16世紀前半のファッション

ホルバインのデッサン/1535大英博物館蔵
頭部:五角形、または四角い固いカチューシャと布で頭をすっぽり覆い、髪は見せません。
「gable headdressヘッド・ドレス」または「チューダー・アーチ」と呼ばれています。
角張ったカチューシャは、次第に丸みをおびたものに変化していきます。
これは16世紀後半には廃れますが、今でも修道女の帽子に姿を留めています。
この実物(複製)を、横浜の岩崎ミュージアムで見たことがあります。
イニシャルBのネックレスをつけたヘンリー8世第2王妃アン・ブーリンのドレスです。

アン・ブーリン/作者不詳/ナショナル・ポートレートギャラリー
この時代にはブラジャーがないため、植物の葦で芯を作り、キャンパス地を糊で固めたコルセットでウエストを締め、乳房を押し上げています。
格好よく胸を見せるために、襟は四角くカットされ、脇の下近くまで露出しています。胸の谷間を見せるには絶好のアイデアです。
主に着ている物はガウンと呼ばれるワンピースで、これはスカートの部分がAの字型に開いていて、下に履いているスカート(ペチコート)を見せています。ゆったり広がった袖は服の一部ではなく、後から紐やピンで固定するものです。下に着ているブラウス(またはシャツ)の袖はとても長く、ほとんど手の甲を覆うほどでした。これは指に奇形があったと言われるアン・ブーリンが流行させたものと思われます。
1530年代ではまだ裾が長く、やや引きずり気味ですが、ヘンリー8世の4人目の妃クレーフェのアンがドイツ風の丸みを帯びたスカートを持ち込んだことから、裾はやや短くなる傾向になりました。

上の絵では、まだスカートの張り方(ファーチンゲール)は使われていません。
英国でそれらしきものが肖像画に現れるのは、1540年代に入ってから。
第6王妃のキャサリン・パー(詳細)の肖像では、Aラインの控えめな張り方が使われていると思われます。
同じファッションは、14歳のエリザベス(後の女王)の肖像にも見られます。

男性はダブレットと呼ばれる胸着に凝りました。特に袖のオシャレはエスカレートして、刺繍だけでは飽きたらず、多くのスリット(切れ込み)を入れ、華麗な下着の地を見せたりしていましたが、やがて袖だけ独立しました。
半ズボンは金具と紐で、タブレットに吊す形で着脱するようになります。
袖と張り合うように半ズボンの中に詰め物をして横に膨らませたため、いわゆる「ちょうちんブルマー」型となります。
16世紀の男性ファッションで一番奇妙なのは、「ブラゲット」というデザインでしょう。これはモンテーニュが「我々がちゃんとした名前で呼べない体のある部分のモデル」だそうです。男性の股間の前にぶら下がり、香料などを詰めたり、目立たせるためにリボンをあしらいました。
後に、単なるポケットと化してしまいます。ここからオレンジを出して女性にプレゼント、などという事もあったようです。
シャツ+ダブレット(胸着)+半ズボンの上には、シャウベと呼ばれる上着を着ます。
これはマントとチョッキの合いの子のようなもので、袖無しです。
ヘンリー8世は衣装に凝るあまり、金糸の刺繍で生地が見えないほど豪華な服を着ていたといいます。
ちなみにドイツの農民戦争の理由の1つは「金持ちみたいに、赤いシャウベが着たい」だったそうです。
帽子はビレッタと言われる縁なしの帽子でした。被るときはベレー帽のようにかならず斜めに、片耳を隠しました。また、足はソックスで、靴は「牛の舌」と呼ばれるつま先が平らに広がったものが流行しましたが、メアリー1世の代からしだいに細い靴へと変化していきました。
「シャツ+ダブレット(胸着)+半ズボン+シャウベ(チョッキ式上着)着用のヘンリー8世」
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