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キャサリンの肖像画/作者不詳/V&A美術館蔵

悲しみのキャサリン・グレイ
     Chatherine Grey
      (1540~1568)




         

  グレイ家系図
  グレイ人物一覧


 1561年7月のある晩。ロバート・ダッドリーは珍しく女王のお召しを受けることなく1人寝室で休んでいた。
 と、前触れ無く若い女が密かに訪ねて来た。女は窶れ青ざめており、膨らんだ腹部から、妊娠していることがわかった。
 髪を振り乱して土下座し、震える声で言った。
「ダッドリー様、あなたは私の姉の義弟でいらっしゃいました。どうか・・どうかお願いでございます。女王陛下に、よしなにお取次ぎを!どうか・・・どうか..。」

 彼女こそ、ヘンリー8世王妹メアリー内親王の孫娘であり、「9日間の女王」ジェーン・グレイ の実妹キャサリン・グレイであった。

 王族グレイ家。そう聞いただけで、すでにエリザベスは顔を顰めていた。
 同じチューダー家の系統とはいいながら、歴史的にグレイ家はエリザベスと敵対していた。ヘンリー8世の末の妹メアリー内親王は、兄の反対を押し切ってノーフォーク公チャールス・ブランドンと結婚した。二人の間に産まれた娘のフランシスが、サフォーク公ヘンリー・グレイに嫁いで儲けたのが、ジェーン、キャサリン、メアリーの3姉妹だった。

 このメアリー内親王はエリザベスの母アン・ブーリンを憎んでおり、当然エリザベスのことも快く思ってはいなかった。
 反感はメアリーが亡くなった後も続いた。 グレイ家の反感と野心は、ノーサンバーランド公トーマス・ダッドリーの野心と結託した。トーマス・ダッドリーは長男の嫁ジェーン・グレイを女王に立て、政権奪取を試みた。
 しかし計画は失敗した。
 即位した女王メアリー1世(ヘンリー8世の長女)は、トーマス、長男ギルフォード、ジェーンの3人を順次反逆罪で処刑した。

 しかし女王メアリー1世は、キャサリンを妹のように可愛がった。女王にとって彼女は可愛がってくれた叔母の忘れ形見なのだ。 ノーサンバーランド公によって処刑されたサマーセット公シーモア家の地位も元に戻された。
 いつしかシーモア家とグレイ家は親密な行き来をするようになっていた。
 この時キャサリンは15歳、シーモア家には、3歳年上の黒い髪の美少年/エドワードがいた。
 過去両家を襲った不幸など消え去ったかのように、短い春の日差しに包まれて、至福のひとときが流れていた・・・。

 再びキャサリンの運命に翳りがさし始めたのは、1556年になってからだった。
 保護者のような女王メアリー1世が亡くなった。
 後を継いだエリザベスとグレイ家との確執は、未だに消えていなかった。
 王位継承法によれば、エリザベスの次に王位を継ぐのはグレイ家の次女キャサリンのはずだったが、当然ながらエリザベスは反発した。

 しかし放置しておけば、英国王位を狙うスペイン側に利用される可能性があった。
 エリザベスは嫌々ながらキャサリンを身近に置くことにした。
 あれほど冷ややかだった女王が、いきなり自分を「娘」と呼び、宮中に専用の部屋を与えてくれる厚遇ぶりに、かえってキャサリンは不吉なものを感じていた。

(会いたい、エドワードに会いたい。)
 息苦しい宮廷生活の中で、キャサリンは切実に思った。いくら女王が可愛がっている「ふり」をしても、グレイ家との
確執を知らない者はなく、本心では嫌っていると見抜いていた貴族達は、「貧しいキャサリン(poor Catherine)」と嘲笑した。
 そんな彼女に唯一親身になってくれたのが、あのエドワードの姉で、女王の侍女でもあったジェーン・シーモア(ヘンリー8世王妃ジェーン・シーモアの同名の姪)だった。

  「エドワードを愛しているの。あの人の妻になりたいの。」
 エドワードはその話を姉から聞かされて困惑した。彼とて貴族の端くれである。
 せっかく復活したシーモア家のためにも、女王の不興を買いたくはなかった。
 だが、二人が再会した時、事態は変った。会った瞬間から、エドワードは、すでにずっと昔から、お互いに惹かれていた事・・・・それが歳月によって愛に変っていたことに気付いた。
 彼は24歳、キャサリン21歳の出来事だった。

 ヘンリー8世が1536年に決めた継承法によれば、王族が結婚するには、国王の許可が必要であった。
 無断で式をあげた者は、反逆罪を問われる恐れがあった。
 二人の脳裏には、それぞれ刑死した肉親たちのことが浮かんだ。

 エドワードは金の指輪に文字を彫り、キャサリンの指にはめた。
「死が二人を分つまで、いかなる力も我らを引き離すことができないと、言葉にするまでもない」

 1560年10月、二人は反逆を承知で、エリザベスに無断で結婚した。

 1560年12月、二人はホワイトホール宮殿を密かに抜け出て、エドワードの自宅に向かい、そこで初めて愛し合った。
 たった一時間半の、短い初夜であった。
 エリザベスには、「持病の歯痛のために引き蘢っている」と嘘をついていた。

 しばらくして、ジェーンの様子に女王の侍女レディ・メードが異変に気づいた。
(おかしい。あんなに吐いて窶れるなんて、まるで子供でもできたみたい。)
 キャサリンも決してずっと秘密にしておくつもりはなかった。しかし女王に打ち明けようにも、頼りにしていた実母サフォーク公夫人フランシス(メアリー内親王の娘)が前年11月に亡くなり、エドワードの姉ジェーン・シーモアも1561年3月、急死してしまった。

 ジェーンが亡くなった直後、キャサリンは自分が身ごもっていることに気付いた。
 おまけにエドワード自身が、ウイリアム・セシルの長男のヨーロッパ周遊旅行に付き添いを命じられてしまった。
 エドワードは、万が一自分の身に何かあった場合、全財産を譲るという遺言書を残して旅立った。

 7月、すでに妊娠8か月に入り、隠しようが無くなっていた。
 孤立無援のキャサリンは、知り合いの誰彼かまわず女王への取り次ぎを頼んだが、全員に拒否されてしまった。
 そして行き場がなくなり、ついにエリザベスの寵愛篤いロバート・ダッドリーを頼って来たのだった

 翌朝、ロバートから事情を聞いたエリザベスは直ちに命じた
「反逆である。ロンドン塔に投獄せよ。」
 臨月間近な身であろうと、容赦するつもりはなかった。
「あの恥知らずの恩知らずめが!!。」
 エリザベスがそう罵りながら調査したところ、結婚の立会人だったジェーン.シーモアは亡くなり、牧師も行方不明だった。そのため二人の結婚は誰にも証明することができず、産まれる子供は庶子と宣告された。二人の間に生まれる子供たちは王位継承権を失った。エリザベスが画策して、正式な結婚の証拠をもみ消した可能性も高い。

 1562年9月、キャサリンは男の子を出産。エドワードと名付けられた。
 ロンドン塔の中は、決して孤独ではなかった。後から投獄されたエドワードと再会し、親子3人ひっそりと幸福に過ごした。だが、それも翌年次男トーマスが産まれるまでの短い時間だった。

 今度こそ心底激怒したエリザベスは、二人を引き離し、5年後キャサリンが孤独のうちに亡くなるまで、ついに再会を許さなかった。

 エリザベスは議会によって、フランス王子との縁談を打ち切られた時、1人寝室に籠って泣いた。
「私には夫を選ぶ権利もない。」
 悲しい時、常にエリザベスは寝室に隠れて泣いたと言う。
 エリザベスの落胆を伝え聞いたフェリペ2世は、底意地悪く、「どうせ演技だろう」と笑ったという。
(フィクションとの説もある)

            
 

 現在は個人コレクションであるキャサリンと幼いエドワードの肖像画は、悲しみの中に深い幸福感が漂い、見る者の心を揺さぶる。と同時に、エリザベスの悲しみにも思いを馳せる。 キャサリンに向けられたエリザベスの憎悪は、彼女が決して許されなかったもの、愛する男と結ばれ、新しい命を育む「女」という存在そのものだったのかもしれない。  

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