top of page

ユゴーの描くサン・ジュスト像

~サン・ジュストにあるテロの本質~

ヴィクトル・ユゴーVictor=Hugo(1802~1885)はロマン派を代表する作家である。

「個性と想像力」において19世紀最大の作家の1人であろう。

 代表作「レ・ミゼラブル」と「ノートルダム・ド・パリ」の人気は現在でも日本やディズニーでアニメ化されているユーゴーのような作家を、文学史上ではロマン派と呼ぶ。
 ロマン派とは、作者の心の中の葛藤や感情を、より多くの人の共感を呼ぶためにドラマティックに表現した文学である。
革命によって、古典伝統の継承が緩くなり、作者の個性の発露が始まった時代であった。

ユゴーの子供時代は複雑だった。
父ジョセはナポレオン配下の軍人であり、息子が10歳になるまで、イタリアやスペインなど配属地を連れ歩いた。
父は根っからのナポレオンの忠実な軍人だが、母はブルボン王朝の支持者だった。 やがてナポレオンは1812年ロシア遠征の失敗から、没落していく。
父はナポレオン没落に伴い社会的地位を失った。いまだナポレオンの夢さめぬ夫に、妻は冷ややかな視線を向け、息子を溺愛することで気を紛らわせていたという。
・・・2人の間にはさまれて、ユゴーは父への共感と失望という、相反する思いに引き裂かれていった。
「果たして父の敬愛するナポレオンは天才だったのか?。
 父の選択はまちがっていなかったのか?。
 それとも母の考え通り、ナポレオンを生んだ大革命じたい、まちがっていたのか?」
フランス大革命とナポレオンへの疑問が幼いユゴーの心を去来したに違いない。
ユゴーの心の葛藤は、「レ・ミゼラブル」の中にも反映されている。

有名な「レ・ミゼラブル」は、ジャン・バルジャンと養女コゼットの波乱に富んだ物語である。
もう1つ、副ストーリーとして、作者自身をモデルにした、「マリユス(またはマリウス)ポンメルシー」という青年の話が出てくる。
マリユスの 父はナポレオンの軍人で、没落と前後して妻を失い、一人息子のマリユスを妻の実家にとりあげられた。
ナポレオンを憎む祖父ジルノルマン氏は、マリユスに父親の悪口を聞かせながら育てた。
しかし父が亡くなった後で、父の本当の姿や、生前遠くから息子を見守っていたことを知り、天の声にも似た悟りをえる。
それはフランス革命とナポレオン帝国という、強く結びついた2つの歴史的事実への賛美だった。
長い間、心の中にしっかりとした父親像を持てなかったマリユスにとって、革命は父親のイメージと重なった。
そしてフランス革命の主要人物たちも、血や憎悪にまみれた生の人間像から、崇拝の対象へと変わっていった。

ユゴーは1830年、7月革命において、追放されたシャルル10世のかわりにオルレアン公ルイ・フィリップ即位に賛成して子爵の地位まで与えられられた。
18年後の1848年の2月革命で、今度はルイ・フィリップ自身が失脚すると、ユゴーは立法議会議員となり、共和制支持者となった。

その3年後の1851年末、ナポレオンの甥がクーデターを起こし、大統領を経て皇帝(ナポレオン3世、妻ユージェーヌはルイ・ヴィトンの顧客であった)になると、今度は共和制「主義者」となるのだった。
その一方で、彼は追放されたルイ・フィリップ王への支持も撤回しなかった。

一方フランス革命には、番外編ともいうべき「サン・ジュスト」なる男が登場している。
この男については、詳細は別ページで書いているので、ここでは省略する。
要は個人的な怨みや不満を社会正義にすりかえて、多数の人々をギロチン送りにした青年である。
この男は「騎士(シュバリエ)」の称号を持ちながら、王室を憎み、共和制へと激しく傾倒していった。

「悪人たちを裁判にかけるのではなく、電撃を喰らわせる」(※1)
「美徳か恐怖政治か」(※2)
「牢獄を開放するか、それとも汝の徳を証明せよ」(※3)
「他人を殺さなければ自殺するだろう」(※4)
「愛国者とは共和国全体を支持する者であって、細部において反対する者は裏切り者である」(※5)

ユゴーは、その作品である「4月の思い出」「贖罪」等で
「王位簒奪者やその共犯者たちの卑劣さをたゆみなく告発し、それと対照的に民衆の苦悩を叙述する」(※6)
「英雄がいない場合、神が奇蹟を行って復讐する(※7)」
「専制君主達から開放される人間が現れて、自由に対すると同時に、道徳生活に対しても覚醒するのである」(※8)

ユーゴーとサン・ジュスト
2人の言葉は、参照元を書かなければ区別がつかないほど似通っている。
ユゴーの作品の中で、サン・ジュストはどのように描かれているのだろうか
ストーリーに添って、その姿を追ってみよう。

※1~5いずれもサン・ジュストの言葉/カミュ全集6「反抗的人間」新潮社/「徳の宗教」P113-115
※6~8フランス文学史2/ G.ランソン&P.テュフロ著/有永弘人訳/中央公論社/P301-303
 同著より いずれもユゴーの作品中の言葉 

 

1、革命のスターたち

マリユスは父の生前の姿を知って、今までの反発が消え、禁じられていた父への愛がこみ上げた。
父の人生全てを肯定したくなった。と同時に、今まで嫌悪していた恐怖政治の主人公たちをも肯定した。
革命の無数の犠牲者、流血、戦争の無意味さは頭の中から消え、ナポレオンの侵略戦争のデメリットは脇においやられた。
ユゴー自身、一時期マリユスと同じ考えに取り憑かれただろう。
(ここからは翻訳者の持ち味をお見せするために、二種類の翻訳を並立した)
「その時まで彼にとっては、共和、帝国、などという言葉はただ恐ろしいものにすぎなかった。
 共和とは薄暮のうちの一断頭台であり、帝国とは暗夜のうちの一サーベルであった。しかるに今彼はその中を
 のぞき 込んで、混沌(こんとん)たる暗黒をのみ予期していたところに、恐れと喜びとの交じった一種の異様
 な驚きをもって、星辰(せいしん)の輝くのを見たのである。(※1)」

「これまで帝政とか共和国という言葉は、恐ろしい言葉に過ぎなかった。
 共和制は黄昏の断頭台だった。帝政は暗夜のサーベルだった。闇のカオスでしかないと思っていたのに、恐れと
 喜びの入り交じった不思議な驚きをもって、スターたちが輝くのを見たのである。(※2)P86」

熱狂するマリユスを、作者ユゴーは自嘲をこめて、こう表現する。

「剣に対する狂信がかれをとらえ、それが精神の中で思想に対する熱狂ともつれ合った。天才とともに、また天才と
 まぜこぜに、力を賞賛していることに気づかなかった。
 つまり偶像崇拝の2つの部屋に身をおいたのであって、1つは神聖なもの、もう1つは凶暴なものであった。
(中略)彼には、すべてをひとまとめにする激しい善意のようなものがあった(※3)90-91P」

「新たに一宗教にはいった者のように、明らかにその帰依は彼を酔わしてしまった。
 彼はそこに飛び込んで執着し、あまりに深入りしすぎた。それは彼の性質上、やむを得なかった。
 一度坂道にさしかかる と、途中でふみ止まることがほとんどできなかった。そして剣に対する熱狂は彼をとらえ、
 その思想に対する心酔と頭の中でからみ合った。彼は自ら気づかずして、天才とともにそして天才と一体になって、
 力を賛美した。言い換えれば、彼は自ら知らずして、偶像崇拝の二つの室(へや)の中に身を置いた、
 一方は神性なるもの、一方は獣性なるもの。(※4)」

マリユスは祖父ジルノルマン氏と口論の末、家を飛び出してしまう。ここでも後先考えず、30フランと時計と旅行カバンに古着の2、3着を詰め ただけだった。
(それでもジルノルマン老人は「あの吸血鬼(マリユス)に半年ごとに金を送ってやれ」といっている)

サン・ジュストは家を出る時、金目のものを持ち出したという説もある。

※1と※4 レ・ミゼラブル(3)ネット青空文庫/図書カード42602/豊島与志雄氏訳/第三部マリユス/六 会堂理事に会いたる結果
※2と※3 レ・ミゼラブル(3) 佐藤朔訳 新潮社文庫 平成18年度第41刷/第三章マリユス/5、教会委員に出会った結果

2、ABC(アベセ)の会

影で祖父から送金を受けるとも知らず、マリユスは孤独な独立生活をはじめた。
そんなマリユスの不安さにつけ込むように、接近してきたのが「ABC(アベセ)の会」である。
きっかけは「ABC(アベセ)の会」のメンバー、レーグルがマリユスのカバンに書かれた名前を見て、「同じクラスの子だ!」と気づき、待っていたかのように装って声をかけたことだった。

ABC(アベセ)の会とは、「下々の民(アベセー)」という単語の駄洒落である。
メンバーは以下の通り。(※1 P109~128 )    

アンジョルラス /ABCの会のカリスマ的リーダー(会の同性愛的中心人物NO1)

コンブフェール /几帳面で潔癖だが気が優しい。何でも信じやすい。(会の先導者でNO3)
「人間という言葉を愛した(P114)」

フイイ/1日働いて3フランがやっとの扇職人、孤児。祖国を母親のように慕う

クールフェラック/ 父は高貴の象徴である「ド」を名につけて「ド・クールフェラック」と名乗る金持ちのお人好しの善良青年(会の中心人物でNO2)

ジャン・プルーヴェール/ちょっとした気まぐれから学生運動に参加、気の弱い金持ちの息子
「尊敬すべきアンドレア・シェニエの首をはねたことで大革命を非難したP116)」

バオレル/暴動が大好き、浪費家「いつも上機嫌な男だが育ちが悪く、正直で浪費家(P120)」

レーグル・ド・モー /25歳で薄毛、投棄に失敗して一文無し「陽気な青年だったが運が悪かった(P122)」

ジョリー/ 感じのいい医学生だが精神を病んでいるらしい
「医学を学んだ結果、医者よりむしろ病人になった(P123)

グランテール/ 懐疑派だが、アンジョルラスに夢中 たぶん同性愛者
「アンジョルラスをこういうのだった。【なんてきれいな代理石像なんだろう!】P128)


かれらの集会所は、中央市場(レ・アル)近く~現在でもショッピングモールと大聖堂が混在している~の「コラント」
という酒場、またはパンテオン近くの「カフェ・ミザン」というカフェだった。
コラントは、後に暴動の舞台となる。
秘密集会が行われる時は、店と長い廊下で繋がっている奥の部屋で行われた。その部屋は裏通りに面して隠しハシゴ
のある脱出口があった。共和国時代の古い地図が壁に貼ってあって、それだけでも警察に目を付けられる、という。
メンバーはそこで大半はトランプをしながらタバコを吸い酒を飲んで大声でしゃべっていたが、暴動やクーデターに
関しては秘密が漏れないよう、小声で話し合った。

ABCの会のメンバーは、1)お人好しで理想家肌の金持ちの息子 
           2)元金持ちだったが現在は没落、または最初から労働者階級で、社会に怨みを抱いている
の、二つに分類される。基本は「お人好し・善良で理想肌」であろう。
しかし、その中心的人物であり、お人好し達のカリスマであるアンジョルラスだけはタイプが違っている。
結論からいってしまえば、アンジョルラスはテロリストであり、煽動者(アジテーター)だった。

21世紀の人間にとって、社会に対する鬱憤からくるテロ等々の暴力は見慣れている。
それらのテロがしばしば「排他的愛国心」(または排他的民族主義)という反グローバリズムをかかげている。
しかし現実には、反グローバリズムのテロがその国の安定性を失わせ、貨幣価値を下げ経済を失墜させている。
弱者を救うといいながら、ますます経済的に弱者を追いつめるだけである。
そういった意味で、テロリストは常に自己完結的であり、現実とずれている。
テロの語源になったテロール(恐怖政治)の人間も、21世紀のテロリスト同様、どこかずれていた。

作家・澁澤龍彦「異端の肖像」によれば、サン・ジュストは朝からワインを飲み、ソーセージを食べて「質素」だと自慢であった。
しかし、1782年に描かれたメルシェ「十八世紀パリ生活誌タブロー・ド・パリ」※2)では、はっきりと「パリでは朝食にワインを一杯やる人はいなくなった」という。
貧しい人々はワインにソーセージどころか、朝食に売っている薄いカフェオレ一杯を飲むので精一杯だった。
貧民が一杯の薄いカフェオレだけで、夕食まで何も食べずに重労働についていたのに対し、サン・ジュストは朝っぱらからフランス王朝時代風にワインを飲みながら、人民の幸福について語っていた。

サン・ジュストの「下々の民」に対する感覚は、微妙に「ずれて」いた。
この「ズレ=自分は質素=ストイック=美徳という思いこみ」も、サン・ジュストの自己完結傾向の証拠であろう。
別の言葉で表現するならば「ナルシズム」「自己満足」「自己顕示欲」である。

※1 佐藤朔氏訳 レ・ミゼラブル(3)/第四章 ABC(アベセ)の会/1,歴史的になりそこねた一団
※2 メルシェ著「十八世紀パリ生活誌タブロー・ド・パリ」岩波文庫(上)/2、様々な階層の人々/牛乳売りP237


3、アンジョルラスとサン・ジュスト


「最新フランス文学史(ロベール・ファーブル著・河出書房)」によれば「ユゴーはおそらく、政治活動がその文学の
 隅々までゆきわたっていた代表的な作家である(※1)」である。

そんなユゴーはフランス革命の残虐性を「善のために残忍になった人たち(P56)※2」と呼ぶ。
我々は、いかなる理由があろうとも、独善性のために残虐行為に走る者を「テロリスト」と呼ぶ。

独善性といえば聞こえはいいが、テロの本質は「ナルシズム」「自己満足」「自己顕示欲」である
ユゴーの時代、まだテロリストが、「社会への(かっこいい)抵抗」だと受け入れられていた。
(それだけテロが珍しかった)ある意味幸福な時代であり、また逆の見方をすれば、テロが平然と受け入れられるほど不幸な時代でもあった。

無差別殺戮が認識されにいくかった時代(つまり「我が身も攻撃の対象となる」という意識が低かった時代)「善のために残忍になった人たち」を、もっともらしい正義に見せることはさほど難しいことではなかった。
情報伝達手段が乏しかったために、強烈な主張が疑いなしに受け入れられたのである。
また、仮に口に出して反論しても、粛正の対象になるだだけだろう。
世界が一丸となってテロリストを糾弾するには時期尚早だった。

ユゴーの描くテロリスト・アンジョルラスとはどのような男であったか。

「アンジョルラスとはときに恐ろしい男にもなれる男だった。彼は天使のように美しかった。(中略)
 青年には珍しく司教的で戦士的な性格だった。
 彼の情熱はただ1つ、邪魔者をくつがえすことだった。
 共和制的でないものには潔癖にもすべてに目を伏せた(P112)※3」
「学校から抜け出てきたかのような彼の顔、小姓のような首筋、ブロンドの長いまつげ、青い目(P113)※4」
「もう大人なのに子供のように見えた。22歳なのに17歳ぐらいに見えた(P112)※5」
「なんてきれいな大理石像だろう!(P128)※6」

アンジョルラスをまとめると、このようになる。
1)顔立ちはいい
2)司教的で戦士的な性格(簡単にいえば戦闘的な原理主義者)
3)邪魔者は排除する(共存、話し合いといった発想はない。この点もテロリストの本質である)
4)外見が子供っぽい

 

サン・ジュストのあだ名が天使であった。そしてアンジョルラスの名前には「アンジェ(天使)」が含まれている。

アンジョルラスのモデルがサン・ジュストであることには間違いないが、しかしこの男のリアルな容姿については、背が高かったか低かったか、髪が金色か栗色なのか、資料によってバラバラであり一定していない。
共通しているのは表現は違えども「子供っぽい、女っぽい容姿(つまり男性的ではなかった)」「神経質で非寛容」な点であった。

それは寛容を説いて今も評価の高いダントンが「荒々しく男性的な容姿」として描かれるのと対照的である。
寛容さとテロリズムは、究極の相反する思想である。

恐怖政治のアイドルは、皮肉にもフランス革命が憎んだキリスト教の大天使であった。
中世の昔から、天使は悪を滅ぼす神の兵士として、教会の正面(ファサード)から微笑みをうかべ、訪れる参拝者を出迎えていた。

サン・ジュストの、「子供っぽく男性的でない」外見と「きつく攻撃的な言動」のアンバランスさが、キリスト教絵画に現れる大天使の「無垢/仮借なさ」の両面性を連想させた。

それ故、独裁的なロベスピエールが1794年失脚し、仲間のサン・ジュストらとともに処刑された時、独特の個性を持つとして、サン・ジュスト1人のイメージだけが一人歩きして美化され、一部の後世に伝わったのだろう。

「その目(アンジョルラス)を見ると、前世にすでに革命の啓示を受けてきたようだ。(中略)彼は司祭で軍人だった。
 ブロンドの髪、深い瞳、少し赤みがかった瞼と、今にも毒舌を吐きそうな下唇、広い額を持っていた。
 顔に広い額があるのは地平線に 広い空が開けているようなものだ。(中略)異常な若々しさと少女のようなみずみず
 しさがあった。もう大人なのに、子供のように見えた。22歳なのに17歳ぐらいに見えた。謹厳で、この世に女という
 ものが あることを知らないかのようだった。彼の情熱はただ1つ、権利であり、思想はただ1つ邪魔者をくつがえす
 ことだった、(中略)国民議会であったなら、サン・ジュストにでもなれた男だろう(P112)※7」

サン・ジュストの人物像を、19世紀において反グローバリズムのシンボルごとく印象付けたのが、ユゴーの「レ・ミゼラブル」である。

ほぼ同時代のミシュレもまた、サン・ジュストを、ユゴーとよく似た(さらにわかりにくく抽象的な)シンボルとして描いている。そのイメージは20世紀、カミュの著書「反抗的人間(1951年に刊行)」に受け継がれる。
興味のある人はそれらを読んでもらうとして、「レ・ミゼラブル」を先に進めよう。

「アンジョルラスは青い目を誰にもむけず、空間を見つめている様子で、マリユスの方を見ずに答えた。
 『フランスが偉大になるのにコルシカ島などいらない。フランスは、フランスであるからこそ偉大なのだ。
 (P150~154)※8」

※1 ロベール・ファーブル著・河出書房 P169
※2 レ・ミゼラブル(4) 佐藤朔訳 新潮社文庫 平成18年度第41刷 
※3~8 レ・ミゼラブル(3)佐藤朔訳 新潮社文庫 平成18年度第41刷

                        
5、暴動


レ・ミゼラブルの見せ場は、パリの暴動シーンだ。それまで平行線だったジャン・バルジャンとマリユスの運命が初めて交差する場面である。

ABCの会とともに暴徒と加わり、大けがを負ったマリユスをジャン・バルジャンが単身救い出す。1832年6月だった。実際1832年6月、パリでは共和派による暴動が起きていた。

1830年の7月革命とは、ナポレオンの失脚後、ブルボン王家の生き残り(ルイ16世の弟たち)による王制復古政府を民衆が打倒した事件である。革命と政 教分離を否定したシャルル10世を、ブルジョア階級と庶民が手を組んで、国外追放に処した。以後、シャルル10世は二度と国にもどらなかった。
この時の暴動側の死者は800人、怪我人は4000人。王族オルレアン公ルイ・フィリップが市民の意向にそった国王として即位した。「トップの首をすげかえた」という点で、7月革命は英国の名誉革命(1688年)と似ている。

1832年はこれといって引き金になるような大事件はなかった。せいぜい不潔さからくるコレラの流行と、ラマルクという人気者の将軍(原作では「ナポレオンの「意中の人(イン・ペト)」と表現されている元帥)が亡くなっただけだった。それでも民衆の欲求不満は膨れあがっていた。

ユゴー自身が作品の中で「七月革命がすぎて二十ヶ月しかたたないうちに、せっぱつまった威嚇的な形で(P39)※1」
その年が始まった、と表現している。

無政府状態は情報が乱れやすく、デマが飛び交う。意図的にデマを飛ばす者もいたし、またあえて興奮を煽り立てる者もいた。煽動者(アジテーター)である。テロリストは、しばしば煽動者を兼ねる。

アンジョルラスもその1人だった。

「メーヌ城門には大理石工や画家や彫刻家下彫り工がいる。熱狂的だが冷めやすい連中だ。しばらく前から、かれらの
 行動には納得できない。ほかのことを考えているんだ。火が消えかかっている。ドミノ遊びで時間を潰している。
 (中略)灰になりかている奴を、吹きおこしてやらねばならない。(アンジョルラスの言葉 P59~59)※2」
「僕たちが今どういう状況にいるのか、誰に期待したらいいのか、知っておくべきだ。(中略)
 この仕事は明日に延ばすべきではない。革命かというものは、いつも急がなければならない。進歩は浪費すべき時間を
 持たない。不意打ちを用心しよう。不用意をつかれないようにしよう(アンジョルラスの言葉 P57)※3。」
「兵は拙速を尊ぶ」という諺がある。不意打ちされる前に襲撃した方が勝算は大きい。

しかし、アンジョルラスの言葉の意図はそれ以外にもあるように思える。
彼は、他人に「冷静になって考える時間を与えてはならない」と言っているのである。
冷静になれば、当時のパリが慢性的な貧苦で苦しんでいたにせよ、戦時下ではない事実がわかる
人を殺し、ものを破壊すれば、生活苦の上にさらなる苦労が重なるだけである。
どんなに貧しかろうと、「メーヌ城門の大理石工や画家や彫刻家下彫り工」ら労働者たちには家族があり、ささやかな生活があった。
一時の興奮が冷め、地道な日々にもどっていこうとする彼らの方が、アンジョルラスよりよほど常識的に見える。

他人をだますテクニックの初歩は「考える時間を与えない」である。
ABCの会のメンバーたちは、アンジョルラスの指示のもと、民衆が冷静になる暇とあたえないように、手分けしてアジテーション(煽動行動)することに決めた。

ABCの会は、それぞれ扇動する相手が決まると、散っていった。 メーヌ城門へはグランテールが向かった。
アンジョルラスは別のグループ扇動を請け負い、目的地に向かいながら1人微笑んでいた。

「一種の潜伏している社会の病気の前駆症状である諸事実が活発に動いていないと、ちょっとした併発症が起こっても
 その動きは停止し、混乱を生ずるものだ。こうした現象からは、崩壊と再生が生じる。アンジョルラスは未来の暗い
 襞の下に、輝かしい蜂起を予見した。どうなるんだろう!。時期が近づいているのかもしれない。
 再び権利を取り戻す民衆、なんと美しい光景だろう!革命が再び堂々とフランスを占領し、世界に向かって
 『明日を見よ』と叫ぶのだ。(中略)今この瞬間にもパリ中に散らばる同士の導火線を握っているのだ
 (P62)※4」

アンジョルラスが微笑んでいるのは、自分の手で時代を動かしているという実感だった。
自ら群衆をコントロールするために意図的に混乱した状況を作り出す。
暴動も暴力も、アンジョルラスが指導者として登場するための舞台設定にすぎない。
「混乱の最中、俺の言葉に聞き惚れて熱狂する群衆!」という幻想。
むろん、アンジョルラスの原形であるサン・ジュストにも当てはまる
煽動者(アジテーター)の本質とはそのようなものである。
(実際群衆を前に演説したり、新聞での煽動するといった形に限らない。
 サン・ジュストは自分自身より、もっと権力のあるロベスピエールを煽動して恐怖政治をすることで
 人々をコントロールしようと試みた。)

アジテーターの起源については元々英国のピューリタン革命(清教徒革命)の中で生まれた言葉であり
現代とは意味が異なっていた。その点については別の章を設けたい。

アンジョルラス=サン・ジュストのイメージは「民衆の」自由と平等と権利を求める。
(「イメージ」と書くのは、後世の人間の創作が含まれるのであって、全面的に実像を伝えている
  とは限らないが、しかし事実を含んでいるので否定もできない、という抽象的な意味合いである)

が、その民衆とは、彼自身が信奉している大義に同調し、洗脳され、すなおに死んでいく人々であった。
大義とは、アンジョルラス=サン・ジュストと融合した神そのものである。
大義と融合したアンジョルラスも(彼の意識の上では)神である。
大義に疑問を抱く者=彼に逆らう者=「神の敵」である。
神の敵は、排除して当然だった。
ゆえに、サン・ジュストは批判的な仲間を斬首し、アンジョルラスは意に添わない暴徒を射殺するだろう。

アンジョルラス=サン・ジュストのイメージは内部に矛盾をかかえている。
共和制とは、本来は個人崇拝を廃した、匿名性の強い政治理念のはずである。
匿名性とサン・ジュストの自己顕示欲とは激しくぶつかっていたはずだが、本人は自我の葛藤だとは気づかない。
無意識に他人に崇拝と絶対服従を求めながら、意識の上ではそれを強く否定せざるをえない。
共和制の信者だからである。
そこで彼は「大義」と合体する。
大義の仮面をかぶったアンジョルラスやサン・ジュストはもはや1人の男ではない。
聖なる司祭であり、戦士である。

「ひざまずけ、民衆よ、われこそは神の化身であり、神の代理である。」とでも言いたいのであろうか

独裁国家にせよ新興宗教にせよ、つねに煽動する者(アジテーター)と、洗脳が解けた者との間には死闘がある。
民衆は、コントロールされていることに気づかず、あくまで自発的に行動していなければならない。
人々は洗脳が解けた者が血祭りにあげられるのを見て、恐れ後ずさりする。
洗脳ではなく、恐怖が人々を煽動し、コントロールするようになる。
そこには絶対服従はあっても、自発性はない。魂のぬけたゾンビの群のようなものだ。
自発性に欠けた服従は、煽動者のプライドを傷つける。
なぜならそれはすでに言葉によるコントロールではなく、力ずくの支配に過ぎないのだから。
たとえテロリストが暴力で民衆を支配するにしても、言葉で支配する(アジテーション)の方が格上である。
サン・ジュストは失脚する直前、

「革命は凍結した。すべての原理は弱体化した(※5」
と言ったという。

言葉ではなく、恐怖によるコントロールは脆弱であると、悟ったのであろう。
サン・ジュストは殺害される瞬間まで押し黙っていた。
己の言葉の無力さを感じていたからである。
と同時に、自分がコントロールできなかった民衆に対して怒っていた。

「レ・ミゼラブル」の中で、アンジョルラスの煽動は当初はうまくいっていた。
暴徒たちは、アンジョルラスの意図通り、「武器をとれ!」という叫びとともに、兵舎や武器庫、武器商店から銃器を強奪してきた。そしてほとんど逃げ場のない路地に「一時間足らずのうちに27のバリケードが茸のように出現した。
(※6 P382)

もちろんアンジョルラスはサン・ジュストをモデルにした架空のキャラクターであり、1832年の暴動の中に似たような煽動者が実在していたのだろう。彼はこの暴動の首謀者ではない。
それを言えば、サン・ジュストも小さな火付け役に過ぎない。

サン・ジュストは故郷ブレランクールの役所前で、演説中、燃えさかる炎の中に手を突っ込むパフォーマンスをしたという。
フランス王ルイ16世の処刑の是非をめぐって演説した時は花形であったが、別にサン・ジュストがいようと、いなかろうと歴史的に大した違いはなかったであろう。
ルイ16世への非難は、ピューリタン革命のチャールス1世判決を踏まえれば、特別ユニークなものではない。

アンジョルラス=サン・ジュストのイメージは、煽動者としては小者である。

ちなみに現在では、フランス革命の恐怖政治を制止しようとしたダントンが高く評価されている。
一部の人間は、さながらダントンの汚職がサン・ジュスト【ら】の虐殺より悪事であるように解釈しているが、それは世間知らずから来る発想であろう。
ちなみにかれらに「ではサン・ジュスト個人のユニークな業績を【具体的】にあげよ」と質問したなら答えられる者はいない。

さて、アンジョルラスとその仲間たちが立てこもったのは、シャンブルリー通りの一部(溜まり場であった「コラント」
という酒場のある、朝顔型に開いた行き止まり)と、モンデトゥール通り(道の両側を塞ぐと、サン・ドニ通りからしか攻撃を受けない)のバリケードであった。

「コラント」の名前も象徴的である。サン・ジュストが理想的国家と見なしたスパルタと関係の深い、ギリシャの古都で
ある(ギリシャ語では「コリントス」)原作では、画家が余興で柱にブドウの絵を描いて、ギリシャ風の名前をつけたことが由来だったというが・・・・

アンジョルラスらを先頭に、暴徒は敷石をはがし、コラント酒場の樽やら家具でバリケードを建設し、通りかかった馬車を転倒させ弾よけにした。

おもしろいことに、暴動に参加している一部を除き、多くの住民が避難もせず家に籠もって関わりを絶っていることである。
暴動は日常茶飯事だった上に、安全な逃げ場もないのである。
世辻や路地で撃ち合いがはじまり、散弾が人家の壁を打ち抜いて中にいる住人を殺害した。
暴動そのものがすでに始まった時点から多数の人間を巻き込み、殺傷していた。
そんな中「アンジョルラスは防壁(バリケード)の上に立って」美しいポーズをとっていた。サン・ジュストも戦場で目立つ議員服のまま台の上に立っていた、という。

アンジョルラスは酔った仲間に向かって怒りを露わにした。
「グランテール!ここから出ていけ!酔いをさましてこい!ここは熱狂の場所で、酔っぱらう場所ではない。
 バリケードを汚すな!(※7 P439)」

バリケードはある意味アンジョルラスの1人芝居の舞台である。
彼は人々を扇動して、革命家だという幻想に酔いしれている。
こんな時に、酔っぱらった脇役(仲間のグランテール)が邪魔をした。
もしこの時、グランテールが彼の忠告を無視して騒ぎ続けていたら、殺害されていたかもしれない
アンジョルラスがアジテーションしている場所から数十メートル先で、人々は玉突きに興じ、カフェがにぎわっていた。

こうした状況を滑稽と見るか、カッコイイと見るかは個人の主観だろう。だが、かれらがやっていることが成功の見込みのない、未来性のない暴動だった視点からすれば、悲劇である。

※1~7レ・ミゼラブル(4) 佐藤朔訳 新潮社文庫 平成18年度第41刷 
※5 サン・ジュストの言葉/カミュ全集6「反抗的人間」新潮社/「恐怖政治」P117

              
6、アンジョルラスの殺人 

それまでアンジョルラスは、殺人を予告していないわけではなかった。
第4部12章「コラント」の「ピエット通りで加わった男」では、偵察に来ていたジャベール警部が捕らえられた。
(ジャベールはジャン・バルジャンの宿敵である。)
アンジョルラスは「バリケードが占領される二分前に、あんたは銃殺だ(※1 460P)」と公開殺人の予告をしている。
いざバリケードが陥落した時には報復として血祭りにあげるつもりであった。

バリケードを占拠した人々には雑多な人種が入り交じっていた。服装もバラバラ、人夫やら脱走兵やら店主の親爺やらが掠奪した銃や爆薬、サーベルを手に集結した。かれらに共通していたのは無差別な攻撃心と欲求不満だった。
暴徒の中には警察官らしいものも含まれていた。

ともあれ全員が、邪魔するものは敵として排除するという欲求で煮えたぎっていた。
攻めてくる政府軍と撃ち合い、戦闘の合間には道路を横切る罪のない通行人を射殺し、死体の山を築いたのだった
暴動に参加していて銃を使った者は平等に殺人者である。
当然アンジョルラスも殺人者に含まれる。

暴徒の中には警察出身の男カビュック(仮名で参加していた)が混じっていた。
(ユゴーの記述によれば警察官が混じっていたのは史実らしいが、スパイとして入っていたのか
 暴徒として自由参加していたのか不明である。興奮しやすい市民性からして、自由参加ではなかったのか)
敵を迎撃するためにバリケード内にある6階建ての家に目を付けた。
そこからなら、サン・ドニ通りにいる敵に向けて攻撃することもできる。
さっそく使おうとしたところ、住民の老人に邪魔された。押し問答の末に住民を射殺した。
カビュックにしてみれば、アンジョルラス同様「邪魔者を排除しただけ」である。

ところが、アンジョルラスにとって、カビュックが邪魔者になった。
アンジョルラスは「人殺し!反省しろ」と叫びながら、カビュックに銃を向け、「助けてくれ」と哀願しているにもかかわらず射殺してしまったのである。カビュックは自分の目的を達成するために人を殺した。
アンジョルラスも自分の目的のために人を殺した。一見すると似たように見える。
2人の違いは、アンジョルラスが自分を正当化するために長々演説をしている点である。
・・・・・・
「市民諸君、あの男がやったことは恐ろしいことであり、僕がしたこともひどいことだ。
 彼はひとごろしをした。だからこそ僕は彼を殺した。そうしなければならなかったのだ。
 なぜなら反乱には規律が必要だからである。(中略)われわれは革命に見守られている。
 われわれは共和国の司祭 であり、義務の生贄であり、われわれの戦闘が中傷されることがあってはならない。
 だからあの男を裁き、死刑に処した。また僕も自分を裁いた。
 自分をどんな刑に処したかは君らにもわかるだろう。(※2 427P)」

煽動者(アジテーター)は「自分は死んで責任をとる」といったセリフを好む。
これから死んでいく集団を煽動するには、効果的なロジックだからである。
しかしアンジョルラスの場合はやや異なる。
彼は人殺しをしたことは「必然に従った」といい、死ぬきっかけができたことを、むしろ歓迎している。

まずかれらの置かれた状況

1)弾薬武器は暴徒が集まってくる時にめいめい掠奪してきたもの。予備なし
  コラント酒場の女将らが恐怖でひきつっているところを包帯作りに駆り出す
2)暴徒が集まって16時間で、食料は尽きた。
3)当初は援軍が来るものと信じていたが、やがてそれが空想だと自覚し、玉砕を覚悟する
(実際万難を排して駆けつけたのは、愛娘コゼットの恋人マリユスを助けようとする
 ジャン・バルジャン1人であった。マブーフ老人とガヴローシュ少年は半ば自殺志願でやってきた)

このような説明を読む限り、バリケードに立てこもった暴徒は玉砕による犬死に覚悟か、さもなければ日頃のうっぷんばらしであろう。巻き込まれた民衆は哀れである。

さらに意味不明なのは、「死ぬ」と決意したアンジョルラスが、一人舞台であるバリケードの上で、美しいブロンドの長い髪を振り乱しながら
「諸君、未来を想像せよ、真実は革命である(中略)」
と演説しているシーンである。
その理由は「あまりにサン・ジュスト的で、アナカルシス・クローツ(理性的指導者)的なものが足りなかった。」
※3 35P)からだという。

 

サン・ジュストがバリケードに立てこもるほど無謀だったわけではない。
といっても、サン・ジュストが理性的とか個性的だったかといえば、否定せざるをえない。
そんなサン・ジュストを、世界的大作家ユゴーは、理性に欠けたアンジョルラスとして描いて、後世に残したのである。

つまりユゴーは、サン・ジュストの主張が現実的ではない、理性の欠けたものだと「承知していた」のである。
理性的でない、と書くと悪く聞こえるが、「芸術的・主観的・流行モノ」と別の表現をしてもいい。
サン・ジュストはもともと流行に敏感な詩人・文学・作家志望の芸術系の人間だった。
中途半端な才能の芸術系人間に、現実的で理性的な時代に則した社会改革の計画を建てろ、と求める方が無理なのかも知れない。

この後の展開については説明する必要はないと思う。大方想像がつくだろう。
アンジョルラスは多数の人間を巻き込み、仲間と共に玉砕する。
(修羅場から脱出できたのは、ジャン・バルジャンに助けられたマリユスだけだった)
いつの時代でもテロリストは熱く、命知らずである。

アンジョルラスの姿は、「IS]を名乗るイスラム原理主義者と重なる。
だが、両者は決定的に違っている。
アンジョルラスやサン・ジュストが生きたのは、18世紀末から19世紀初頭、まだテロが世界を改善できると思われていた時代だっ

た。

一方、同時テロの実行犯が生きたのは、テロが無意味だと悟りきった21世紀であった。
この200年余で、人類は多少なりとも暴力の無意味さを悟ったはずだった。
しかし、未だにアンジョルラスやサン・ジュストのような暴力や軍事に多大な夢を抱き続ける人種が消えることはない。

※1~2  レ・ミゼラブル(4) 佐藤朔訳 新潮社文庫 昭和56年度第16刷 
※3 レ・ミゼラブル(5) 佐藤朔訳 新潮社文庫 平成18年度第41刷 

                                      

 参考資料/
フランス文学史2 G・ランソン著 中央公論社
近代フランスの歴史~国民国家形成の彼方に~谷川稔 渡辺和行編著 ミネルヴァ書房
反抗的人間 カミュ著 カミュ全集6 新潮社 訳 佐藤朔
十八世紀パリ生活誌タブロー・ド・パリ メルシェ著 岩波文庫(上)
青空文庫 レ・ミゼラブル 豊島与志雄訳
レ・ミゼラブル  佐藤朔訳 新潮文庫(第41刷と16刷)

bottom of page