天智天皇をめぐる妃たちの物語


 序章〜出会いのとき〜
 

 文武天皇二年(698年)九月
 月が傾き、軒先が明け方の紫色に染まり始めた。
 紀伊《きい》は朝露に濡れないように薄絹を体に 巻きつけて、宮中の庭を横切り、女官たちが眠っている宿舎の門をくぐった。

 十五才で持統天皇に仕え始めて五年、宿直で、数え切れないほど早朝の庭を眺めてきた。 秋なら一面の菊花が朝日の中に浮かび上がり、春なら梅の香りが徹夜明けの頭をすっきりさせた。

 五年の間に、持統天皇は太上天皇となって一線から退き、紀伊は見習いから正式な女官となったが、庭は相変わらず四季の変化を繰り返していた。
 今は初秋で、萩の花が、盛り土の上から滝のように垂れ下がって咲いていた。

 恋人との熱い一夜の後なら、疲れていても目だけは輝いているはずなのに、紀伊の顔にあるのは単純な疲れだけだった。
 二十才の彼女には、恋人を作るより重要な仕事があった。
 毎晩のように、持統上皇に昔話を語って聞かせる語り部の勤めである。

 庫裏《くり》ではすでに朝食の準備をする物音が 聞こえていた。
 紀伊が自分の部屋に入ると、御簾《みす》で区 切ってある隣の部屋では同僚の女官・初瀬《はつせ》と恋人が、人の気配に 気づいて目を覚ました。

「紀伊なの?」
「ええ、今さっき上皇様の御所から下がってきたところ」
「一晩中宿直《とのい》なんて、あなたはよっぽど お気に入りなのね。
上皇様が男ならよかったのに。きっと毎晩お側において愛して下さるわ」
 と、初瀬が、けだるそうに話しかけた。

 夜着の右肩がずり落ちて、丸い乳房がむき出しになっていた。
 唇はさっきまで続いてた愛撫の名残で、濡れていた。

「残念ながら、上皇様は女です。最初は皇女で、次は皇后になり、天皇の位につかれた後、今は退位して上皇とお呼びしている方。お年は52才でいらっしゃいます。もう寝てもいい?」

「私だって一晩中寝てないのよ」
「あなたは彼氏といっしょだからいいでしょ。私はお勤めで、緊張しっぱなしで肩が痛くなった。一昨日は午後から日が沈むまで、昨日は夕方から今朝まで。人気者も楽じゃないのよ」

「柚子の輪切りを浮かべた白湯でも飲みなさいよ。彼といっしょに飲むつもりだったけど、私の分をあげる」
「悪いわね」

 紀伊は白湯の入った新しい茶碗を受け取り、ふっと息を漏らした。
 しばらく半分眠ったように、茶碗から漂う湯気を見つめていたが、御簾の向こうから遠慮がちに初瀬の恋人が声をかけてきたので、少し眠気が覚めた。
 悪いとわかっていても、好奇心が抑えられない口調だった。

「あの…私はある皇族にお仕えしている舎人《とねり》(警 護兵)です。当直明けなので、彼女に会いに来て…あなたの話を聞きました。上皇様がいつも語りを所望なさるとか。ここにはたくさんの女官がいるのに、何がよくて、あなたが特別なお気に入りなのですか。いったいどんな話をして、上皇様のお心をつかんだのですか」 

 初瀬は横から、軽い嫉妬をにじませて恋人の腕をつねった
「何いってるの。あなたは私に会いに来たんでしょ。そんな仕事上の話を聞きたがるなんて、私はよっぽど退屈な相手なのね。だいたい紀伊にも迷惑じゃないの。そろそろ帰ったら?」

「そんな…別に迷惑をかけるつもりじゃ…ごめんなさい。帰ります」
 紀伊は男が気の毒になった
「気にしないで。私の生まれは語り部の家。代々、いろいろな物語を人に聞かせるのが家業なの。母も祖母も、同じように宮中に仕えてきた。機会があれば二人にも語って聞かせてあげるわ」
 初瀬が面倒臭そうに会話を断ち切った。
「ありがとう、紀伊。でも彼の言ったことは気にしなくていいから。もう休んで」

 その時、紀伊の鼻先に夜明けの風が通り過ぎ、春の花の香りが頬を撫でた。身分の高い人だけが使う香料だった。不思議に思ってふりむくと、一人の青年がおもしろそうに紀伊を見おろしていた。

「立ち聞きしてすまないが、その話、私にも聞かせてもらえないだろうか。私もまた上皇様のお心を射止めたい一人なのだよ」

 彼の名は藤原武智麻呂。直広弐(従四位下)藤原不比等の息子である。
 昨年、持統上皇は十四才になった孫・軽皇子(文武帝)に位を譲っていた。
 同時に、不比等の長女が妃として宮中に上がった(註※地位は「夫人」)

 不比等は一刻も早く世継ぎが生まれるよう、密かに祈祷しているという。
 だから武智麻呂は、将来、天皇の外戚になるかもしれない人物だった。
 紀伊は何度か、武智麻呂が父・不比等といっしょに上皇の元に謁見に訪れているのを見ていた。不比等は上皇との会話を他人に聞かれるのを嫌うので、紀伊はかれらと口をきく間もなく、すれ違いのように退出していく。
 武智麻呂とは何度か目が合っていて、お互いの顔は見知っていた。
 今朝の武智麻呂は恋人を訪ねた帰り、長い渡り廊下を歩いているうちに、紀伊たちの会話に足を止めたらしい。

 「あなたの話は実におもしろそうだ。といっても、こんな早い時間に恋人との逢瀬の帰り道、聞く話でもないな。私はそこにいる舎人のように、好奇心丸出しで自分の恋人のご機嫌を損ねるようなことはしない。あくまで、語り部のあなたの内緒話をお聞きしたいだけです。都合のいい時間に出直しましょう」
「時間のムダかもしれませんよ」
「いえ、私が聞きたいのは世間話じゃない。あなたは天皇家とも蘇我家との繋がりの強い語り部の家系だ。上皇様にもお話できない秘密もご存じのはずです。黙っていますから、聞かせてもらえませんか?」

「出直して下さい。明日の晩はお休みをいただいています」
「わかりました。では明日の晩」

 約束通り、武智麻呂は日が沈んだ頃、香の匂いを漂わせながら行儀良く紀伊の前に座っていた。その晩は初瀬が当直なので、隣の御簾の向こうには人影はなく、遠くから言葉になっては届かない、誰かはわからない囁きが聞こえるだけだった。

 二人の間にはお互いを意識している奇妙な緊張感と期待がはりつめていた。
 紀伊の胸にはいくつも不安の渦が浮かんでは消えた。

(こんな風に二人で会って、何かあると誤解されたらどうしよう。せっかく出直してもらったのに、つまらない話だとがっかりされたらどうしよう。いや、そんなはずがない。武智麻呂様を失望させるはずがない。だって私が今、話して聞かせようとしているのは、私以外に知る者は少ないとっておきの秘密なのだから…)

 紀伊には、祖母から語り継いだ秘密の物語があった。
 祖母は紀伊に「どうしても話したくなるような大切な相手にだけ語って聞かせなさい。軽々しくよそに漏らしてはならないよ」と言っていた。
 祖母との約束を破るつもりはないけれど、何度も何度も物語を心の中で繰り返すうちに、紀伊の意志を離れた生きた存在となって、体の中から出たいと囁き続けてきた。武智麻呂が声をかけてきた今こそ、人に伝えるいい機会かもしれない。

 紀伊は目の前にいるのが誰だろうと関係ないと自分に言い聞かせ、ずっと胸のうちにしまっておいた物語を語り始めた。

 ~紀伊《きい》の語り その一~
 

 『乙巳《いっし》の変』はご存じですね。

 今から50年前、百済、新羅、高句麗ら三国の使節団を迎える大切な儀式の最中、人が殺さた事件のことです。殺したのは中大兄皇子、殺されたのは蘇我大臣蝦夷の息子・入鹿でした。流れ出た血は、四方の壁に飛び散り、天皇の足下にまで達したと申します。事件後、蘇我大臣自身も、自らの命を絶ちました。

 いつの頃からか蘇我大臣と中大兄皇子との間に確執が生まれ、誰の目にも触れぬまま巨大な憎しみへと成長をとげたのでした。
 蘇我大臣は、自分に向けられた反感を知ってはいましたが、皇子も蘇我の血を引く一族だから、話せば分かると、大きく構えていたのです。
 後世の目から見れば「油断していた」では済まされない失敗でした。

 蘇我家は、百年前、欽明帝の御代に二人の娘を帝に嫁がせています。
 姉は堅石媛《きたしひめ》、妹は小 姉君《おあねぎみ》といい、二人とも蘇我大臣の叔母にあたる姫君たちでした。

 それ以降、帝になられるのは、すべて二人の血を引く方か、蘇我氏の姫君を妻に迎えた皇子に限られました。
 中大兄皇子の母、斉明天皇も、元はと言えば堅石媛の孫にあたる王女が生んだ方。斉明天皇ご自身も、その母君も、蘇我家の館で成長なさったのです。
 蘇我大臣が中大兄皇子を、ご自分の親戚筋と考えるのも無理もありませんでした。

 しかし同じ一族とはいいながら、二人の妃は互いに仲が悪く、異母兄弟同士もいがみ合っておりました。小姉君の生んだ穴穂部皇子は、堅石媛の生んだ用命帝を呪い、蘇我馬子大臣は小姉君の子・崇峻帝を手にかけています。

 弟は兄を憎しみ、伯父は甥を暗殺し、いとこ同士が殺し合う、それもまた紛れもなく大王家と蘇我氏の関係だと思えば、中大兄皇子が蘇我大臣を殺すのもまた理解できないでもない、自然の成り行きと申せましょう。

 蘇我大臣蝦夷には、倉山田石川麻呂という甥がおりました。
 この後は、「石川麻呂」とだけ呼びましょう。彼は伯父一族のみの繁栄に強い妬みを抱いていることを、中大兄皇子は気づいておりました。

 そこで、石川麻呂の長女・造媛《みやつこひめ》に 求婚したのです。
 もちろん、皇子は造媛と面識はありません。
 大変美しい方だと人づてに聞いていただけでした。
 この場合、美醜など問題ではありませんでしたが、男にとって美人の方がいいに決まっています。

 ところが婚礼の夜、花嫁の造媛は、石川麻呂の異母弟・日向《ひむか》に誘拐されて行方不明になってしまったのです。人々は造媛が皇子を嫌って、日向と駆け落ちしてしまったのだろう、と噂しました。

 石川麻呂は事情を話し、長女・造媛のかわりに、次女の遠智媛《おちひめ》を花嫁にしてはどうか、と持ちかけました。
 中大兄皇子はもちろん快諾し、婚礼の式は滞りなく行われました
 目的は石川麻呂の婿になることですから、相手が長女だろうと次女だろうと、大差はなかったのです

 やがて遠智媛には、持統上皇を含む二人の姫と健皇子という若君が生まれ、蘇我氏打倒の計画も成功いたしました。

 実は遠智媛の話は、お子様である上皇様の方がご存じなのですよ。
 当たり前といえば当たり前なのですけれど…
 その時、上皇様はたったの四つ。
 間もなく遠智媛は亡くなられたので、幼い日の思い出はいっそう鮮明にお心に焼き付いておられたのでしょう。
 母君の話になると、どこか夢見る人のように微笑まれます。

 その時のお顔には王者の厳しさはなく、石川麻呂の館で、鵜野皇女《うののひめみこ》の御名で呼ばれていた少女時代を彷彿とさせるのです。

「お祖父様の石川麻呂は、蘇我大臣蝦夷が滅んだ後、その財産をすべて手に入れ、右大臣にもなったの。四才だった私は、お祖父様がとても立派になって大きなお寺を作っていると聞いたことを覚えている。母上も、母上の親族もうれしそうに笑っていた。いつも皆が楽しそうだった。例外は父上が来た時だけだった。父上が来ると、皆が姿を隠し、屋敷の中から笑い声が途絶えてしまった」

 石川麻呂は蘇我大臣蝦夷の全財産を手に入れただけではなく、中大兄皇子の右腕として右大臣の地位に上がりました。
 娘の遠智媛は中大兄皇子の娘を二人をお産みになり、今後男の子を授かるかもしれない…これで中大兄皇子さえ皇位につけば、石川麻呂の天下となるはずでした。
 だからこそ石川麻呂は、一族の記念碑として乙巳の変で中断していた山田寺建設を引き継いだのです。

 遠智媛は幼い上皇様の手を引いて、何度も山田時を見学なさいました。
 そんな時、遠智媛は敵に向かって旗を掲げるかのように、挑戦的に背筋をのばして、見る者に自分こそ蘇我氏の女後継者だと、知らしめて歩いたのです。

 頭に飾った金の歩揺《かんざし》が、青空に向 かってきらきら日射しを跳ね返す様子は、建設中の五重塔を飾る金箔の輝きにも負けないほどでした。
 遠智媛は背も高く、眉も目もはっきりした、金の飾りがよく似合う方でした。その姿に相応しい、激しい気性であったと、伝えられております。

 女帝のような遠智媛の横には、鬱々として気の晴れぬ中大兄皇子がいらっしゃいました。

 この時、すでにお二人の間には、亀裂が生じておりました。
 中大兄皇子の目には、石川麻呂が蘇我大臣蝦夷の姿だぶって映っていました。
 このままではまた蘇我氏に牛耳られ、乙巳の変を企てた意味がないと、自問自答して、苦悩しておられたのです。

 大黒柱が傷んでいると、家はささいな嵐にも絶えきれないものでございます。
 崩れた家を前に嘆いても、後の祭り。
 石川麻呂と中大兄皇子との関係もまた、内側から腐っている家のように、不信と不満で穴だらけだったのです。家を崩す力は、思わぬ方向からやって参りました。

 それは身内の密告でした。石川麻呂の腹違いの弟・蘇我日向《そがのひむか》が 「石川麻呂に謀反
の意あり」と帝に告げたのです。
 それこそが蘇我で代々繰り返されてきた宿命、兄が弟を害し、弟が兄を殺害する相克図に他なりません。石川麻呂は伯父や従兄弟を殺して財産を手に入れた時、同時に肉親の手で命を断たれるという宿命をも引き継いだのでした。どうして石川麻呂だけが、無傷のままでいられましょうか。

 帝は形ばかり弁明の機会を与えましたが、もちろん許されるはずもございません。
 間もなく蘇我日向を隊長に任じ、「討伐せよ」との宣旨が下ります。
 自分が謀反人として討伐されると知って、石川麻呂は、家族を連れて旧都・飛鳥へ落ち延びました。

 気丈な遠智媛《おちひめ 》は、血の気の失せた 顔で涙一つこぼさず、父を見送りました。

「お父様、これからどうなさるおつもりですか」
「飛鳥には山田寺建設のために息子達がおる。私はそこに合流して、今後の身の振り方を考えることにする。おまえは中大兄皇子に、私が無実であると申し上げてくれ」
「わかりました。どうかご無事で」
 父と娘は二度と会うことはありませんでした。

 二日後、石川麻呂は「死んで潔白の証を立てる」と言って、自ら命を絶ったのです。
 討伐軍が山田寺に着いた時、室内は石川麻呂の後を追って自殺した、一族郎党の遺体だらけの惨状だったと申します。 
 大化五年三月のことでございました。

 討伐軍の一人、物部二田塩《もののべふつたのしお》と いう兵士は、雄叫びをあげて石川麻呂の亡骸を首を切り落としました。

 「しお…」

 その名を聞いた時、遠智媛は気を失いました。以降、まったく関係のない時でも「しお」という響きを聞くたびに、意識を失ったそうでございます。涙も流さず、叫びもせず、食事も睡眠も拒んだまま、まるで内側から崩れていくように、静かに病は進行しておりました。

「遠智…遠智…」

 中大兄皇子が呼んでも反応はありません。
 誇り高い遠智媛は、皇子の裏切りに対して、ほとんど瞬きもしないで壁を見つめながら、無言の抗議をしていたのです。
 間もなく、遠智媛は衰弱死なさいました。
 
 ここまでは世間によく知られていて、公式の記録にも残っている話でございます。

 けれども、これには、いくつか疑問が残ります。
 密告した蘇我日向は、例の婚礼の日に造媛を誘拐した人物です。
 なぜ中大兄皇子はそんな男の言葉を信じ、討伐対に加えたのか。
 そもそも造媛《みやつこひめ》はどうなってし まったのか。
 美貌で名高い造媛は、最初から存在していなかったように消えてしまったではありませんか…

 実は私も不思議でなりませんでした。
 祖母から真相を聞かされるまで。

 さっそく続きをお話いたしましょう。

 中大兄皇子は、蘇我大臣蝦夷《そがのおおおみ、えみし》を滅ぼすために蘇我氏の一員である石川麻呂に近づき、その長女の造媛《みやつこひめ》を妃にする予定でした。

 どんな方だったか…私も周囲の噂話しか存じませんが、付近の者たちは姫を見かけた折には、生き神を見たかのような、息を飲む思いがしたそうでございます。秋には愛馬で散策を、春先には野に若菜を摘みに、造媛がおいでになると、付近の農民たちも作業の手を止めて「おまえも見たか」「わしも見たぞ」と袖を引き合い、感動のこもった噂話に興じたのでした。

 その噂は、中大兄皇子の耳にも届きました。
 ある者は、皇子に向かって
(白い鳥のような方でした)
と、姫の美しさを歌うように語りました。
 想像力をかき立てられ、皇子の心の奥に美しい鳥の化身の姫君が住み着いたそうでございます。

 造媛が消えたのは、婚礼の当日でした。
 正確に言えば、皇子が石川麻呂の屋敷についた直後の出来事でした。
 すべての準備が整った後に発覚したのです。
 蘇我日向《そがのひむか》と駆け落ちしたのか、 強引に連れ去られたのか、理由ははっきりしません。

 正装して席に着いた皇子は、今更引き返すわけにはいきませんでした。
 石川麻呂は、床に額をこすりつけて土下座し、しわがれた声で
「実は造媛の姿がどこにも見当たらず…」
と申し上げましたが、顔はといえば、そんな態度を裏切るように、抑えきれない興奮の色が滲んでおりました。自分の娘が行方不明になったというのに…
 必死でいい訳はしていても、本気で探している様子はどこにも見えませんでした。

「それで今、造媛は探しておるのか」
と、皇子が問いただすと、石川麻呂は額を床につけたまま、
「まずは花嫁本人よりも、倉山田家と皇子の縁組が先でございます。どうかご辛抱を‥‥‥‥」
 石川麻呂の口から遠回しに今回の縁組が蘇我入鹿を倒す計画の一端であると釘刺され、皇子は黙るより他にありません。
 花嫁は造媛ではなく、妹の遠智媛《おちひめ》のまま、婚礼は予定通り行われました。
 遠智媛ご本人は、十人並みの器量とはいえ、髪を最新の唐風に高く結い上げて、額や頬だけでなく、うなじにも白粉をはたき、額に飾った桃色の花の花鈿《かでん》も愛らしく、贅を尽くした装いでございました。

 何より皇子の興味を引いたのは、豪勢な装いに一歩も負けない、落ち着きぶりでした。
 まるで初めから、予定通りだったような…?
 遠智媛は皇子の手に手を重ね、うるんだ瞳で見上げながら、
「あなたは私の夢の中の人。やっとお会いできて、うれしさのあまり息を
するのを忘れてしまいそうです」

と、密かな恋心を打ち明けたのでした

(そなたも姉の失踪に一枚噛んでいたのではないか?)
と皮肉りたい気持ちを抑え、皇子はこみ上げる違和感を持てあましながら、最高の微笑を浮かべて、うなずきました。

 美貌の噂高かった造媛でないのは残念でしたが、この女が妻でいる限り、計画が頓挫しても石川麻呂に裏切られる恐れは少なかったのです。

 婚礼の日を境にして、石川麻呂の屋敷では、造媛の名前も気配もいっさい消えてしまいました。石川麻呂や遠智媛はもちろん、侍女や下働きの者まで、姫がいたことなど忘れてしまいました。

 皇子一人は、造媛の失踪の裏に何か別の知らない計画があるのではないか、と微かな疑問をおぼえており、側近の者にそれとなく媛の噂を聞いたら逐一報告するようお命じになりました。
 しかし予想もしていなかったある日、疑念は現実のものとなって目の前に現れたのです。

 

 大化三年(647年)
 乙巳の変で蘇我大臣一族が滅ぼされて二年。
 動乱の余韻が強く残っていた頃…宮廷は血なまぐさい飛鳥京を嫌って、新たに難波京へ移りました。
 とは申せ、まだ半分しか完成していない新都の宮殿は居心地が悪く、中大兄皇子も、飛鳥にもどっては難波に出直すという日々を過ごしておりました。

 真冬。
 皇子は所用があって深夜に帰宅なさいました。恋人の家によったのであれば一晩過ごして帰るところを、本拠地を難波に移したと同時に、愛人の方々も全員あちらに移っており、寂しい夜を過ごさざるをえませんでした。

 一日中空は乳白色に濁り、昼間から霜が立ちそうなほど冷えた一日でした。寒さを我慢して、ようやく我が家の灯りが見えた時には、皇子も従者もともに安堵で心が躍りました。
 中では留守番役が部屋を暖め、熱い風呂と酒を用意して待っておりました。

 門をくぐろうとした時、鋭い女の呼び声が無理やり一同をふりむかせました。
「中大兄皇子様!…皇子様でいらっしゃいますね!」

 叫び声はだんだん近づいてきて、ついに従者が持つ松明の光の中へ…皇子の目の前に姿を現したのでした。
 その女は白い綿の着物をまとい、走っているうちにほどけた髪を波打たせながら、皇子に向かって両腕を広げました。

 一同は、雪がうっすらと積もり始めて、白く染まった地面の上に、一羽の白い鳥が羽ばたきながら舞い降りる幻を見た気がいたしました。

 雪の上に点々と続いている素足の跡…
 女は皇子の目の前で、重みなどないかのように、音もなく倒れました。

「まさか……造媛…」
 皇子はとっさに口走りました。
 濡れた土と雪にまみれながら、皇子は女を抱き上げ、もう一度名前を呼びました。
「あなたは造媛なのか」
 姫は小さくうなづいて、意識を失いました。

 

 ~紀伊《きい》の語り その二~
 

 いったい何があったのか…
 すべてをお聞かせする前に、倉山田家の事情について、お話しなければなりませぬ。
 石川麻呂には腹違いの兄弟が三人おりました。
 贄麻呂《にえまろ 》日向《ひむか》赤兄《あかえ》、
 中でも贄麻呂は長子として倉山田の家督を継ぎましたが、間もなく本妻との間に、一人娘を残して亡くなりました。
 その娘こそ、造媛《みやつこひめ》でございます。

 男が官位と家長の座を継ぎ、娘が家屋敷を継ぐのが、世の定め…
 順番からすれば、造媛が倉山田の家屋敷を継ぐはずでしたが、幼かったのをよいことに、石川麻呂が全財産を着服し、その埋め合わせのように造媛を引き取って、自分の長女だと偽りました。
 ですから、皇子の「長女を妻に迎えたい」との申し出に、ひどく慌ててしまったのです。形式とはいえ長女は長女…断るわけにもいかず、かといってそのままいけば、造媛の口から真実がばれてしまうことは間違いありませぬ。
 何より兄の娘などではなく、実の娘の遠智媛を、玉の輿に乗せてやりたかったのです。 親として、当然の情でありましょう。

 石川麻呂は考えた末に、異母弟の日向に事情を話して仲間に引き入れました。
 「婚礼の当日だけ、造媛をどこかに隠してくれ」と。
 日向は言われた通り、造媛をだまして、用意しておいた廃寺に連れて行って、一段落してから兄の元にもどってくると、屋敷の門は目の前で固く閉ざされておりました。
「よくも図々しく顔を出せたものだ。おまえは造媛と駆け落ちした不埒者、二度と倉山田の家に顔を出すな。造媛もはやこの家の者ではない。失せろ」
 兄の裏切りに、日向は呆然と門の前に立ち尽くしました。
 石川麻呂は造媛だけでなく、異母弟までだまして追放したのです。

 造媛は事実を知っても、それほど驚いた様子もなく、後悔と怒りに体を震わせている日向を、哀しみに沈んだ瞳で見つめておりました。
「どうか、そんなに絶望なさらないで下さい…」
「なぜですか?造媛様、あなたもだまされたのですよ」
 そう問い詰められて、造媛は目を伏せるしかありませんでした。
 自分の身よりも、己の感情を持てあまして苦しむ日向の方が哀れでならなかったからでございます。
「私は、どうすればよいのでしょうか」
「すでに遠智媛が皇子の妃になって、石川麻呂は皇子の側近となっています。無官で非力な私には、どうすることもできません。せめて身の回りの世話をする者を増やし、服や食料は十分届けますから、もう少しここに隠れていて下さい」
「いつまで?」
「わかりません。時期を見て、私から皇子に事情を話し、迎えに来ていただけるようにいたします。それまで我慢して下さい」

 廃寺は、聖徳太子の御代に建てられ,その後僧侶もいなくなり、今は寂れた金堂だけが残っている寺院跡でございます。
 里からさほど離れてはおりませんでしたが、人の往来はありませぬ。
 風の音は囁きとなり、時には造媛をいたわるように優しく、時には内面に渦巻く疑問を代弁するように荒々しく金堂の壁を揺さぶり、鋭い音を立てて天井を吹き過ぎていきます。
 
 まったく変化のない静寂の中で、己の内側だけを見つめる生活…。
 頼れる人もなく、心配してくれる相手もいない不安は、意識に上らないだけに、かえって深く深く内側に根を下ろし、信仰にも似た強い信念の花を咲かせたのでした。
(きっと皇子様が迎えに来て下さる)

 二度目の夏、夕暮れ時になると、木立の間を鋭く残照が切り込み、ひぐらしの鳴き声が地からわき上がります。耳を塞ぐ蝉の声に、姫は一心に祈り続けました。
 新しい知らせもなく、人の行き来もなく、都も倉山田の家も現実味を失っていく中で、ただ1つの言葉だけが確信に満ちて響きました。
(きっと迎えに来て下さる)

 やがて蝉が死に絶えて、つかの間の静寂がもどると、限りなく紺碧の空から降り注ぐ秋の日射しに、子供のような無邪気な微笑を向けながら、約束の日が来ることを一心に願いました。
 話し相手といえば、月に一度、様子を見に来る日向だけ。
 周囲では無知な下女たちが黙々と火を焚き、床を清め、朝夕の膳を用意して待っております。
 造媛はいつものように質素な膳を食べ終えると、就寝前の一時を、傍らに思い焦がれる人の幻影を置いて、婚礼の晩に身につけた、華やかな盛装の一部始終を思い浮かべるのでした。
 髪を最新の唐風に高く結い上げて、額や頬だけでなく、うなじにも白粉をはたき、額に飾った桃色の花の花鈿《かでん》も愛 らしく、薄紅色の上着の上に、桃色の領巾《ひれ》を身にまとい、 贅を尽くした装いでございました。
 傍らに寄り添う幻の花婿は、どこかに早世した父の面影を留めた、美しく、凛々しい若者でございました。

 造媛《みやつこひめ 》が正気であったことは、 間違いありませぬ。
 その証拠に、久しぶりに訪れた日向《ひむか》か ら,都はとうに難波に移り、大和にはもう皇子はおいでにならないと聞いても,取り乱すことはありませんでした。

「春になって気候が良くなり次第、難波へ参りましょう」
 という日向の言葉に、造媛はただ静かに頷いて、
「日向様。さきほどのお話では、石川麻呂は右大臣となり、皇子に嫁いだ遠智媛は2人目の姫を生んだとお聞きしました。そんな時に私が皇子様の元へ行ったとしても、ご迷惑になるだけではないでしょうか。私も遠智媛を恐れて暮らしたくはありませぬ」
 きっぱりとした返事に、日向は、
(可哀想な方、何とかしなければ)
と、ただ哀れむだけだったことを見透かされたような気がして、思わず、言うべきかどうか、迷っていた言葉を口にしました。
「造媛様。実は都が難波に移ったとはいえ、一朝一夕にすべての宮や官舎が移動できるはずもございません。大和は長年都が置かれてきた土地、運ぶべき宝物も書類も数多く残っておりますので、大臣や皇族方も大和と難波との間を行き来なさっている状態です」
「その中に、中大兄皇子様もいらっしゃると…」
「はい、何度も大和におもどりになっているとお聞きしています」
「ではなぜ私をお迎えに来て下さらないのでしょうか」
 造媛の目が急にすがりつくような、憂いを帯びて光り輝きました。
「政《まつりごと》や遷都の件で御忙しく、つい後 回しになってしまうのでごさいましょう。次に皇子が大和においでになる時にはかならず、私がお連れいたします。約束します。ですから、早まった行動はなさらないで下さい。
大和へは、遠智媛も山田寺建立の様子を見るために来ることもある
そうです。万が一、このことが知られたら、危害に及ぶかも知れません。どうぞお気をつけて下さい」
「わかりました」
 日向は、今度こそ先延ばしにしてきたこと…皇子に真実を申し上げる…をやり遂げようと心にい誓っておりました。
 勇気のいる賭でございます。日向自身、造媛をさらった張本人だと讒言されている身ですから、皇子が信じて下さるかどうか、当てにはなりませぬ。
 また、石川麻呂の耳にでも入れば、造媛もろとも抹殺される危険もありましょう。
 けれど、皇子の信頼を勝ち取らなければ、将来は暗く閉ざされたままなのです。
 「遠智媛を恐れて暮らしたくはありませぬ」
 造媛の言葉に、自分がここ数年、時代の趨勢に押し流されて、自信も誇りも忘れていたことを改めて思い出したのでした。

 日向が去って十日ほどたった頃、造媛はふと時間つぶしに眺めていた木簡《もくかん》の中に、ある古い歌を見つけました。

 君が行き日長くなりぬ 山たづね迎へか行かむ  待ちにか待たむ(万葉集第二巻)

(あなたが去ってからすいぶん日数が経ちました。山を探し歩いて迎えにいくべきでしょうか、それともこのまま待ち続けるべきでしょうか)
 見る者を内側から突き動かす生々しい感情に、造媛の心は震えました。
 突然、姫の耳に自分を取り巻いている事実が、天からの声のように響きました。
(今のままでは、決して皇子様は迎えには来ない)
 本当なら絶望してもおかしくないはずなのに、かえって造媛の心は浮き立ちました。
(待っていても仕方ない。こちらから迎えに行かなければ)
 造媛は服を白い簡素なものに着替え、髪を後ろに束ねると、被布《かずき》を顔が隠れるぐらい深くかぶりました。
 顔を輝かせて廃寺を去る後ろ姿を、下女達が愚鈍そうに見送りました。

 その日は朝から灰白色の曇り空でした。
 今にも粉雪が落ちてきそうな空の下を、造媛《みやつこひめ》は被布《かずき 》をかぶり、凍えた指先を吐息で温めながら、歩き続けました。
 飛鳥京の大路で日は暮れかかり、空気は藍色に染まっていきます。
 噂で聞いていた皇子の宮の壮麗さ…
 大路に面した、御所にも負けぬ大きさの屋敷といえば、行く手に、煌々と松明を焚いている大門に間違いありませぬ。
 主の帰りを待ちわびて、火の粉が雪空に舞い上がっております。
 おりしも脇の道から灯りを手にした従者に先導された、馬上の若者が姿を見せました。
 その顔は、気まぐれな炎に照らされて影になり光になり、はっきりとした輪郭は見えません。けれど造媛はその人こそ、皇子だと確信したのでした。

「皇子様…」
 造媛は被布《かずき》を脱ぎ捨てて、皇子の名を 呼びながら走り出しました。
 雪のかけらが舞い散り、凍える寒さでございます。
 雪で湿った地面に沓《くつ》をとられて倒れ、起 きた時にはもう片方の沓を失っていても、皇子だけを見つめて走り続けました。
 気がついた時には皇子は馬から下り、すぐ目の前に、手を伸ばせば届く位置に立っておりました。
 もう一度倒れた時、皇子は泥がつくのもかまわず、姫を助け起こし、
「あなたは造媛なのか。噂は事実であったのか」
 声も枯れて言葉にならない造媛は、かろうじて小さくうなづくと、満足の笑みを浮かべたまま意識を失いました。

 造媛の体は介抱を受けているうちに、落ち着いた呼吸を取り戻し、手足にも温かい血が戻ってまいりました。
 微かに瞼をあけて、そこに人がいるのを確かめると、再び安堵の眠りの中へと落ちていく…そうやって眠りと覚醒とを繰り返し、三日目の朝、造媛は目を覚ましました。
 女官に助け起こされ、造媛ははじめて中大兄皇子と向き合いました
 何の飾り気もなく、朝日の中にたたずんでいる姿は、無垢な女神の降臨のように、神々しいまでの清澄さに満ちて、皇子は長い間探していたものを見つけたかのような、深い安堵感に包まれたのでした。

 数日後、造媛は女官達の手で装いを改めました。
 髪を結い上げて金の歩揺《かんざし》を飾り、薄 紅色の上着に、桃色の領巾《ひれ》を身にまとい、まるで雪の中に咲いた 紅梅のようでございました。
 導かれるまま、中庭に面した大広間へ参りますと、一面雪で覆われた庭園を背景に 婚礼や祝いの席に欠かせぬ楽人たちが笙《しょう 》篳 篥《ひちりき 》羯鼓《かっこ》を手にして、越天楽の曲を、ある時 は地を這うように厳かに、ある時は舞い上がるように高く低くかき鳴らし、花嫁と花婿の聖なる契りを祝福したのでした。
 中大兄皇子もまた盛装で造媛に寄り添い,その手に手を重ねました。
 その瞬間、二人の間を隔てていた年月と、石川麻呂や遠智媛らの企みは、取るに足らない雑音として背後に追いやられました。

 もちろん石川麻呂の方でも皇子の異変に気づかぬはずがございません。
 急に訪れも手紙も途絶えたのです。
 今までは数多くの愛人がいらっしゃっても遠智媛を、正妻として大切になさっていたのに、そうした配慮をお止めになってしまいました。
 それは忘れていたというより、皇子のはっきりした意志が込められていたような気がしてなりませぬ。
 遠智媛の方は、どんな女であっても、身分の点で自分の地位を危うくするような相手がいるはずもないと、たかをくくっておりました。
 ですから、真相がわかった時、石川麻呂の家中がどれだけ驚き、衝撃を受けたかは言うまでもありません。 
 宮中からもどった石川麻呂は、荒々しい足音を立てながら、まっすぐ遠智媛の屋敷へと向かいました。
 「こんなことになると知っていれば、倉山田家のために、二人を亡き者にしておいたのに!」
 娘の顔を見るなり,熱に浮かされたように血なまぐさいことを口走りました。
 「二人」とは、造媛《みやつこひめ》と蘇我日向《そがのひむか》殿のことでございます。
 石川麻呂は我が身を案じるあまり、弟と兄の娘を殺したい、と申したのです。
「皆が噂しておった。中大兄皇子は日向をお呼びになって話を聞いて『よくぞ造媛を守ってくれた』と、労をねぎらった上に『そなたは石川麻呂の弟とは言いながら、ずいぶん若い。私とほとんど年が変わらないように見える。誠実そうな目をしている』と、親しげに声をおかけになったというではないか。日向は父が晩年、下女に手をつけて生まれた子だ。あのような卑しい血を引く者が倉山田の一員などと、片腹が痛いわ」
 遠智媛は父の逆上ぶりに、陰鬱な笑みを浮かべながら、
「でもお父様は日向殿を利用したのでしょう」
 石川麻呂はさらに興奮して、
「その通りだ。わしはあやつを利用した!造媛を任せれば、手をつけて汚してくれるだろうと期待しておった。しかし現実は違っていた。あやつは亡き兄上《造媛の父》に忠義面して、造媛を匿っていたのだ…ああ…」
と、拳を苦しそうに額に押し当てながら、
「皇子の、私を見る目は嘲笑っていた。氷のようであった。冷ややかに笑いながら『右大臣よ、娘が見つかって、さぞうれしかろう』と、そう仰ったのだ。皇子は私の企みを全て知っておられる。そなたも覚悟しておくがいい。夫とはいえ、もはや心を許してはならぬ。二人の姫君を守るのだ」
 遠智媛は心の隅で、姫ではなく男児が授からなかったことを口惜しく思いました。
 跡継ぎとなる男児であれば、皇子が倉山田の家を敵に回すことなどできるはずがなかったのです。

 数日後、皇子は数ヶ月ぶりに遠智媛のもとを訪れました。
 二人の幼い姫君が、父君に甘えようと笑いかけたり、舌足らずな声で話しかけたりなさいましたが、皇子はお子様たちをあやしながらも、その表情はどこかに心を置き忘れてきたかのように暗く、虚ろでした。
 遠智媛ともろくに視線を合わせようとはなさいません。
 皇子は姫君たちを乳母の手に返し、杯に注がれた酒を一気に飲み干して、はじめて妻と目を合わせ、単刀直入に切り出しました。
「そなたの姉、造媛が見つかった。その話は聞いておろう」
「…はい」
「婚礼の夜に逃げたのではなかった。日向《ひむか》が、造媛の身に危害が及ばぬよう、廃寺に匿っていたのだ。私が無事を確かめたので、先日、改めて我が屋敷へ妃として迎え入れた。まことにめでたい。そなたもそう思うであろう」
「…」
 遠智媛は組んでいた指先を固く握りしめ、床を見つめておりました。
 皇子はもう一度杯を干し、険しい皮肉の笑みを浮かべながら、
「これからは造媛が正妻となり、倉山田家の大刀自《おおとじ/女家長》の地位も受け継ぐことになろう。そなたはあくまでも姉の身代わり、一時代わりを勤めたに過ぎない。そなたにも感謝はしている。
今後は右大臣・石川麻呂の娘として、達者に暮らすといい」
 遠智媛は気性の強い方だったので、涙で皇子様のお情けを乞うような真似はなさいませんでした。そうした強さが、かえって皇子の機嫌を損ねたのか、
「その目つきは何だ。私を怨んでいるのか。石川麻呂は我が子可愛さのあまり私をだまして、実の娘を押しつけた。そなたは身代わりなどではない、姉の地位を奪った盗人ではないか。もし造媛に危害を加えるようなことがあれば、容赦はせぬから、そう思え」
と、きつい口調で言い放ったのでした。
 遠くから、幼児の泣き声が鋭く沈黙を引き裂き、遠智媛は身を翻して奥に駆け込みました。泣いている姫君を抱きしめると、その体に顔を押しつけ、声もなく涙を流したのでした。
 皇子がことさら遠智媛を憎んでいたとは思えませぬ。
「過去の妻」になったに過ぎないのです。
 遠智媛にとって、憎まれた方が忘れられるよりどれだけ楽だったことでございましょう。捨てられた女には過去を思い出す以外にはないのです。
 
 大化元年(645年)冬、正式に難波京への遷都の詔(みことのり)が下されました。

 難波の地は古来より筑紫や東国へ向かう船旅の要所として、栄えておりました(解説/現在の大阪近辺をさす)
 かつては大雀命《おほさざきのみこと=仁徳天皇》の宮もあった、という言い伝えもございます。その後都が飛鳥に定まってからは、難波に都が置かれることはありませんでしたが、蘇我本家が滅びたことで、にわかに遷都が決まったのでした。血なまぐさい思い出を少しでも早く払拭したいという、皇子のお気持ちがあったに相違ありませぬ。
 
 難波京への遷都の途中、飛鳥京では不吉な出来事がありました。
 人の減った宮殿に野猿が侵入して、鳴き騒いだそうでございます。
 猿が人里に現れることなど、飢饉の冬でもないかぎり、滅多にありませんでした。
 人々はこれを「都が荒れる前兆だ」「野猿は伊勢の神の使いというではないか」
と噂し合って気味悪がり、命令に従おうとしませんでした。
 そんなわけで建物などは計画通り次々と完成していっても、遷都そのものは遅々として進みませんでした。

 しかし中大兄皇子は人の思惑などお構いなしに孝徳天皇を速やかに難波へと遷御《せんぎょ》させ給い、ご自身も皇族方を連れてさっさと移ってしまいました。
 造営されたばかりの都はどこも木の香りも初々しく、海に近い立地もあって
陽光の明るさは、真新しい屋根瓦に反射して眩しいほどでございました。

 宮中の庭には各地から集めてきた奇岩を積んで築山を作り、乙巳《いっし》の変の後に左大臣となった阿倍倉梯麻呂《あべのくらはしまろ》や、右大臣/倉山田石川麻呂なども、率先して自らの屋敷を飾り立て、遷都の雰囲気を盛りあげようとなさいました。
 ようやく世間も落ち着いてきて、庶民の市など立ち始めると、自然と人の往来も増えて、小さいながらも難波は日に日に都らしくなってまいりました。

 けれど中大兄皇子は、今では難波の地に居心地の悪さを感じておりました。
 本心を言えば、すぐにでも飛鳥に帰りたくてならなかったのです。
 一方、石川麻呂も、父の代から続いている山田寺建立を視察するために、たびたび一族を連れて飛鳥へ行きました。
 遠智媛もまた二人の姫君の手を引いて、蘇我氏の威信をかけて造営中の境内を見て歩いたものでした。しかし滞在先は夫君・中大兄皇子の屋敷にではなく、父である倉山田石川麻呂の屋敷でした。
皇子の屋敷には、造媛が暮らしていたからです。
 妻が夫が同じ家に住むのは、身分のある正妻だけに許された特権でございます。
 おりしも石川麻呂一族が山田寺を視察していた頃、造媛は皇子の屋敷で無事男御子を出産なさいました。 

 名は健王《たけるのみこ》
 中大兄皇子の初めての男子。
 母親は、右大臣・石川麻呂の長女、造媛。
 未来の皇太子《ひつぎのみこ》と申し上げても過言ではございませぬ。

 境内でその話を聞かされた遠智媛は、挑発的に背筋を伸ばし、皇子の屋敷の方角をキッとにらみ据えました。
 倉山田家に初の皇子が誕生したのに、一族に暗雲がさすとは、あまりに皮肉な話ではありませんか。
 これが遠智媛の出産であれば、石川麻呂も狂喜して踊り出したでしょうに、今は周囲の祝いの言葉を虚ろに聞き流しているだけでした。 形式上の祝辞と貢ぎ物を送った後、倉山田家は口を閉ざしました。

 「健や、健」
 中大兄皇子が馴れぬ手つきで健王を抱き上げ揺すると、赤子は居心地が悪くなってむずがり始めました。
 まだ生後半年しか経ていないというのに、手足もしっかりしていて、華奢な造媛の腕の中では対照的に大きく見えるのでした。
 皇子は「男児まで生まれた以上、飛鳥の僻地に置いておくわけにはいかない」と、難波に来るよう強く言うのですが、造媛はどうしても首を縦に振ろうとはしませんでした。
「石川麻呂を恐れる必要などない。形式的とはいえ、この子は孫ではないか。遠智媛への遠慮もいらぬ。あれはもう過去の女だ」
 造媛は穏やかに言葉をさえぎり、
「私は石川麻呂様を怨んでいるわけでもなければ、遠智媛を妬んでいるつもりもありません。この子は倉山田家全員に愛され、守られてもらいたいと思います。私は自分のわがままで、住み慣れた飛鳥に留まっていたいのです。健がもう少し大きくなるまで待っていただけませんか」
 皇子は澄んだ瞳に見返され、言い返す言葉はありませんでした。

 胸の中に芽生え石川麻呂への敵意。
 中大兄皇子も、はじめはそんな自分の気持ちを持てあましていたのかもしれませぬ。
 策略とはいっても、遠智媛《おちひめ》にわずかな愛情がなかったわけではありませんから、石川麻呂に向ける目にも敬意や労りの情があったことでしょう。
 けれど造媛《みやつこひめ》と出会い、健王が生まれてみると、皇子は、はじめて家庭の温かさを身に染みてお感じになったのです。
 今まで皇子の妻になった女性は、人恋しさに一夜の関係をもった女官や、政略結婚で迎えた豪族の娘ばかり。
 自ら選び、愛したのは造媛一人でした。
 まことに愛情は、時として人を恐ろしく身勝手にするものでございます。

 皇子は、たとえ造媛をただ1人の妻と決めていても、あまり重みがないことを肌で感じておりました。
 妃とは実家の後ろ盾があってこその存在。
 人の目には、愛もまた一時の感情に過ぎず、どのような深い寵愛を受ける妃といえども確固たる基盤がない限り、いずれ廃れるものと人目には映るのでした。
 石川麻呂がいる限り、造媛には帰る実家もなく、健王ともども皇子ひとりが頼りかと思うと、哀れさに胸が痛み、焼かれる思いでございました。
(石川麻呂さえいなければ…)
と、思い詰めるのも無理からぬ話でありましょう。


 ~紀伊《きい》の語り その三~
 

 大化五年のある日、皇子は蘇我日向《ひむか》殿を呼びつけて、
「石川麻呂はさぞかし私を怨んでおろう」
と、ご下問なさいました。
 日向は微かな戸惑いをおぼえながら、
「いいえ、怨むどころか、造媛への扱いを悔いております」
「悔いて、どうなるというのだ」
「さあ、私にも兄の意図はわかりかねますが、周囲の者に『悔いている、造媛にお詫びしたい』と、申しているそうでございます」
「私を恐れているのだな」
「倉山田家の者たちは、皆、皇子のお気持ちを推しかねて、当惑しているだけではないかと存じます。みなが、造媛への過去の仕打ちへの報復を恐れております」
 皇子は歪んだ笑みを浮かべて、
「造媛は復讐を企てるような女ではないが、『窮鼠《きゅうそ》猫を噛む』という言葉もあるではないか。
私を怖がるあまり、造媛や健王まで逆恨みするようになっては困る。石川麻呂にはくれぐれも『気にするな』と言ってやれ。遠智媛とその子らの面倒は一生見るつもりである、とな」
と、吐き捨てるように仰せになったのでした。
 そんな配慮とは裏腹に、中大兄皇子の、石川麻呂に対する陰謀は確かに進行していきました。
 もともと蘇我氏の権力は、1人残らず取り上げる決意でありましたが、ここにきて、造媛への愛をきっかけに、その勢いが増したと申し上げてもいいでしょう。
 石川麻呂への報復は、ある日突然、恐ろしい形で姿を現したのです。

 大化五年三月、突然石川麻呂は、皇室への謀反の罪を問われました。
 「帝の前で申し開きをさせて下さい!」
と叫ぶ石川麻呂に対して、孝徳天皇は謁見を拒否し、逮捕するよう詔《みことのり》が下されました。帝の使者との押し問答の果てに、石川麻呂は飛鳥への逃亡を決意します。
 傀儡《かいらい/人形の意》に過ぎない孝徳帝の背後に、まぎれもなく中大兄皇子の意志を見たからでした。
「どうせ命を絶つのなら、飛鳥で死にたい」
 故郷、飛鳥は蘇我氏の本拠地であり、長男の興志《こし》も山田寺建立のために滞在しておりました。
 石川麻呂が一族を連れて逃げ延びようとする中、遠智媛だけは難波京に残り、父を見送ろうとしておりました。
すっかり窶れた遠智媛が、頬骨の尖った顔に充血した目を見開いて、
「お父様、これからどうなさるおつもりですか」
と、問い詰めると、石川麻呂は、
「飛鳥には息子たちがいるから、とりあえず合流する…帝も直接お会いしてお話すれば濡れ衣だとわかって下さるはずだ…」
 と、自分でも当てにならないと知りながら、一縷の望みにかけて
そう呟きました。足早に去ろうとしている父の背中に向かって、遠智媛はたった一言、
「造媛がお父様を密告したのでしょうか」
 日頃無口な娘の、思い詰めた口調に、石川麻呂は思わず足を止め、
「わからない。だが、私はそう考えたくない」 
と、足下に視線を落としました。
 この後、石川麻呂は山田寺に立てこもり、家族を道連れにして非業の死を遂げました。

 公式の記録によりますれば、石川麻呂は山田寺の金堂で首をつって自殺した
そうです。しかし同じ記録の別の箇所では、「二田塩《にったしお》という兵士に、大臣(石川麻呂)の首を斬らせた、とあり、その話を聞いた遠智媛がひどく衝撃を受けた」と書き残されています。
 「首級を帝にお見せするために、遺体から切り落とした」と解釈もできますが、それならわざわざ「斬らせた」と書くでしょうか。
 また、父が自殺をしたのなら、娘の遠智媛が「父が塩に斬られた」と、衝撃を受けるでしょうか。斬殺されたから、悲しんだ、と解釈するのが人情でございましょう。
 私は石川麻呂は自殺ではなく、兵士の手で殺されたのだ、と確信しております。

 驚いたことに、事件からしばらくして、皇子自身が「石川麻呂は無実だった。悪いことをしてしまった。悔いている」と大げさに嘆いて見せたのです。
 もちろん本心では、悔いてなどはおりません。
 しかし、このままでいれば、造媛まで「謀反人の娘」という汚名を着ることになります。石川麻呂を抹殺し、なおかつ造媛の名誉を守るためには、口先だけでも「無実だった」と、名誉回復する必要があったのです。
 その後、皇子の名で没収していた石川麻呂の財産をすべて「遺族に返却する」と称して、造媛と健王ら母子に与えてしまいました。
 遠智媛には今の屋敷に住み続けることを許されただけで、父の遺産は何1つ、受け取ることはありませんでした。
いくら造媛を愛しているとはいえ、一度は妻にした女性を、ここまで貶める必要があったのでしょうか。

 皇子の策略を察して、遠智媛は自分の部屋に籠もったまま、いっそう深く、沈黙の海の底に沈みました。
 鎧戸《よろいど》を閉ざした暗い室内で、ほとんど食事も口にせず、寝台の上に正座して、
「造媛の仕業なのですね。造媛がお父様を密告したのですね」
 侍女が声をかけた時だけ、唐突にそう呟く姿は、哀れでもあり、薄気味悪くもありました。
  
 石川麻呂の誅殺から数日もたたないうちに、皇子は造媛の元へ来て、
「飛鳥は血で汚れてしまった。そのような場所に健王を置いてはおけぬ。すぐに難波に参れ」
と、有無を言わさず、難波行きを承知させてしまいました。
 出立の朝、造媛は健王を抱いて輿《こし》に乗ると、忌まわしい記憶を締め出すように、簾《すだれ》を下ろし、懐かしい景色を振り返って見ようとはしませんでした。

 皇子は「いつでも顔が見られるように」と、ご自分の屋敷の隣に贅を尽くした新しい屋敷を用意し、難波に着いたその晩には、全ての雑事を投げ出して、
造媛を両腕で包み込みました。
 造媛は恐ろしいほどの幸せの中で、皇子の手が優しく髪を撫でるのを感じながら、その胸に顔を埋め、啜り泣きました。
 嬉しさと、罪の意識と、悲しさの入り交じった涙でした。
「泣いているのか。この涙は誰のために流したものだ。石川麻呂のためか」
 皇子が手のひらに落ちた水滴を見せると、造媛は無言で目を伏せました。
「あの者が身を滅ぼしたのは己の罪だ。そなたには何の落ち度もない。自分を責めてはならぬ」

 確かに皇子の仰る通り、石川麻呂は伯父や従兄弟の血で手を染めた、蘇我氏の中の裏切り者でございます。今度は自分が身内に裏切られ命を落としたとしても自業自得、誰を怨むわけにもいきませぬ。
 けれど、生き残った遠智媛や二人の姫君には何の科《とが》もありません。

 回りの者に、遠智媛の様子を尋ねると、
「姫君方はお元気だと聞いておりますが」
と誰もが言葉を濁し、中には口元を手でおおいながら、
「部屋に籠もったきり、外にはお出にならないので、すでに亡くなっていると噂する者もおります。お付きの侍女も寄せ付けず、滅多に人も訪ねて来ないので、確かめる者がいないのです」
と、気味悪そうに言う者もおりました。
それを聞いて、造媛は胸を痛め、
「気鬱に伏せっておいでなら、なおさら慰めて差し上げなければ…
…私のものだけれど、遠智媛様のところへ届けておくれ」
 造媛はまだ袖を通していない紫色の上衣と赤い裙《も》に、金の歩揺《かんざし》や玉環《たまかざり》を添えて、送り届けさせました。

 嫌な役目を申しつけられて、侍女は腕の中の絹物が岩のように重くのしかかりました。
 案の定、石川麻呂の屋敷だった場所は、今はただの遠智媛の隠れ家であるだけで、ほとんど人の気配もなく、物音を立てる者もおりませんでした。
 「遠智媛様…」
 侍女が、恐る恐る扉を開くと、遠智媛は昨日と同じように寝台の上に座ったまま、ふり向こうともしませんでした。
「造媛様から贈り物でございます。お召し物です。『これに着替えて、たまには外へおいでになりますように』との伝言が添えられておりました。手にとってご覧になりますよう、こちらに置いておきます」
 侍女は、なるべく音がしないように寝台の隅に、衣装一式をくるんだ包みを置きました。
 一人になると、遠智媛は贈り物から微かに漂う香りに惹かれ、傀儡子《くぐつ/人形》のようにぎこちなく、包みを開きました。
 中から服に炊き込めた香の匂いがふわりと舞い上がり、遠智媛は一瞬懐かしさで、気が遠くなりかけました。
 思わず小袖や裙《も》を抱きしめて顔を埋め、
「懐かしい!あの晩に着ていたものと同じ香りがする…」

 嫁ぐ日、遠智媛は着ている衣装すべてに同じ香を炊き込めていて、金の歩揺も玉環も、あの時身につけていたものと酷似しておりました。
 なつかしい記憶に刺激されて、封印していた激しい感情が蘇りました。
 あふれ出した涙の勢いに耐えきれずに、遠智媛は衣装の上に倒れ伏し、しばらくの間、溺れる人のように紫色の上衣を掴んでおりましたが、ふと何かを思い出したのか、宙を見つめました。
「造媛…」
 乱れた髪の間から、泣きはらした瞳を輝かせて、何度も造媛の名を呟いたのでした。

 この年、健王《たけるのみこ》は、数え年で三つになりました。
 浜辺で拾った貝殻が、お気に入りのおもちゃの一つでございました、
「ひとつ、ふたつ、みっつ」
 健王は、貝を三つ、唄いながら地面に並べると、人の爪先のように薄く淡い桜貝をつまみ上げ、母の造媛に向かって、うれしそうに
「きれいな、かいが、みっつ」
と片言で笑いかけました。
「そう、貝は三つですよ、あたり。あなたは賢いお子ですね」
 造媛はゆったりと満足そうに微笑み返しました。

 遅い春の夕暮れ時、造媛はいつもよりも長く、庭で過ごしておりました。
「そろそろ風が冷たくなってまいりました」
 乳母にうながされて顔を上げると、空は微かに色あせ、西の方角から黄昏が近づいて来ていました。
 風向きが海から山へ変わったのか、風に、樹木の匂いがしました。
 造媛は、難波京へ来る途中、山越えをした時、同じ匂いに遭遇したことを思い出しました。
 長い時間をかけて堆積した樹液や落ち葉に根を下ろした、大樹のみが放つ、清々しい神聖な空気でした。
 古来から飛鳥と難波京の間には、丹比道《たじひみち》という街道が通っております。決して険しい道ではありませんが、ただ一カ所、二上山の南側を通る竹内峠《だけうちのとうげ》だけは、それなりの山道でありました。

 春先、山の樹木は怖いほど勢いよく枝を伸ばし、峠道では、空が見えないほどでした。
 造媛は難波京から飛鳥へもどるみちすがら、休憩の時、乗り物から降りて、そばにあった樹齢数百年は越えようとするケヤキを、無言でこちらを見おろしている巨人のように、畏怖の念で見上げたことを思い出しておりました。
 その木の前に立っていると、幼い健王を抱いて立っている自分が、いかにも小さく、弱々しいものに思えてなりませんでした。
 大木はまた、中大兄皇子の姿とも重なりました。
 いつしか皇子の力は、造媛が追いつくことのできないはるか高みにまで達していたのです。
 難波京は、権力という僅かな太陽光を求めて、多くの大樹が天空に向かって枝葉を競って伸ばしているかのような世界でした。
(そんな中で、私も健王も無事でいられるのだろうか)
 健王を抱きしめる造媛の腕に、いっそう力がこもりました。

 造媛は不安を打ち消すように、
「さ、中へ入りましょう。夕方の風が冷たいので、お風邪を引いてしまいます」
 まだ貝遊びに熱中している健王に声をかけ、抱き上げようとすると、向こうの木立の後ろで何かが動いたような気がしました。
 人影は、時折植え込みに服の裾をひっかけてガサガサと音をたてながら、無我夢中でこちらに近づいてきました。
 造媛は、木々の間に見え隠れしている、赤や紫色の服に見覚えがあるので、遠智媛ではないか、と気が付いて
「遠智媛?遠智様なの?」
と声をかけました。しかし、返事はありません。
(幻だろうか)

 幻ではありませんでした。
 遠智媛が、先日贈った紫色の上衣に赤い裙 《も》をつけ、高く結い上げた髪には金の歩揺《かんざし》をさして、誇らしげに踏み石の上に立っていたのでした。
 それはかつて、石川麻呂の権力が絶頂を極めていた頃、女主人として山田寺を訪れたのと同じ、誇り高い姿でした。

 造媛は戸惑いながら、
「やっと外へ出られるようになったのですね…」
 そう言って一歩前へ出た瞬間、遠智媛もまたすばやく駆け寄りました。
 その後のことは、目撃していた乳母も、あまりの衝撃に,思い出すだけで気が遠くなったそうでございます。
 まことに人を殺そうと決意した者の力はすさまじく、遠智媛の手に握られていた小刀は、造媛の胸を突き通しました。
 細い腕に、どれだけの怨みが籠もっていたのか、刃の先端が、背中から飛び出して見えたと申します。

 引き抜いた小刀は、血の筋を引きながら、横にいた健王に向けられました。
「おまえも死ぬがいい!」
 遠智媛が振り下ろした刃はわずかにそれて、幼児ののど首の下を傷つけただけでした。
 乳母は、自らの体を盾にして健王を守り抜きました。
 地面に伏した造媛の半身が、みるみる赤く染まり、やがて自らの血だまりの中に浸かっておりました。
 健王を見つめながら開いた唇は、終に言葉にはなりませんでした。
 健王は乳母の胸にめりこむほど強く抱きしめられながら、傍らで母がゆっくり死んでいく、一部始終を目撃していたのです。

 遠智媛は造媛の傍らで自害したとも言われていますが、定かなことはわかりませぬ。詳細な記録が残っていないのです。
 中大兄皇子の、造媛に対する、あまりにもひたむきな愛情を思うと、その後の遠智媛の身の上は想像がつきます。世間がまとこしやかに語るように、その場で皇子自身が手を下して成敗したとしても、何ら不思議はありませぬ。
 皇子にとって、最愛の人を失った自分の哀しみに捕らわれるあまり、元妻であった遠智媛の哀しみも怨みも寂しさも、眼中には無かったことでしょう。愛とは、まことに人の視野を狭くする,残酷なものでございます。
 
 健王は目の前で母を殺された衝撃のせいか、あるいは喉首の傷のせいなのか、その後幼くして亡くなるまで、二度と言葉を発することはありませんでした。 わずか八歳の短い一生でした。

 いつの頃からか世間には、愛する妻を失った皇子の哀しみを歌った曲が流れるようになりました。
 
  山川に 鴛鴦《おし》ふたついて 偶《たぐい》よく たぐえる妹《いも》を誰か率《い》にけむ
  …山や川辺に仲良く並んでいた鴛鴦《おしどり》ように、あの愛する人を、誰が連れて行ってしまったのだ…

  本毎《もとごと》に 花は咲けども 何とかも 愛《うつくし》き妹がまた咲きいできぬ
 …春が来ると、いたるところで花が咲くが、それが何だというのだ。愛する人は二度と花開くことはないのに…

 健王の早すぎる死が、その後どんな結果をもたらしたか、ご存じの通りです。
 どうしてもわが子に後を継がせたかった皇子は、卑しい侍女に産ませた次男を皇太子に指名して、戦が起き、国は乱れ…難波京も戦火に包まれて、衰退いたしました。
 同時に、蘇我氏も、ますます没落していきました…
 戦火は、それまで栄えていたものを全て灰に変えました…

 これにて私の語りは終わりでございます。
 武智麻呂様、私の長い物語にお付き合いいただいて、ありがたく存じます。

 そんな寂しい目はなさらないで。
 人生がいつか終わるように、物語もまた終わりを迎えてこそ完成するのです。
 終わらない愛も、終わりのない物語も、興味ありませんわ。

 …私たちの物語はまだはじまったばかりですって?…
 武智麻呂様と私が、これからやってくる藤原氏の栄華の物語に、愛の一編を書き加えるかもしれないと…
 あなたが私に強く惹かれるように、私もまた、あなたの愛に溺れていくと…そして2人とも、愛の中で溺死すると…
 それもまた、ありかもしれませんね…

           (完)