坊である。
この「国王」が最初に出した勅令というのが、
「乳母のアリスがおむつを変えて、躾のためにお尻を叩くことを許す」
だった。(もちろん本人の意思ではない)
仕方なくキャサリンは英国に留まった。1428年、議会は無情にも、キャサリンが許可なく再婚することを禁じ、軟禁状態に置いてしまった。
敵国に独りぼっち・・・キャサリンは心細かったのだろう。
そんな時、思いがけないところから、王妃を熱烈に愛する男が現れた。
名をオーウェン。元はウェールズ王家に仕えた宰相の家柄であったが、反乱に連座した咎で捕らえられ、英国で仕える身であった。ウェールズの習慣として、名字を持ち合わせていなかった。今は王妃の衣装を管理する、従僕であった。
キャサリンは彼の優しさに惹かれ、身分の差など忘れた。
1人の人間として尊敬し、愛をおぼえた。
だが、軟禁状態である。キャサリンは体の具合が悪いから、別荘に行って療養したいと言い出した。
2人は密かにロンドン北部の地味な城で結婚し、2人の間には、トーマス、エドマンド、ジャスパー、タシンダ、マーガレットの5子が生まれた。
やがて秘密は暴露されてしまった。
怒った議会は2人を引き離し、キャサリンをバーマンジー修道院に幽閉した。
オーウェンはモーティマーズ・クロスの戦いでランカスター側として戦い、捕らえられた。
彼は執行猶予を期待していたがかなわず、死刑執行人の手で上着をはぎ取られるまで、己の死を信じられなかった、という。
最後に、
「かつては王妃の膝にあったこの頭が、今は死刑執行人の籠の中か・・。」
と呟いた、と伝えられている。1461年、2月4日の事だった。
一方キャサリンはその20年以上も前に、幽閉されたまま、1437年1月3日、38歳の短い生涯を敵国で終えた。
その遺体は息子のヘンリー6世王の命でウエストミンスター寺院に葬られるはずだったが、人前に270年間も放置されたままだった。
それから200余年後の1669年、日記作家サミュエル・ピープスがウェストミンスターを尋ねたおりの事を、こう書き記している。
「聖堂の番人に1シリングを喜捨、王妃キャサリンの上体を抱き、彼女の口にキス。思うに女王にキスしたのは、これが初めて」
参考資料/
The Tudor place by Jorge H. Castelli
英国王妃物語 森 護著 三省堂選書