マーガレット・クリフォードの肖像(部分)

 /ハンス・イワース作/テート・ギャラリー所蔵
 肖像画(全体)

 

     もう1人の王位継承者
マーガレット・クリフォード
  Margaret.Clifford
 (1540~1596)

              
  クリフォード家系図
              
 マーガレットはヘンリー7世の曾孫にあたる美女であった。
 チューダー家特有の赤みがかったブロンドに細く整った鼻、生まれ持った妖艶な唇は、紅を点さずとも赤かった。
 
 チュー実家であるクリフォード家は、カンバーランド伯爵家であった。
 初代カンバーランド伯は、もともと男爵の家系であったが、カンバーランド家の跡継ぎである女性と結婚したことで、伯爵の地位を継承した。というのも、この時代女性もまた財産贈与を受けたものの、結婚すると、全て自動的に夫の所有物となったからである。財産だけではない。爵位などの社会的地位もまた、夫のものとなった。

 その長男であり、2代目カンバーランド伯爵ヘンリーは、時の国王ヘンリー8世にいたく可愛がられ、アン・ブーリンの即位式にはその供回りであるバス・ナイトに任命され、その上同年国王の妹メアリー内親王の次女に当たるエリノアの夫となった。
 これでクリフォード家は、エリノアの子孫であれば、王位継承権を持つに至ったのである。
 残念なことに、2人の間に生まれた息子チャールスは早世し、娘のマーガレットだけが生き残った。

 このマーガレットの夫となったヘンリー・スタンリー(ダービー伯爵)の一族は政治的に優れた直感を持った一族であった。
 初代ダービー伯は、ヘンリー7世の母后マーガレット・ボーフォートの3度目の夫にあたる。
 その曾孫の4代目ダービー伯爵ヘンリーは、若くしてエドワード6世の側近となっていたが、時の摂政サマーセット公とも距離を置き、サマーセットのライバルであったノーサンバーランド公とも距離を置いていた。そしてノーサンバーランド公がジェーン・グレイを強引に冊立した時には、いち早くメアリー1世を支持したことで、新女王のお気に入りとなった。
 そしてメアリー女王が唯一の親戚として厚遇している叔母メアリー内親王の孫マーガレットを妻に迎えた。

1555年2月に行われたヘンリーとマーガレットの結婚式は、メアリー1世とフェリペ2世の2人の行幸もあり、実に盛大なものだったという。
「豪勢な正餐と馬上槍試合、その後馬上剣試合、その後夕食とステッキ試合、60の油壺と00の松明を照明にして芝居、仮面劇、さらに宴会」
(ヘンリー・メイチンの日記)

 しかし、ダービー伯の思惑は初めて外れた。メアリーとフェリペの国王夫妻は後継者を作る事がかなわず、王位はメアリー1世の異母妹エリザベスへと移っていったのである。
 新女王エリザベスがメアリー内親王家を目の敵にしていることは周知の事実であった。
 内親王はエリザベスの実母アン・ブーリンとは犬猿の仲・・・。
 その確執を、未だに引きずっていたからである。

 そのせいもあろうか、ヘンリーの心は急速にマーガレットから離れていった。
 マーガレットはその所領のあるチェシャーに住んでいたが、夫から与えられた生活費は、年間わずか90ポンドであった。
 ノーフォークの肉屋であったケットの年収が50ポンドであったのだから、彼女の年収は、平民肉屋の2倍にも満たなかった事になる。
 王位継承者が、平民と変わらない生活・・・着る物さえままならず、侍女達に支払う給料さえなかった。
 マーガレットは恥を忍んで、いたる所で借金をして歩き、首が回らない状況に陥っていた。

 

 ダービー伯爵家にとって、今やマーガレットの持つ王位継承権は、お荷物どころか爆弾並の危険なものだった。
 エリザベスがいる限り、決して王位など手に入らない上に、絶えざる女王の憎悪の的だったからである。
 エリザベスは、誰か特定の者が跡継ぎであるかのように言われるのを極度に嫌い、言った者も言われた者も反逆罪を問われる恐れがあった。

 しかしある意味、エリザベスが即位する前に結婚できたことは幸運だった。
 メアリー内親王家の王位継承権を憎むエリザベスなら、マーガレットもまたキャサリン・グレイのように独身のまま飼い殺しにされていただろう。キャサリンはそれでも密かに結婚して、反逆者としてロンドン塔に投獄された。

 従姉妹の二の舞にならぬよう、マーガレットは必死であった。
 1558年、所領のノーズリーで出産した後「エリザベス1世の治世の最初の年に陛下への義務を果たすため」に上京して、女王のご機嫌伺いをしている。
 その甲斐あって、エリザベスもマーガレットに対しては寛容だった。
 というか、ダービー伯爵家は、北部で絶大な権勢を持つ名門であったために女王の方でも歩み寄る必要があったのである、

 1562年、マーガレットは苦しい家計の中から、高価な黄金の香料入れを献上し、それに対してエリザベスは「金メッキ(黄金ではない!)の蓋付き鉢」を下賜している。
 女王の随行のメンバーとして行幸に付き従い、時にはドレスの裾を持つという名誉を与えられたり、夕食を共にした。
 しかしエリザベスはマーガレットに心から気を許したわけではなかった。
 黄金の献上品に対し、金メッキの品を与えた事でも、その本心が窺われる。

 その頃マーガレットと夫ヘンリーの夫婦仲は、ほとんど崩壊していた。
 1567年7月、ウィリアム・セシル宛の手紙の中で、自分たち夫婦は何度も争いと仲直りを繰り返した末別居にいたり、家族は離散したことを訴えている。夫には何人もの愛人がいて、特にジェーン・ホルサルという女は2男2女を産んでいたという。
 夫の不実と持病リューマチのために苦しんだマーガレットは、加持祈祷や占いに救いを見いだすようになった。
 周囲からは「黒魔術ではないか」という噂まで流れた。
 その噂を聞きつけた女王の監視下に置かれ、「私は囚人のようだ」と嘆いている。

 マーガレットとヘンリーの間には、2人の息子がいた。
 5代目伯爵ファーディナンドと6代目伯爵ウィリアムである。
 ファーディナンドはシェークスピアのパトロンとして知られ、「タイタス・アンドロニカス」などの戯曲は、彼のために書かれたものだった。
 しかしマーガレット自身は女王の監視下に置かれたまま、1596年、56歳で失意のうちに亡くなった。彼女もまた、他の王族同様、自分の体に流れる高貴な血とエリザベスの影に怯える一生だったといえるだろう。

           

  参考資料/
The Tudor place by Jorge H. Castelli
Tudor and Elizabethan Portraits Site
ダービー伯爵の英国史 バグリー著 平凡社