エリザベス1世の魅力/エリザベス評論
エリザベス戴冠式の肖像/
ナショナル・ポートレート・ギャラリー蔵
エリザベスは知名度に較べて物語りのヒロインにはなりにくい人だと思う。
映画「エリザベス」や「恋に落ちたシェークスピア」などの影響で、やっと話題になった程度である。
過去にも山本鈴香や池田理代子などがマンガにしているが、正直おもしろい内容ではない。エリザベスを同時代のライバルだったフェリペと並べて、さながら善人のように描く点には疑問を感じる。
エリザベスの魅力の一つはその豊かな人間性にある。
独裁者になりきれなかった独裁者…必然的に決断を下さねばならない場面において、悩み苦しみ七転八倒する姿には、共感するものがある。
しかし逡巡し、躊躇しつつ、結果として歴史的に正しい道を選び取っていくあたりは、やはり偉大な政治家である。
また別の魅力として、エリザベスが権力を掌握していく過程において、決して性的な手段を使わなかった点もあげられるだろう。世界史上を見ても、男を利用しないで最高権力者になった例は極めて珍しい。
しかもアングロサクソン人の国である英国は、男女の体格の差が大きく、もっとも男性ホルモンの多い人種であり、必然的に他国に勝るとも劣らずの男尊女卑の国だった
にもかかわらず、である。
例えば中国の則天武后や西太后は、皇帝の妾となり、男の子を産んで初めて政界に進出することが許された。
ロシアのエカテリーナ女帝は、ピョートル3世の妻でありながら、近衛兵に次々と体をまかせることで、クーデターを成功させた。
フランスのポンパドール夫人はルイ15世の愛妾だった。
かれらはかならず誰かの妻であり、妾であり、母親だった。
しかし、エリザベスの生涯において、それだけ影響を与えた男はいない。
何度も処刑間際まで行きながら、その度に己の才覚と幸運によって独力で切り抜けてきたのだ。
即位の後も、寵愛する家臣はあっても、決してつけ上がらせることはなかった。
およそエリザベスほど、男を酷使した女王もいない。いくら寵愛を受けた美男子であっても、命令に背いた者は容赦なく処分した。美少年を形ばかりの官職につけ、もっぱら性的奉仕をさせていた則天武后とは大違いである。
それでいながら、エリザベスほど男に愛された女王も珍しい。
則天武后のように、処刑や拷問の恐怖で支配したのではない。
家臣である男たちに、なぜか「守ってあげたい」という気持ちを起こさせるほど、可憐な魅力をも持ち合わせていたのである。
「私は女ですから・・」というのが、エリザベスの口癖だった。
「男であるあなた方より劣っているのです。」
だが、エリザベスは当時は常識ともいえるこの言葉を、真に受けていたわけではなかった。己の優位を全面に出すこともなく、一歩引いて見せることによって、鮮やかなまでに男を駒として使いこなした。
それは冷徹な目で男を観察し、決して依存しようとしなかった努力の賜物ともいえるだろう。
そしてエリザベスの快挙は、その後の英国の女王たちへの道を拓いた。
国が危機にあるときこそ、女王が立つ、という伝説さえ生まれた。
名誉革命のメアリー2世もヴィクトリア女王も、また現在のエリザベス2世も、エリザベスの功績によって世に出る機会を得たといってもいい。
母でもなければ、誰かの妻でもなく、それでいて女を捨てたわけでもなく、十分女の魅力を維持しながらも独立を守り通した女王。
それがエリザベスをして、世界史上屈指の女王たらしめる理由である。